こどものこころ

[ リスト | 詳細 ]

素直で優しい子に育って欲しいと願うのは皆同じ。家庭で、学校でもがく子どもたちの心に今何が起きているのか?
記事検索
検索

全2ページ

[1] [2]

[ 次のページ ]

「キレる子」はいない

「知らない間に、子どもが劇的に変わってしまった・・」 
いわゆる「キレる子ども達」が増えたといいます。

これって「ガンみたいなもの」なのかなと思うのです。
目には見えないから、これといった症状がなかったから気付かなかった。
でも、実際に開けてみれば
体の中ではどうしようもないくらい、進行してしまっている。
「自分の体力を過信するな」と言いますが
信じすぎる(過信)というより、この場合むしろ逆で
無関心、放置に近い。


何故、子どもが急に反発するのか
何故、大切な人が自分の元から去っていくのか。


本当は日常の些細なところに、サインが沢山あったりする。
子どもの表情がいつもと違う。
そういう時、目をそらさずに見てあげたいと思います。
病気でも、問題でも、早期発見が一番。
「信じてるよ」という自分の中で思い込むのではなく
「信じているよ、応援しているよ」と相手に伝えてあげることが
発見につながっていくのかな、と思います。

メイちゃんは日本で生まれ、4歳の時、当時バブル絶好調だった
日本を一家で去り、オーストラリアに移住したという。
結構珍しいケースだと思う。
今は法学部に通う、はつらつとした聡明な彼女が、
最近日本に1ヶ月旅行に行ったときのお話。

************************


メイ 「私、びっくりしたんですよー」

私 「なにが〜?」

メイ 「ちょうど通勤時間のときで、私、大きい荷物を2つ持って
電車に乗ろうと思って、かなり大変だったんですけど。。」

私 「・・誰も手伝ってくれなかった・・?」

メイ 「そうなんです!!(怒)」

私「こっち(オーストラリア)だと、あり得ないよね。。多分」

メイ 「うん。手伝ってくれないどころか、だーっと後ろから押されて
転びそうになって。。それで、最終的にはおばあちゃんが
手伝ってくれたんですよ。」

私 「日本人って海外では、礼儀正しいとか評判はいいのに、
実際に日本にきたら、それじゃガッカリと言われちゃうよね・・」

メイ 「それで、やっとのことで私たち電車に乗って、
隣にいた私のオージーの友達がまず発した一言が・・
ねぇねぇ・・この電車に乗っている男の人たち、
なんでこんなに暗いの・・?って。」 (笑)

私 「なるほどー確かに通勤電車のサラリーマンって、元気ないよね」 (苦笑)

メイ 「なんか、その電車に乗ってて、私途中で胸が苦しくなって
きたんです。マイナスの空気っていうか、そういうのを感じて。
それに日本人の男性に魅力を感じられなかった。
格好イイ大人がいないなぁーって。」


************************


日本にずっといると気付かないことも、
離れてみて、「そういえば・・」と思うことが結構あります。
何だろう・・日本人って基本的に親切な民族だと思っていた。
でも、駅の構内で車椅子やベビーカーを見ても、何の反応も
しない人たちがあまりにも多いってことが、海外で生活してみて気付いた。



また、日本と海外で行われた高校生意識調査で
アメリカや中国の高校生は
「組織に入ったら偉くなりたい」
「頑張って高給取りになりたい」
という風な、どちらかといえばアグレッシブな
回答した人が多かったのに対して、日本の高校生は


「偉くなりたいとは思わない」
「高い給料があっても、幸せになれるとは限らない」
「大人になったら、もっと自由な時間がほしい」
という意見が多かったそう。
それは否定しないけど、
何よりなーんか、若いエネルギーが感じられない。。
何でもできる!って純粋に思っていていい頃なのに。


でも彼らの気持ちもチョット分かる。
電車に乗ると、
ため息まじりに、書類を読んでいる人。
昨日寝ました?と聞きたくなる位、昼夜問わず眠そうな人。
世の中、忙しいだけじゃなく、なんだか疲れ果てた大人が多い。


大人になれない、子どもが多いのではなく
なりたいような大人が周りにいない。


************************



いまの子どもって「夢がない」「やる気がないよね」という声をたくさん聞きます。
ではそういう私たちは、胸を張って彼らに夢や勇気を与えるような
生き様を、果たして見せているでしょうか。
正々堂々と頑張ったら、報われる世の中だと、
胸を張って言えるでしょうか。。


無理に格好つける必要はないけど、
ひとつ言えることは、大人たちが、元気で生き生き
している社会の中で見守れてこそ、子どもは育つ、という事。
心の風邪をひく大人の問題は、子どもに直接響いている。

実はこの1週間、ずっと考えていたことがある。
それは、バージニア州で起きた悲惨な事件のこと。
日本では国内事件の報道で手が一杯のようで、この犯人について
詳しくは報道されていないようだけど、
私はこのChoという少年のことをもっと知りたくて、
各国のメディアが報じる膨大な量の記事を、実は毎晩遅くまで読んでいました。



