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酒田でもう一ヶ所訪ねた場所は「舞娘茶屋 雛蔵畫廊 相馬樓」。
江戸から明治期にかけて北前船の交易で栄華を誇り「山居倉庫」へ行く時に通りがかりました。 赤い塀といい屋根に鎮座するガラス製のシャチ鉾といい 建物全体から特別なオーラを感じられ、 思わず引き寄せられてしまいました。 「相馬樓」の前身はは江戸期より営業していた料亭「相馬屋」。 当時の建物は明治時代、庄内地震の大火で焼失してしまったそうですが その時に残った土蔵を取り囲んで再建されましたが しかし時代の流れにより廃業、その後、酒田市に本社を置く平田牧場が買い取り 「舞娘茶屋 雛蔵畫廊 相馬樓」として蘇えりました。 平成8年に国の登録有形文化財に指定されています。 舞娘茶屋とあるように、こちらでは食事をしながら 酒田舞娘の踊りを見ながら食事ができます。(要予約 当日予約不可) 何の予備知識も持たないで午前中に飛び込んだでしまったので、 今回は内部見学のみです。 受付で見学をお願いすると真っ白な顔の舞娘さんが目の前に現れました。 とってもかわいらしい舞妓さんだったのですが、 あまり間近で見たことがなかったので一瞬ギョッとしてしまいました。 この舞妓さんが館内を案内してくれました。 館内は撮影禁止なので、残念ならが写真は撮れず。 食事をしたり、舞娘さんの踊りの見学だと舞娘さんと一緒に記念撮影ができるのだとか。 「西の堺・東の酒田」と謳われた酒井の華やかな歴史に新しいテイストを加えた内部。 そこは私の住む場所とは別世界(笑) まるで竜宮城へ迷い込んだような「舞娘茶屋 雛蔵畫廊 相馬樓」でした。 下の写真は「舞娘茶屋 雛蔵畫廊 相馬樓」のFacebookからお借りしています。 赤い畳は酒田の特産である紅花で染めたもの。 1階の20畳部屋は「茶房くつろぎ処」 2階の大広間は舞娘さんの踊りとお食事を楽しむ演舞場 かつての厨房は相馬樓酒田舞娘のけいこ場となっています。 他に立派な雛人形の展示や竹下夢二美術館も併設しています。 山形県酒田市日吉町1丁目舞娘坂 0234-21-2310 営業時間 10時〜17時 水曜定休 内部見学のみ700円 午後2時から舞娘演舞鑑賞1000円 舞娘踊と食事 12:00より食事の内容により3500円から |
山形県
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西郷さん好きな私が、山形県の酒田市で行ってみたいと思っていた場所がありました。
酒田には西郷さんを慕う人々によって建てられた「南州神社」があるのです。
鹿児島市にある「南州神社」の分社ということでいいのかな。神社の創建は比較的新しくて昭和51年だそうです。 他にも沖永良部、宮崎の都城市にも「南州神社」の分社があります。 (南州とは西郷さんのことです) 庄内藩の藩祖は徳川四天王の酒井忠次氏で、代々続くバキバキの譜代。 会津藩と並ぶ佐幕派の双璧と謳われている土地に 薩摩の西郷さんを祀る神社がなぜ? 庄内藩は幕末期、薩摩藩江戸藩邸を焼き討ちし多くの死者や捕縛者を出したことや 戊辰戦争後半、奥羽越列藩同盟の藩が次々と離脱し、新政府軍に寝返る中 会津と共に最後の最後まで徹底抗戦を続けた勇猛果敢な藩で 西郷さんを大いに悩ませた憎き敵であったはずです。 戊辰戦争後の庄内藩は本来なら会津同様、厳罰を覚悟していましたが 戦後処理で新政府の使者としてやってきた薩摩藩の黒田了介氏は 敗者である庄内藩士に対して礼儀正しく、極めて温情ある処置を言渡し 庄内藩士らを驚かせたと言います。 のちに黒田氏にこのような指示を与えたのが西郷さんだと知った庄内藩士らは 大変感動し、以来庄内の人々は西郷さんを慕い 藩主自ら家臣らを連れて鹿児島を訪れるなど、長く交流が続いたと言います。 西郷さんに教えを請い、その教えを「南洲翁遺訓」として編纂したのも 庄内藩の人々でした。 大雑把な説明しかできませんが、(これ以上書くとボロがでるので^^; ) 庄内藩と西郷さんの関係にはこんな経緯があります。 