れんげ草の咲くさんぽ径〜舟木一夫の世界

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絶唱  1966 9月17日公開  100分 
西河克己:監督・脚本  大江賢次:原作 
キャスト  園田順吉:舟木一夫  小雪:和泉雅子
 
園田惣兵衛:志村喬 小雪の父:花沢徳衛  小雪の母:初井言栄
 
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『絶唱』・・・このタイトルでブログを書くには、正直なところかなり勇気がいります。
 
数多くの舟木一夫さんの作品の中でも歌と映画のいずれもが、これほどヒットし、また今なお、たくさんの舟木ファンの中に絶大な存在として座しているものは他にないと思っていますから。
 
私にとっても、もちろん『絶唱』という作品は舟木さんの歌唱と、園田順吉そのもののようにスクリーンに現われた舟木さんの佇まいとが相俟って、心の奥深くに沈み、長い間、園田順吉は舟木一夫の影のようなイメージとして存在し続けてきました。そして、昨年秋に40数年を隔てて舟木さんに「再会」を果たした後も、なお舟木一夫の後ろには園田順吉が生き続けているように思えています。
 
舟木一夫と言えば『高校三年生』・・・という世代はおそらく私より数年上の世代ではないかと思います。
広く云えば「同時代」に青春を過ごした者という枠組に入れていただけるようでもありますが、心身ともに成長期である十代の前半と後半とでは少なからざるギャップがあると思います。
 
舟木さんのデビュー当時1963年には、私は小学五年生でした。華々しいデビューを飾った舟木さん(のよう)ですが小学生の私にとっては、正直それほど強いインパクトはなかったように思います。
歌謡曲はどれも好きで「歌番組」は観ていましたし、舟木さんはステキだと思っていましたが、まあたくさんいる歌手の中では好きな人・・・というくらいでしょうか?
 
私としてはむしろ大河ドラマの『赤穂浪士』で矢頭右衛門七を演じた頃から「遠い存在のあこがれの異性」として意識するという感じになってきたように思います。(『赤穂浪士』の放映はデビューの翌年くらいでしょうか)当時小学生だった私には、舟木一夫そのものについての情報など全くありませんから、舟木さん演じる役柄の男性にあこがれるというタイプだったのかも知れません。
 
そして、舟木さん演じる役柄の男性が御本人と役どころがピッタリだったのが『北国の街』(1965年3月公開)の海彦さん。
この歌と映画でさらに舟木さんは「私の好きなタイプ」になってしまったようです。
 
『北国の街』から『絶唱』をリリースするまでの期間に私が好きだった曲は『あありんどうの花咲けど』〜『高原のお嬢さん』〜『哀愁の夜』〜『敦盛哀歌』というマイナーコード路線の曲です。
 
小学生から中学生となって「女学生の友」を愛読するようになると私はさらにセンチメンタルな「女学生」になっていったのでしょうね。清少納言の「をかし」よりも紫式部の「あはれ」が好きな少女だったのかも・・・と今になってみると思いいたります。
 
そして、1966年8月に『絶唱』が発売になりますが、その前年の1965年にTVの昼の時間帯の連続ドラマ「絶唱」が放映されました。これは私の「あはれ」の世界にピタッときて欠かさず見ていました。
小雪は佐々木愛さん、順吉は山本豊三さん。ですから、舟木さんの歌唱で『絶唱』が世に出た時には子ども心にも本当に嬉しくて、あの私の大好きな世界をそのままに歌として表現してくれる舟木さんは「園田順吉」になってしまったのでした。その上、映画化もされる。しかも順吉は舟木さん自身なのです。
 
当時の地方の中学生が映画を観に行くなんて、不良扱いでしたから、「父兄同伴」が条件でした。なんだか悲恋物語を「父兄同伴」で観るなんてテレくさいというか、つまらないというか・・(笑)もう今では誰と一緒に行ったのかすっかり忘れてますが、そういう「めんどうくさい」条件下の中で観たのが私の『映画・絶唱』体験でした。
 
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二度目に『絶唱』の映像の中で順吉さんに会えたのはまだつい三ヶ月ほど前のことです。舟木さんファンのブログを通してお近づきにさせていただいた方の御好意で『絶唱』のDVDを観ることができました。
ナマの舟木さんの舞台を拝見したのは昨年の秋が初めてでしたが、スクリーンの中の舟木(順吉)さんとは半世紀ぶりの再会となりました。なんだか初恋の人に出逢ったような気分でドキドキしました(笑)
 