この日記でそういうことを書くつもりもなかったんだけれど、
記事を読めば読むほど、自分の中で、ある思いが強くなっていた。
まず、「武器の種類が違うだけで、日本でも十分に起こりうる事件」
だということ。そして、2つ目は
「犯人は本当は普通の、どこにでもいる愛されたかった少年」
だったのではないかということ。



もちろん、私は少年犯罪心理学のエキスパートでもなければ、
精神科医でもないけれど、この事件は日本人にとって
「やっぱり銃社会のアメリカは、怖いよね」
「こんなことをする犯人はどうせ気が狂っている。事前に防げる事件じゃない」
というような程度の認識では、もう済まされない気がしている。
私には、このChoという少年の姿と、日本の子ども達の苦悩が
オーバーラップして見えてしまう。



ルームメートの証言によると、この少年は自殺願望を抱えていたと言います。
自殺するなら、一人で勝手に死ねばよかったのに。
そう思った人も少なくないと思う。
なぜ、あれだけ多くの無関係な人たちを巻き込まないといけなかったのか。
ほとんどのメディアは彼の犯行声明文を
「社会に対する冒涜、怒り、憎悪に満ちた異常な内容」という風に紹介した。
そして全文を読んでみて、私はある印象を受けた。



" I didn't have to do this. I could have left. I could have fled.
But, no. I will no longer run. "
「こんなことをしなくても良かった。立ち去ることもできたし、逃げることも
できた。でも、僕はもう逃げない。」
" You had a hundred billion chances and ways to have avoided today."
「今日起きたことを止めるチャンスは、いくらでもあったのに」



「本当は誰かに止めて欲しかったんだ」と直感的に感じた。
もちろん、想像でしかないけれど。
彼は、これまで何とか持ちこたえようと頑張っていたのではないか。
不安や抱えきれない絶望感が、他人に対する憎しみや怒りへと変わっていく。
でも、ギリギリのところでバランスを保っていた。今にも水が溢れそうなコップのように。
そして何かのきっかけで、その水が一気に流れてしまう。
周りからみれば、なぜ「いきなり」こんなことになるのか全く理解できない。
でも彼は、叫んでいたんだと思う。それも、ずっと、ずっと前から。



「どうしてそんなことで・・」



万引きする子どもがいる。別にお金が欲しいんじゃない。
自分を傷つける子どもがいる。それで生きている気がする。
自から命を絶つ子どもがいる。ほんとうは生きていたかった。
それほどまでに空虚な思いを、そんなことで、と片付けられるだろうか。



ちょっとのことで、自分がいなくなってしまうような、
そんな希薄な自分の存在感。
何か、巨大なものに飲み込まれてしまうような恐怖感。
でもそれを認めたくはない、なんとか戦いたい、
自分はここにいるよと知ってほしい。
町田女子高生殺害の犯人の少年は、夜中に自転車に乗り、
何かを叫んでいたといいます。暗闇に向かって、叫んでいた。
この少年もあれだけ日頃寡黙だったのに、カメラに向かって怒りをぶちまけた。
これまで一人で抱えて、そして抱えきれなかった無念さを一気に、吐き出すように。



犯人の行為自体は、恐ろしい程残忍で、憎むべきもの。
決して許されることじゃない。
それでも、こういう事件から私たちは何を学び、何をすべきなんでしょうか。



こういう事件が起きるたび、思うこと。

「ごめんね。みんなが将来に希望を持てないのは
そんな風な気持ちにさせてしまった、大人が悪いんだよ。
本当は君たちは何にも悪くない、だって
何度も、何度もメッセージをきっと発してくれたはずなのに、
気付いてあげられなかった。

その小さな、でも大事な声にじっと耳を傾けていれば、
きっとそんな嫌なこと、しなくてよかったのにね。本当にごめんね。
でも、君のために私ができることを、小さいかもしれないけどやってみるよ。
だから、どこにいても希望は捨てないで。
こんな大人だっているってことを、君たちの心に届くまで
私もがんばってみるから。」

「命の教育」「キャリア教育」「環境教育」・・・
私たちが子どもの頃は聞いたことがなかった言葉。
何でもかんでも教育、教育ということに、少し疑問を感じる今日この頃。


「命の大切さを教えるために○○学校ではこんな取り組みを始めました。」
近頃の事件を考えると、そりゃそういう事も大事だよな、と思われる方も
多いと思います。でも私には何かひっかかる。何か変だなぁ・・と
違和感を感じてしまうんです。
だって、命の大切さをわざわざ学校で教わった記憶、皆さんありますか?


子どもは小さい頃からアニミズム的な世界観を既に持っています。
(全てのものには命があるという捉え方)
その段階から、もう少し大きくなると命は永遠ではないこと、死は悲しむべき
もの、ということを、庭に咲いていた花が枯れた、飼っていた鳥が死んだ。
そういう色々な日常的出来事から学ぶわけです。
・・のはずです。



■ 後付教育。付け足して解決するの?