歴史も色々な方面からの解釈のされかたによっては 美談ばかりではなく現実的な利害もあったのではとも言われますが 私は西郷さんが大好きなので人としての西郷さんを信じています。 西南戦争では若き2人の庄内藩士が西郷軍に従軍して戦死され 鹿児島市の南州墓地に葬られているとのこと。 鹿児島市の「南州墓地」です。 2度足を運んだことがありますが ここに西郷軍の皆さんと一緒に眠っていらっしゃるのですね。 また鹿児島へ行ったら彼らのお墓を捜してみたいと思いました。 西郷さんは西南戦争後、逆賊の汚名を着せらますが 明治天皇が正三位を与えて汚名を晴らされたのを機に「南洲翁遺訓」を発刊し、 それを風呂敷包みに背負って、全国に配布して回ったという話を聞いた時は 庄内の皆さん、ありがとうの気持ちでついホロリとしてしまいました。 庄内地方に残る西郷さんとの不思議な縁。 秋田旅に出る数日前にふと、この場所を思い出し 急遽、湯沢から足を伸ばしてみました。 秋には会津旅を予定しています。 |
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憧れの鳥海山♡
鳥海山を前に横に見ながら走って秋田県の湯沢市から県をまたいで 山形県の酒田市まで走りました。 「山居倉庫」 この風景を見てみたかったのです。 内部はお土産や食べ物のスペースが大半。
それに地域の特産品や歴史の紹介コーナーがあります。 中に入るとすぐ、地元の酒蔵「オードヴィ庄内」の試飲コーナーが目に入り 喜び勇んで駆け寄り(笑)試飲させていただきました。 最近こればっかり・・・って思っているでしょう。 はい、マイブームです。否定しません。 運転手さん、ごめんね〜。 頂きます♪ 10mmくらいを4種類ほど。 山形も酒蔵が多いですね。 一部の地域ではなく県全域に多くの蔵元が集まっているというのは かなり珍しいことなのだそうですよ。 鳥海、朝日、月山など山系ごとに異なる水質が 個性的でバラエティ豊かな酒を生み出すそうなんです。 結局ここで今回のお土産のお酒の半分を買う事になりました。
左側の2本はNOBUさんセレクト。 理由、山形だからつや姫、山居倉庫にきたから山居倉庫ラベル(笑) 私セレクトはメロンリキュール。 もう一本はよく覚えていないけど、多分これもロック推奨されていたような?? 山形まで走って来たのは「山居倉庫」が目的というわけではありませんので
試飲と少しの腹ごしらえだけでサラッと通り過ぎます。 酒田には幕末の庄内藩と西郷さんに関わる場所があるからなのです。 こちらは次回に。 最近暑くて気力が続かないので細切れ記事ですみません。 |
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一番最初に鳴子温泉郷を訪ねた時に選んだ宿は
中山平のうなぎの湯として有名な「琢秀」と(そのうちUPするかも) 比較的近距離にある山形県最上町の「三之亟」。 日本秘湯を守る会の宿に泊まることと スタンプ集めにいそしんでいた頃のことだ。(つい最近まで) 鳴子温泉の名前はよく聞くので知っていたが 「三之亟」のある赤倉温泉というのは この時初めて知った。 「千年の時を越えて湧く名湯 名水 赤倉温泉 開湯貞観5年(863年)」 とあることから、赤倉温泉の歴史はそ〜とう古いようだ。 「三之亟」自体は江戸時代の開業。 ちなみに、名前の「三之亟」とは創業者の名前から来ているという事だ。 (三之亟の亟という字が最初はちっとも変換リストに出てこなかったので 面倒だったが、最近はちゃんと学習して一発で変換してくれるようになった) 玄関からロビーまではとても重厚な造りで昔の大きな農家といった印象。 詳しいことは聞いてないが、何となく「秘湯を守る会好みの造りだな」 という感じがする。 ひょっとしたら秘湯を守る会に入会するにあたって ここだけリニューアルしたのかしらん?と 勝手に思ったりした。 赤倉温泉は小国川沿いに数件の宿が並び こじんまりと落ち着いた雰囲気。 ただ、秘湯を守る会の宿にふさわしいロケーションかといったら それは別問題だけど。 宿としてはこれといった印象は残っていないが 「三之亟」の名物、混浴大浴場「岩風呂」は圧巻だった。 