 
大江賢次氏の原作は読んでいませんが、この作品が映画化された1960年代という時代背景を思えば、
少なくとも今よりは国民、ことに若者が真っ当に世の中の矛盾や理不尽さなどと向き合っていた時代のように思いますから、そういった意味でも当時私より少し上の世代の若者には共感を覚えるベースは押さえて原作の意図を生かした作品づくりだったのではないかと思います。イメージ 11
〜写真は京大時計台前で左から西河監督、大江賢次氏、西條八十氏、舟木さん〜
 
以下のあらすじは様々なところからヒントを得て私なりに整理したものです。引用箇所もあるのでその点はご了承いただければ幸いです。
 
あらすじ
 
園田家は代々山陰の大地主。当主は園田惣兵衛。一人息子の順吉は、素朴で心優しい山番の娘小雪に魅かれている。
地主としての地位と財力をもって村の人々に君臨している父惣兵衛には強く反発し、父のような生き方を恥だと思い自分はそのような生き方をしたくないと思っている。
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京都の大学で勉学に励んでいる順吉がいないうちに父惣兵衛は小雪を順吉から遠ざけるために小雪の両親に言い含めて、村から出してしまおうとする。イメージ 18この事が引き金となり、順吉は家を捨てて小雪と共に日本海を臨む、砂丘の広がる小さな町で暮らし始めた。順吉にとって貧しいけれど、小雪と二人で生きる日々は充実した幸せな毎日だった。
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二人の周囲には温かく二人を見守る人々もいた。読書会の仲間たち、下宿のおばさんやおじいさん。イメージ 4.しかし、そんなささやかな幸せに満ちた暮しは束の間だった。とうとう、順吉に「赤イメージ 5紙」が届いた。出征前の「送別」の席で小雪が
「木挽唄」を唄った。
 
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小雪を残し、順吉は出征した。二人は、出征の前夜、毎日決まった時間に「木挽唄」を唄うことを約束した。ひとり残された小雪は、ヨイトマケの仕事をして気丈にも順吉の帰る日をひたすら待った。しかし、そんな暮らしの中でも小雪にとって順吉と一緒にいるような幸せな時はあった。それは順吉と約束した「木挽唄」を唄う時間だった。戦地の順吉にとってもその約束の時間は小雪を思い、なんとしてでも「生きて小雪の元へ帰る」という強い信念を奮い立たせる時間でもあった。イメージ 8
 
イメージ 7しかし、その頃は順吉からの便りも小雪には届かず、過酷にも月日は流れ、やがて終戦がやって来た。律義で心優しい小雪は人の厭う看病の仕事もしていた、また肉体を疲弊させる労働も重なりいつしか小雪は重い病に侵されていた。「読書会」の仲間の大谷は復員して来たが、未だ順吉は戻らなかった。園田の家では、当主の惣兵衛が急死した。そして、やっと小雪の両親は惣兵衛への気兼ねをすることなく病んだ娘に逢いに行けるようになった。
イメージ 9しかし、両親が駆け付けた時は既に小雪のいのちの灯が燃え尽きようとしていた。起きあがる力もない小雪は手鏡で窓の外に砂丘を見て順吉を待った。そんなある日、砂丘の砂を踏みしめて小雪の元へ向かう順吉の姿が・・・。イメージ 10
「あの人の足音がする・・・あの人が帰ってきなさる・・」
 
しかし七年という歳月を健気にも待ち続けた小雪は順吉に抱かれて息を引きとった。
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順吉は、その翌日、小雪の亡骸と共に園田家に帰った。イメージ 13花嫁衣装の小雪と紋付袴の順吉の婚礼が行われた。そして、順吉は村人たちを招き入れ、「私は地主として帰ってきたのではありません。小雪のような哀しい女がいなくなるような世の中にするために・・・」と自分の中に生きている小雪と同じ立場の村人たちと一緒に生きていくことを宣言する。その夜、花嫁衣装の小雪を抱いて小雪が愛した山の景色をいつまでも見つめる順吉だった。
イメージ 14
イメージ 15
 
 
絶唱  作詩:西条八十 作曲:市川昭介
 
愛おしい山鳩は 山こえて どこの空
名さえはかない 淡雪の娘よ なぜ死んだ ああ 小雪
結ばれて 引き裂かれ 七年を西東 
いのち短く待つ日は永く 泣きぬれた ああ 小雪イメージ 16
 