「人を傷つけたり、殺してしまうような子どもが増えてきた。」
だから命の大切さを教える教育をしなくてはいけない。
「今の子どもは物を大事にしない。」
だから物は大事ですよ、ということを教えないといけない。
近頃何でもかんでも教育と名がつく。しかもそれなりに聞こえる。
でも実際のところ、子どもの反応は「ふーん。そう。」程度ではないのかなと思うんです。
何も心に響いていない。
なぜか?だってそんなこと言われなくても、子ども達は最初から分かっているからです。


人を傷つける子は命の大切さが分かっていないから、教えなくちゃいけない。
本当にそうでしょうか?
知らないから、教えればいい。
子どもにとっては、全て受身になってしまっているわけです。
知らないんじゃない、もう既に知っているはずなんだという視点にまず立たないと
いけないと私は思っています。
「いやいや、分かっていたらできるはずでしょ。」
「できていないということは、やっぱり分かっていないんだ。」
と言う人だって、分かっていてもできなかった、という経験はないですか?
そして、もし本当に命の大切さが分からない子どもがいたら、
その子に必要なのは教育ではなく
無償の愛や癒しなのではないでしょうか。




■ 言われなくても、本当は分かっているんだ


いじめが素敵だ、なんて思っている子どもはほとんどいません。
いじめは悪だよ、人が傷つくんだよ。と説教したところで、
子どもたちはそんなことは本当は分かっているんです。
分かっているから、さらに説教じみて聞こえます。
悪魔に生まれてきた子どもなんて一人もいません。
じゃあなぜ起きるのか。なぜいじめをしてしまう子がいるのか。
誰だって弱い部分はある。大人の世界ではそういうものを認めるのに、
子どもの世界には一切認めないというのはおかしいと思います。



いじめを肯定するわけではありません。でも、いじめた子は悪いから
出席停止にすればいいという考え方は解決策にはなりません。
人間誰だってもろい部分、人には自慢できない弱さがあるからこそ、
誰だっていじめのようなブラックホールに引き込まれる可能性が
あるんだ、ってどうして子どもに正直に言えないのでしょうか。
会社でもいじめはあるよ。大人だってそういうことがあるんだよ。
そういうことについてどう思う?いじめをしてる人がいたら
どうする?そういう風に子どもと正直に対話していかないといけない。
大人ばっかり格好つけて、綺麗ごとを並べるから、子どもの心には届かない。
何教育をやったところで全部無駄なんです。
大人が素直にならない限り。
子どもは全部そういうことはお見通しです。


一生懸命教育を、子どもを変えよう、変えようとすること自体が
間違っているのかもしれません。
今の色々な問題は、子ども達が家族に、学校に、世間に心を閉ざしてしまった
結果ではないのかなと思います。


こころの教育で必要なのは、子ども達に教えることじゃない。
大人が子どもの話をちゃんと聞くことなんです。

こころのパワー

はっきりいって学力低下なんて言ってる場合じゃない、
それを支えるこころのパワーがこんなに低下しているのに。。


深いため息をついてしまうような、ニュースが多い。
自ら命を絶ってしまう子どもたち。
彼らのこころの叫びは、誰ひとりにさえ届かなかったなんて
信じられない。


でも、きっと
あそこまで、どこにも行き場がなくなって
自分の存在さえ否定してしまいたくなる前に
その悲しみや、不満や、不安を解き放つ方法が
何かあったんじゃないか。

いや絶対にあったはず。



たかがいじめ、弱肉強食は社会の縮図だ、
生き残れない奴は仕方ない、
弱い奴は根性を叩き直せばいい、
そんなことを言う大人もいる。

いじめや拒食症が本当に自殺にまで発展すると
本気で考える親や先生がいない。
「まさか」の一点張りだ。


はっきり言って甘い。
そういう無関心で、目に見える結果だけで判断する
大人たちがあまりも多いから、子どもたちは
極限に追い詰められ、行く先を失ってしまう。


大人は会社や家庭以外でも、自分で電車に乗り
誰かと会ったり、旅行に行ったり、引越ししたり
転職したり、海外に行ったり、できる。


小中学生の人生には「学校」と「家」しかない。
それを私たちはもう一度認識するべきだと思う。


学校や家での問題というのは、子どもたちにとって
本当の意味で、生きるか死ぬか、の死活問題なのである。

教員免許更新制度、教育バウチャー制度の議論も結構だが、
そのような競争にさらされた時、
一番傷つきやすい子どもたちを排除する結果になってしまっては
日本の教育の未来=日本の将来はないように思う。

全2ページ

[1] [2]

[ 次のページ ]


よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

いまならもらえる!ウィスパーWガード
薄いしモレを防ぐパンティライナー
話題の新製品を10,000名様にプレゼント
ふるさと納税サイト『さとふる』
11/30まで5周年記念キャンペーン中!
Amazonギフト券1000円分当たる!
いまならもらえる!ウィスパーうすさら
薄いしモレを防ぐ尿ケアパッド
話題の新製品を10,000名様にプレゼント

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事