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ブロッコリーの種(の鞘)がほど良く乾燥してきたので、収穫することにしました。
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乾燥しすぎて、弾けてしまったものもありました。
一方、まだ乾燥が足りないものはもう少し放置ですね。
小一時間ほどかけて段ボール4箱分。かなりの量です。
これから、鞘を割って種を取り出すわけですが、それはまた後日にしましょう。
最近、チアシード、神力米、ブロッコリーの種と籾摺り、脱穀作業が続いていますね。
ああ、面倒くせえ。(^_^;)

オクラを収穫しました。
全長6.5センチ。
おほっ、うまそ〜っ。
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満寿夫でした。

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イワシが海岸に打ち上げられる様を見てみたい。
と思って、職場の昼休みにはまめにライブカメラをチェックしています。

しかし、
6月1日は目撃しそこねてしまいました。(ToT)
タイミングが悪かったのか。
噂によると、打ち上げられるのは一瞬の出来事だとか。
打ち上げられるとすぐさま、人と鳥が寄ってたかって獲り尽してしまうので、
数分後には跡形もない…のだとか。
う〜ん、
でも、ぜひ目撃してみたいので、その一瞬にかけてチェックは続けます。(^_^;)

流木ゴジラ。
まったく気づきませんでした。
カメラから遠かったのか、死角だったのか。
海ばっかり見ていて、陸の方を見ていなかったのか。残念。(ToT)
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しばらくブラックアウトしていた室積海岸のカメラは先日復活しました。
しかし、以前のカメラとレンズが違っているようです。
いわゆる魚眼レンズというか、広角のレンズのようで、
視野が広いのはうれしいですが、詳細な画像は期待できませんね。残念。
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光井川の河口の港では、大型の貨物船が出港している最中でした。
こういうシーンに出くわすとうれしいですね。(^_^;)
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満寿夫でした。

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なんということだ。
6月1日に光市の虹ヶ浜にイワシが打ち上げられたらしい。

大体秋口から冬の初めにかけて打ち上げられると聞いていたが、
この時季にも打ち上げられるのか。
こうなるともう一年中可能性はあるということか。
打ち上げられたイワシは8〜15センチということだ。
ワシが冬に拾ったイワシは、4〜6センチほどだったから、かなり成長したようだ。

ネット上には、地震など天変地異の前兆かとする論説があるが、
捕食する大型魚に追われたためで、地震や天変地異は関係ないだろう。

虹ヶ浜では前日まで流木で作られたゴジラの像があったようだ。
しかし、海岸保全の法律に抵触するそうで、撤去されたようだ。
残念。もう少し早く知っていれば、見に行ったのに。


光の虹ケ浜海岸に大量のカタクチイワシ 500メートルに1万尾

2017年06月01日
  •    
光の虹ケ浜海岸に大量のカタクチイワシ 500メートルに1万尾
打ち上げられたカタクチイワシ
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 光市の虹ケ浜海岸に6月1日、銀色に光る大量のカタクチイワシが打ち上げられた。

イワシを拾う女性

 昨日まで流木アート「流木ゴジラ」でにぎわいを見せた同海岸の砂浜に500メートルにわたり打ち上げられた。カタクチイワシは1万尾程度と見られ、体長は約8〜15センチ。波打ち際にはイワシを狙う約30センチ程度の魚影や海鳥の姿も確認できた。

 バケツを持ってイワシ拾う男性は「満潮時刻の昼過ぎぐらいから打ち上げられた。スナメリか大きな魚に追われたのだろうが、イワシ漁をする漁師が少なくなったのも一因では」と話す。

 海岸近くに住む知人から連絡を受けて来たという2人組の女性は波打ち際に漂うイワシをすくい上げ「今夜のおかずにしたい。唐揚げや南蛮漬け、イワシハンバーグにしてもおいしい」「近所の人にもお裾分けしたい」と話す。