山番の山小舎に 春が来る 花が咲く 
着せて空しい 花嫁衣装 とこしえの ああ小雪
 
なぜ死んだ ああ 小雪
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
この作品の時代背景は昭和15年頃から終戦後の22年ごろでしょうか(歌詞に「七年を西東」よりとありますから)
 
映画の冒頭で順吉の父惣兵衛が発する言葉に大江賢次が『絶唱』でテーマにしたものが如実に表れています。「お前には一番悪いものがとりついた、思想じゃ!」と
 
文学を通し、当時は危険思想とされた「平等思想」に目覚めた順吉。山園田という大地主のひとり息子として生まれたことに負い目を感じ、労働することによってのみ生計を立てて暮らしている無産階級の読書会の仲間たちの中に身を置いて、共に生きようとする純な青年を舟木一夫は、そのまっすぐな眼差しで清新に表現しているのです。
 
そして、山番の娘小雪を演じる和泉雅子も同様に、順吉が理想とする「あるべき人の生き方、心根のありよう」を体現するかのように無垢で純真可憐な小雪を控え目な佇まいで自然に演じていることに心打たれます。
 
そんな小雪の山育ちの、溌剌とした身のこなしを順吉は「山鳩」と呼んで愛おしみました。可憐であるのみではない額に汗して働く逞しい人間の美しさをも小雪に見出していたのだと思います。そして、その想いは順吉が何不自由ない大地主の若様として育ってきたことへのうしろめたさによるものであったのかもしれません。
 
順吉と小雪が駆け落ちをして生活に困窮し、「日雇い人夫でも肥汲みでもやるよ。でも肥え臭くなったら小雪に嫌われるかな?」と言う順吉に「 もしもこの世にこえくみやがいなかったら困りますけに」と答える小雪。
 「うちはあほやけに・・」と学問のないことを卑下する小雪ですが、「人間はどんな仕事に携わろうと労働とは尊いもの」という小雪の感性を順吉は何より愛したのだと思います。
 
私は順吉が「小雪は大切なことはなんでも知っているんだね」と尊敬をこめた眼差しで小雪の肩に手を置いてささやく場面が一番好きなのです。
 
この映画では、大江賢次の伝えたかったこのような思想は、ベールに包まれてはいますが確実にメッセージとして観る者の心に伝わってきています。「悲恋」をテーマにしつつ、その「悲恋」が社会の矛盾や戦争によって引き起こされたという事実は覆い隠すことはできません。
 
この映画は、また、こうした社会の矛盾に呑みこまれてしまう人間の弱さをも同時に描いています。園田の山できこりをしている読書会の仲間が、地主としての権力を用いた惣兵衛の云うままになり、順吉の心変わりをほのめかす嘘を小雪に伝えますが、小雪はその弱さをも肯定し、逆に嘘をつかねばならなかったことに心を痛め、恨みもせず許すのです。
 
戦後、順吉が帰還する直前に父惣兵衛が急死しますが、これは戦後の「農地改革」による「地主と小作」という制度の崩壊を象徴しているようにも思えます。
 
小雪が死んでしまった場面で「完」となるのではなく、そこから順吉の「小雪と共に生きる」人生が始まるというのが、この作品がただの「悲恋物語」ではないことの証明ではないでしょうか。とは云え、こういったことを当時中学三年生だった私が理解していたはずはなく今だからこそ、この作品の底に流れるテーマを見出せたのだと思います。
 
順吉は「いのち短く 待つ日の永かった」小雪の亡骸を抱いて園田の家に帰りますが「山園田の地主として帰ってきたんじゃありません。」と村人たちに宣言します。
 
死んだ小雪への鎮魂として「小雪のような哀しい思いをする人」がいない社会を作る・・・「小雪を自分の中で永遠の命にするんだ!」という順吉の決意が、あの「結婚式」だったのでしょう。単なるロマンチシズムであるならば異様な行為なのですから。
 
あの婚礼は、「この世にまだまだたくさんいるであろう小雪」を幸せにするんだという順吉の小雪への誓いの儀式だったのだと今は思えます。
 
 