以下宿の説明(手抜き) 1号源泉槽と、さらに足元から、じかに約60℃の源泉が豊富に湧出しており、 そのままでは熱すぎる為、適温調整に工夫を施しております。 まず、当館すぐ脇を流れる小国川に源泉をパイプ誘導し、 適温に下げた上で掛流しております。 時候により源泉温度が適温まで下がらない場合、水道水は使用せず、 湧き水を山から引いて、温度を調節しております。」 初代が天然の岩をくり抜いて作ったという湯船は 美しい模様を描いていて肌触りが滑らか。 「深湯」と「中湯」の間にある源泉枡から ふたつの湯船にお湯を注いでいる。 そして足元のどこかからも源泉が湧出しているらしい。 (よくわからなかった) ちょっと大きめの写真でどうぞ。 手前の湯船が「深湯」で一番深い所は140cmある。 深い湯船ってなんか好きだな。 奥にあるのが「中湯」、こちらも最深が110cm。 下の写真が「中湯」の右側の階段を上った所にある「高湯」。 こちらは打たせ湯になっている。 いずれの泉質も泉質 カルシウム・ナトリウムー硫酸塩温泉 無色透明無味無臭の刺激の無いお湯。 混浴だけれどバスタオルOK,また女性用の入浴タイムも設定されているので 比較的入りやすい混浴だと思う。 露天風呂は男女入替制。 すだれの向こう側は小国川に面しているが 3番目の写真で分かるように対岸も温泉街の建物が並んでいるため 開放感はあまり無い。 私的にあまり興味の無いタイプの露天風呂だ。 もう一ケ所貸切の「ひょうたん風呂」があるが 写真が残っていないので入らなかったのかもしれない。 お食事タイム♪ 写真撮影が終わるまで「おあずけ」をされて 「早くビールが飲みたい」と、今か今かと待ち構えている NOBUさんの手が一緒に入ってしまった。 春の食事の楽しみは根曲竹の天ぷらでしょう。(スミマセン個人的な思いです) 温泉街といっても歓楽街のある温泉ではないので夜はひっそり。 全国的に名の通った鳴子温泉に対してここ赤倉温泉の 知名度ってどうなのだろう? たまたま私達はここに「秘湯を守る会」のお宿があったので 知ることになったのだけど ちょっとそんなことが気になってしまっう赤倉温泉だった。 |
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銀山温泉へ行く途中、突如として道路に現れた痩せこけた野ぎつね君。
車を止めると逃げもせず、逆に「なんかちょうだい」と近づいてくる。
野生でありながら、こんな行動が身についてしまっているらしい。
ごめんねイケメンのきつね君、何もないのよ。
ごめんね、君たちの生活をこんな風に変えてしまったのは
私達人間なんだよね。
突然野きつね君の登場となってしまったが、 今からは前回の銀山温泉の続きを。
銀山温泉はその名が示す通り、江戸時代初期に銀山として栄えた
「延沢銀山」の名に由来している。
400年前の銀坑洞の跡が「銀山白銀公園」として整備されている。 また寄り道かと思われるかもしれないが、
ま、寄り道と言えば寄り道かもね。 遊歩道の入口においしいカリーパンのお店があるのよ。 これを食べてお腹の準備を整えてから ゆっくり散策するのも悪くはないでなないか。 お腹が空いていたせいか今まで食べたどのカレーパンよりおいしく感じた。 さて、お腹の準備は整った。 さあ歩こう。 遊歩道の入り口では「白金の滝」が迎えてくれる。 落差22m。 少し進んだ先に赤い欄干の「せことい橋」があり その先には籟音の滝(れいおんのたき)。 洗心峡 銀山温泉街を流れている銀山川の上流。 昭和初期に作られたという石橋の河鹿橋。 銀山坑からひんやりと心地よい風が吹き出す場所「夏しらず」。 我が家にも一ケ所ほしいなぁ。 頭をぶ付けないようにかがんで、ヨッコラショっと。 銀鉱洞 あれよあれよと言っている間に出口となる。 夏場なら納涼体験が出来そう。 訪問時5月後半。 可憐なスミレの花が咲いていた。 ゆっくり散歩ペースで1時間くらいだったかな。 道も整備されているので安心。 「延沢銀山は江戸時代初期に佐渡相川や羽後院内と並ぶ産銀量を誇りながらも 彗星のように現れて消えた日本第一級の大銀山である」 と、案内板にあった。 何だかロマンを感じるなぁ。 |