 男性は「先週も虹ケ浜や隣の室積海岸で打ち上げられたと聞くが、カタクチイワシは鮮度が落ちるのが早く、暖かい時期なので注意も必要」とも話す。



光市の虹ケ浜海岸に「流木ゴジラ」 海岸美化を訴え未完成のまま「海へ帰る」

2017年05月31日
  •    
光市の虹ケ浜海岸に「流木ゴジラ」 海岸美化を訴え未完成のまま「海へ帰る」
流木ゴジラの最後の様子を観覧者と共に記念撮影する重山さん(右)
写真を拡大地図を拡大
 光市虹ケ浜海岸にある流木で作ったアート作品「流木ゴジラ」が5月31日を最後に「海に帰った」。

九州・熊本を向く流木ゴジラ(アップ)

 同海岸近くの介護施設に勤める重山洋一さんが製作した「流木ゴジラ」。重山さんは「虹ヶ浜海岸は、流木や漂着ゴミだけでなく、禁止されている花火やバーベキューなどのゴミが散乱している時もある。瀬戸内海国立公園として恥ずかしくない海岸にしたい。海岸美化について考えるきっかけになればと作品を制作した」と話す。

 4月から砂浜の清掃と共に流木集めを始め、5月から作品制作に取りかかった。5月中旬には頭部や腕なども組み上がり、全長5メートルの姿となった。ゴジラの周りには流木で「祈 東日本・九州熊本復興」とのメッセージを添え、ゴジラが立ち上がる姿に「震災から復興へと立ち上がる」との思いを込めた。

 5月19日、同作品の存在を知った山口県周南港湾管理事務所から、風などによる倒壊の危険性と海岸法抵触の指摘を受けたため、未完成のまま6月1日早朝に自主撤去することを決めた。重山さんは「危険を与え、迷惑を掛けるつもりで始めたのではなかった」と振り返る。

 重山さんの作品制作中は、連日多くの人が同海岸を訪れ、最終日の31日にはカメラ片手に最後の姿を一目見ようと多くの人が海岸に駆け付けた。

 写真を撮りに来たという女子高校生は「折角の作品がもったいない。このまま残し、もっと多くの人に見てほしかった」と話す。小学4年生の男子児童は「今日で無くなるのはちょっと悲しい。ゴミ拾いも手伝いたい」と話す。

 重山さんは「明日の朝にはゴジラはいなくなるが、多くの人に現状を知ってもらえた。これからも環境美化活動に取り組んでいきたい」と話す。



地震の前兆とする論説はこちら↓↓↓



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6月10日の庭

ハイビスカスが咲きました。今シーズン第一号。
先月頃、葉っぱが黄色くなって元気がないようだったので心配していました。
しかし、その後新芽が出てきて元気になりました。
普通に変わり目だったのでしょうか。
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アサガオにつぼみが付いています。
ツルはまだほとんど伸びていないのにもう。いいのかなあ。
今年は種からの発芽率が非常に悪かったです。20ポット中4。打率0.200。
そんな中で、元気が良いのはこぼれダネからの発芽組。
このつぼみが付いている株も実はその組なのでした。
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これはオクラと同じですね。オクラも大きくなりました。
もう少ししたら収穫できそうです。
いや、株のために早めに収穫した方がいいのかな。わかりません。(^_^;)
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ブルーベリーにいくつか熟した実があったので収穫しました。
ちょっと酸っぱいけど、アントシアニンパワー。頼んまっせ。
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洋ラン、花ショウブ、
となりの畑まで進出しているノカンゾウ?
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満寿夫でした。

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先日、過去に書いた記事『百人一首の秘密 驚異の歌織物』林直道(1981年)
ブログ読者の方から、百人一首に関する論考については、
『絢爛たる暗号 百人一首の謎を解く』織田正吉(1978年)という著作があり、
林さんの著作は織田さんの模倣であるというご指摘を頂きました。
globeさんありがとうございました。早速取り寄せて読んでみました。
すごいです。
またまた、藤原定家の構築した細密で華麗で凝りに凝った百人一首の世界に、
めまいを覚えながらさまよってしまったのでした。