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追記:この記事を書いた翌日にある舟木さんファンの方のブログで和泉雅子さんが銀座シネパトスのトークショー(2010年)で以下のようにおっしゃっていることがわかりました。ここに抜粋転載させていただきます。〜「絶唱」のラストに近いシーンで結婚式の後村人達に挨拶するシーンがありますが「あれは舟木君が自分で考えて入れたシーンで、私は死体だったから黙って聞いていたけど、長い台詞も凄いなぁ〜って思いましたよ。三本ある絶唱の中で園田順吉役は舟木君が一番ピッタリ。〜(ブログの日付けは2011年7月10日)ラストシーンは舟木さんご自身が発案されたものだということを知ってさらに感動しました。原作を深く読み込みこの作品の一番伝えたいテーマをしっかりと汲み取っていた舟木さん。まだ年若かった舟木さんですがプロの俳優としての覚悟を持って『絶唱』という作品に賭けた舟木さんの真摯な想いをあらためて知ることができました。

2013/3/13(水) 午前 10:20 春日局 返信する

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春日局様は、私が舟木さんに対して思い抱いていた(歌や映画や人柄)を表現してくださいましたので、とてもうれしく思いコメントさせていただきました。私は、確か高校三年生を小学6年のとき聞いたと思います。ませていたのかもしれないけれど、なんてすてきな声,そしてすてきな雰囲気と思いました。その時から舟木一夫にあけくれました。そして、北国の街、絶唱、を高校一年のときに映画館で見ました。その後、舟木さんの映画は見てないです。たぶん、進路のことととか、いろいろありましたので、舟木さんから、遠ざかったのだと思います。そして今、大の舟木一夫フアンです。宮城に住んでいますので、仙台のコンサートの時には必ず行きます。なお、後援会にはいってないので、武蔵野舟木組など拝見させていただいて、舟木一夫を楽しんでおります。

2013/4/4(木) 午後 1:15 [ popai415 ] 返信する

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コメントありがとうございます。舟木さんとの一度目の出逢い、長いブランク、そして二度目の出逢いというプロセスは私とpopai415さんとはほぼ同じみたいですね。お住いが宮城県だそうですね。東日本大震災は本当に大変でしたね。今年も仙台でもコンサートがあるといいですね。『絶唱』・・私はつい最近、原作を読みました。涙で文字がかすみました。小雪も素晴らしい女性だし順吉も本当に誠実で優しく正義感にあふれた青年で本を読んでいても舟木さんそのものだと思いました。もっと早くに読んでおきべきだったと反省しています(笑)舟木さんご自身の企画で実現した映画化ということがなるほどと頷けるほど順吉(若様)と舟木さんは純粋さや強さという点で本当によく似ていると改めて思いました。私の中では今も舟木さんと若様はダブって見えています

2013/4/4(木) 午後 10:33 春日局 返信する

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舟木さんと和泉雅子さんの絶唱は、何度みても、胸が熱くなって、涙が出ます。順吉さんと小雪は、純粋に愛し合ってるのが画面からすごく伝わってきます。それに感動して、胸が熱くなるのでしょう。私も、まさに順吉は舟木さんですし、小雪は和泉雅子さんのような気がしてます。お二人には、今後も、ますます御活躍されることを願ってます。。東北大震災では、皆様に、応援していただきまして、本当にありがとうございました。私の住んでいるところは、震度7だったので、生まれてはじめて強い揺れを体験しました。家は3分の1ぐらい壊れました。まだ、余震があり落ち着きません。家は、ある程度直しました。古い家は全壊もありました。これを体験して、鴨長明の書いた、方丈記を思い出して、無常観に浸った時期もありましたが、まえを向いて、頑張っていこうと思っています。なんたって、舟木一夫さんが、あのように頑張っているのですから。

2013/4/5(金) 午後 0:08 [ popai415 ] 返信する

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popai415さん、やはり大変な想いをなさったんですね。
〜ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたはかつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世の中にある人と栖と、またかくのごとし〜「無常観」は舟木さんの中にも若い頃から宿ってたのではないかというような気がしてなりません。だからこそ「強い魂の力」でたくさんの困難を乗り越えてこられたのだとも思います。決して否定的な意味でなく「無常観」あればこそ今を懸命に生きるということを舟木さんは身を持って教えて下さっているように思います。私は近いうちに『絶唱』の原作を読んで感じたことを『絶唱・その2』としてブログに綴りたいと考えています。またpopai415さんの色んな想いをお聞かせ下さいね。

2013/4/5(金) 午後 0:31 春日局 返信する

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