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 三月下旬、いろいろな山野草が芽吹き出したところに雪が降りました。素朴で地味な土手のヒメオドリコソウも、寒の戻り雪に演出されて、どことなく晴れがましく群舞しています。「春の雪鄙の踊り子飾りおり」と駄句をひとひねり。印象を味わうだけでなく、拙くとも言葉にしてみると、イエスの御言葉とも響き合います。「栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった(マタイ6:28)」。

イエスは「野の花を注視せよ」と示し、結論を述べます。「〔何を食べようか〕〔何を飲もうか〕〔何を着ようか〕と言って、思い悩むな(6:31)。あなたがたの天の父は、これらのものがみなあなたがたに必要なことをご存じである(6:32)。だから明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である(6:34)」。

 「明日は雪になるのか」、あれこれ思い悩んでしまうと、野の花は花弁を閉じ、時を逸してしまいます。ところが天気の急変で、逡巡する間もなく唐突に雪が降りました。すると、どうだろう。花は枯れるどころか、地味なヒメオドリコソウが「栄華を極めたソロモン以上に着飾る」ことになりました。妙に感傷的なこうした視点は、八ヶ岳伝道所の歩みと重ね見ているせいかもしれません。

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「明日のことまで思い悩むな(6:34)」。明日を思い悩むほど、私たちの今日に備えがあったわけではない。かといって「何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる(6:33)」というほど、生真面目に祈り続けた覚えもありません。伝道所の道程は、ぼんやりしている間に春の風()が吹き、その恵みによって野の草花が咲いた、という感じでしょうか。

「春の雪鄙の踊り子飾りおり」。雪が唐突に降りはしましたが、翌朝の寒さは春らしいもので、アクシデントだと思ったことがかえって幸いな結果になりました。「その日の苦労は、その日だけで十分である(6:34)」。私たちは相変わらず明日のことは思い悩みませんが、今日の苦労だけは、父なる神が恵みと共に与え給う創造的な事柄として、誠実に負っていくつもりです。Ω

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