百人一首は、お正月の歌かるたとして、また競技かるたとして、日本中で幅広く親しまれています。
しかし実は、謎が多い不思議な詞華集でもあります。
歌人の選出、和歌の選出に偏向があるのではないかと疑問を呈されてもいます。
無名に近い歌人の歌が選ばれ、逆に、時代を代表する優れた歌人が選に漏れていたりします。
また、有名歌人の歌でも名歌、秀詠を選ばず、駄歌、愚作と思われる作品を選んでいたりします。
私たちは、百人一首に選ばれた歌だから、名歌なのだろうと漠然と思ったりしますが、
実はそうでもないようです。

また、同じ言葉、似た言葉が頻繁に出くる。という指摘があります。
これは、競技の際に「お手つき」を誘うという効果があります。
実は、そのために似たような歌が選ばれたのではないかという説もあるほどです。
たとえば、

 秋の田の かりほの庵の 苫をあらみ わが衣手は 露にぬれつつ <天智天皇>

 君がため 春の野にいでて 若菜つむ わが衣手に 雪は降りつつ <光孝天皇>

この2首などは、覚えたての頃はよく引っ掛かったものです。(^_^;)

懸詞(かけことば)、縁語(えんご)、序詞(じょし、じょことば)
いにしえの歌人はこれらの言葉遊びが大好きだったようです。
そして、かの藤原定家は余人の追随を許さないほど大得意だったようです。
それは、当の作者が意図しなかった語句にまで意味を持たせる、なんてこともしたようです。
たとえば、

 わたの原 漕ぎいでてみれば 久方の 雲居にまがふ つ白波 <法性寺入道>

の「沖」に「隠岐」の意味を持たせれば、「雲居」は「皇居」の意味を帯びてくる。とか、

 心あてに 折らばやをらむ 初霜の おきまどはせる 白菊の花 <凡河内躬恒>

の「白菊」は後鳥羽院を象徴する花とすれば、「おき=隠岐」が隠れているのがわかる。とか。
もうここまで来ると、もう変態じみていてついて行けない感じですね。(^_^;)

百人一首が選ばれている歌集は古今和歌集(905年)から新古今和歌集(1205年)まで、
いわゆる八代集と呼ばれるもので、総歌数は一万二千余歌だそうです。
藤原定家はそのすべてを把握していて、その中から歌織物にふさわしい歌を選んでいったわけです。
その博覧強記ぶりと、言葉を扱う変態的な執拗さと、それを成し遂げた気力と体力と根性。
ただただ恐れ入るばかりです。

歌人の選定にももちろん理由があります。
天智・持統父子の歌で始まり、後鳥羽・順徳父子の歌で終わる。
この配列には深い意味があったのでした。
後鳥羽・順徳父子は鎌倉幕府の専横に反抗して、承久の乱(1221年)を起こします。
しかし、武運拙く敗れ、後鳥羽院は隠岐へ、順徳院は佐渡へ流されます。
この、専横する勢力に反乱を企て、それに見事に成功した例が、
天智天皇(中大兄皇子)が中臣鎌足と組んで蘇我入鹿を誅した、乙巳の変(645年)だったのです。
つまり、天智天皇の業績は後鳥羽院の果たし得なかった夢であったというわけです。
天智・持統の歌を巻頭に配置したのは、夢を叶えてあげたかったという、
藤原定家による鎮魂、慰霊の意味があると見ることが出来るというわけです。

百人一首にはもうひとつ、藤原定家の式子内親王に対する恋慕の思いが隠されているということです。
これは、私にはうまく説明できそうにありませんので、
興味のある方はぜひ本書を読んでくださいませ。(^_^;)

拙ブログにご指摘を頂いたglobeさんには大変感謝したいと思います。
ただ、
私が百人一首の謎に興味を持つきっかけとなったテレビ番組。
そこで開陳されていた、「百人一首をある法則で並べ替えると、ある風景が浮かび上がる」
という「壮大な歌織物」という件に関しましては、
織田さんの論考を元に発展させた、林さんの論考が元ネタになっていると思われます。
しかし、
織田さんがあとがきで自讃しておられるように、百人一首の成立後700年もの間、
解き明かされることのなかった謎が織田さんの手によって見事に解決されたということは、
本当に素晴らしいことだと思います。織田さんの発想とご苦労に心から感謝したいと思います。
ありがとうございました。
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