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神おひとり

新しく作った物置小屋横の薪を眺め、ひと安心。Hさんが伐りたての薪材をごっそり調達して下さり、私は乾ききった放置材からリョウブなどの堅木を選んで割りました。今までの薪はこの冬で無くなりましたが、陽射しが強くなると次の冬の心配は薄らぎます。いかん、いかん、備えをしなければと思い直して薪割り。そしてひとつ発句も。

「薪割る哉寒き憶えのあるうちに」。なんだか蕪村のような趣があって、案外いいじゃないか。ただ見方によっては勤勉を唱える格言のようでもあり、類似の御言葉を探すとしたら箴言か、と聖書をくくっていると、おっ、ありました。

「怠け者よ、蟻のところに行って見よ。その道を見て、知恵を得よ。蟻には首領もなく、指揮官も支配者もないが、夏の間にパンを備え、刈り入れ時に食料を集める(箴言6:6〜8)」。

イソップ物語「アリとキリギリス」につながるような箴言ですが、新鮮に響いたのは「首領もなく、指揮官も支配者もない」のに共働が成り立つところ。私たちに即して思い描くならば、八ヶ岳伝道所には当番表の類がないことでしょうか。もちろん、小さいとはいえ、他の教会のような奉仕はあります。でも、指揮官なしにこれを為すことは、思っている以上に意味あることなのかもしれません。将来、奉仕の担い手が増え、当番表が必要になったとしても、この御言葉を受け取りながら計画してほしい。

イエスは金持ちの男に答えました。「なぜわたしを〔善い〕と言うのか。神おひとりのほかに、善い者はだれもいない(マルコ10:18)」。箴言の「首領ない、指揮官ない、支配者ない」には、ただ一者、善い「神おひとり」が暗示されています。この「神おひとり」を感じているなら、人間は指揮官なしに、本当の意味で「共に働く」ことができる。

イメージ 1 「薪割る哉寒き憶えのあるうちに」。格言めいていると自嘲気味に書きましたが、こうして御言葉をひと巡りしてみると、自らの発句ながらそうではないことが分かります。「夏の間にパンを備える(箴言6:8)」ことは、労働や奉仕と言うよりも、祈りなのではないか。いやもっと言えば、祈りとは、労働や奉仕をも含んだ「人間の支柱」ではないか、と積まれた薪を眺めて感じました。Ω


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