洗 礼、霊 と 理 性 と の 調 和

芽吹きにはまだ早く、木々の間に南アルプスが眺められます。夕方、集会所でぼんやりしていると扉窓が甲斐駒ケ岳の額縁になっている。 かつて修験者が命がけで登り、命を充溢させた花崗岩の御神体。その山頂に天と地の結び目を幻視していたのでしょうか。 串田孫一 (1915 〜 2005) は自著「山のパンセ ( 岩波文庫 ) 」にこんな一文を書いています。 「山々のあいだを流れる大気が、自分の想念を帯び、また自分の想念は大気の一部のような気さえするのだった。〜私はやはりどれほど高く立っていても地上を離れず、その一歩一歩は、からみついた雑多の想いを運ぶ足を動かすにすぎないのである」。 串田はそうした山の大気を浴びる肌の感触について、「洗礼と呼んでみたこともある。孤独な、密やかな全く非宗すべて表示すべて表示

その他の最新記事

すべて表示

記事がありません。



.


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事