れんげ草の咲くさんぽ径〜舟木一夫の世界

この度の豪雨により犠牲になられた方のご冥福を祈り、被災された方々に心からのお見舞いを申し上げます

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『陽射し・旅人』あの頃の舟木さん・その10〜ライブアルバム・1976年舟木一夫コンサートより(上)の続きです。
       舟木一夫リサイタル〜秋に謳う・76
 1976年11月3日 東京郵便貯金ホール 収録 (リサイタルは2日と3日開催)
 
イメージ 1第二部
 
SIDE3 (25:52)
学園広場
よみがえる夜明け
別涙
マリーこれが涙だ
高校三年生
 
〜オリジナルメドレー〜
あゝ青春の胸の血は
あいつと私
高原のお嬢さん
北風のビギン
山のかなたに
日曜の恋人
レマンのほとり

SIDE4 (15:30)
ブルー・クリスマス
哀しみの終わる時
忘れないわ
愛のフィナーレ
メイ・イーチ・デイ
 
以下は(上)で、予め紹介していたアルバムに付記されていた「論評」です。この文面については(上)で、少し私の見解も掲載していますので、併せて御覧いただけたらと思います。
 
舟木一夫の可能性 詞を語り、旋律を謳える資質 
 
イメージ 2結論をまず書く。歌手・舟木一夫が、豊かな資質と、大きな可能性を持つ個性であることを発見した。いまさら、発見というのはある意味で彼に失礼かもしれない。しかし、「舟木一夫 秋に謳う」と題されたリサイタルのテープを聴くまでは、正直にいって水準を擢んでた個性とは考えていなかった。もちろん「高校三年生」でヒットし、「絶唱」でレコード大賞歌唱賞を得た歌手として、それ相応の評価はしていたつもりだった。だが、その評価にしても単に歌唱が巧みであり、人気歌手としてある位置を占めているといった程度のものでそれ以上のいわゆる存在感のある個性といった形での認識はもっていなかった。それが、リサイタルのテープを聴いて大げさにいえば、現在の多くの歌手にはない得難い個性であることを確認したわけである。これはぼくの不明であった。シャンソン「枯葉」に似たメロディーが導入である。彼は旋律にのせて「二人のために歌おう」と聴衆に語りかける。静かな、それでいて、説得力のある呼び掛けである。ぼくは、残念ながら、仕事の関係でこのリサイタルには行けなかった。テープを聴きながらこの現場に立ち会えなかったことを悔んだ。というのも、プロローグからエンディングまで、リラック
スしながら、ある緊張感がみなぎっているのを感じたからだった。この種のステージは、よほどの個性の持ち主でなければ作りえないだけに、出来れば客席で、ナマで、歌の一つ一つを聴きたかった、と考えたものだ。例えば、なりわいの儚さを語りながら「波浮の港」から「船頭小唄」へとつなげていく感傷、そして、「一葉舟」で盛り上げた抒情など、客席で聴いたら、聴き手の感動の渦の中に浸ることが出来たろう、と思ったものだ。このような状況を作り得た歌手、舟木一夫君に更めて感心してしまった、というのが偽りのない告白である。それにしても、彼・舟木は成長した。若手のアイドル歌手だった彼が、ここまで大きくなったのは、彼にとって、挫折の季節が決して無為なものでなかったことを証明する。挫折を持てなかった人間は信用できないが、挫折を有為なものにする人間も多くはない。彼は、その多くはない人間の一人だったことも、このリサイタルで、はっきりしたわけである。具体的にいえば言葉を語り得る巾を持つことが出来た。旋律を旋律の流れのままに謳いあげることができた。詞を語り、旋律を謳える歌手として、存在感を定着させたわけである。曲の細部は聴いていただければわかる筈であ
る。全体をある統一感でまとめた構成も成功している。新しい舟木一夫の出発である。(小倉友昭)
 
イメージ 3第二部

学園広場
 
空にむかって あげた手に
若さがいっぱい とんでいた
 
デビュー当時とは違う、そして今の舟木さんとも違う「学園広場」です。
それほど遠い昔ではない十代の頃を想って歌うような舟木さんの声はこの曲でも切なさが勝っています。

よみがえる夜明け
 
おまえの悲しみに そむいて汽車に乗る
くさりのからんだ日々に さらばと告げて
 
この曲は、私的にはなぜだかとても重く感じるのです。ちょっとムリしてませんか?舟木さんって・・
一番「旅はすてない」二番「夢はすてない」三番「道はすてない」それぞれラストフレーズがこれです。
この頃の舟木さんの心情を後付けするからかもしれないのですが、そんなに頑張らなくても・・・とついつい思ってしまうのですよね。

別涙  作詩・作曲:因幡晃

白い旅行カバンを渡す時
そっとふれた貴方のやさしい手
人ごみに言葉をかき消され
涙がさようなら 云っていた

「別涙」と書いて「わかれ」と読むんですか?メロディーは聴いたことがあるように思うのですが、私の記憶にはあまりない曲です。これも私が子育て真っ最中の頃のヒット曲のようです。「わかって下さい」なら知ってます(笑)でも、舟木さんが歌うとやっぱりとても沁みます。

マリーこれが涙だ  作詩:阿久悠 作曲:森川公一

さよならマリー ふりむくじゃない
君は今日からは ひとりきりだよ
幼い愛を 捧げてくれた
だけどこれ以上 抱いてはやれぬ
一年が過ぎた時に
この愛は終わるはずだった
三年がいつの間にか
通りすぎ 僕は苦しんだ
まだ若い君のことを
思うたび 胸が痛くなり
いつの日かさよならを
云うことにきめていたんだよ
マリー愛してる 別れたあとも
 
舟木さんが好きな歌と言っていらっしゃる「五番街のマリーへ」の発端篇?と想像させる歌詩です。
作詩は、いずれも阿久悠氏ですから、やっぱりどこかでストーリーが繋がっているのかな?
 
イメージ 6
 
(舟木さんの語りです)
まるで僕のこころのように
まるで僕の名前のように
まるで僕の影のように
いつも寄りそう歌がある
忘れられない歌がある
 
高校三年生
 
赤い夕陽が 校舎をそめて
ニレの木陰に はずむ声

 
 
 
 
イメージ 7〜オリジナルメドレー〜
あゝ青春の胸の血は  
あいつと私

高原のお嬢さん
北風のビギン
山のかなたに
日曜の恋人
レマンのほとり
 
「レマンのほとり」と「日曜の恋人」は、ちょうどこのリサイタルの頃の一番新しいシングルですね。今聴いても、二曲ともとってもいい曲なんですが、当時はどのくらいヒットしたのでしょうか?全くこの頃の舟木さんのことを覚えてなくて、この2曲もリアルタイムで聴いた記憶すらありません。1976年・・・考えてみたら、一番上の娘が生まれた翌年です(笑)舟木さんどころか、音楽ってほとんど聴いてなかったかも。子育て真っただ中に入っていきつつあった私なんですね。
 

イメージ 5ブルー・クリスマス
訳詩:中里綴作曲:ビリー・ハインズ/ジェイ・ジョンソン
 
I'll have A Blue Xmas Without You
静かに夜は更ける
誓い合った 夢も消えて
残るは あつい涙
 
哀しみの終わる時
訳詩:岩谷時子・山川啓介  作曲:ミシェルポルナレフ
 
哀しみの終わる時
この世から去る時よ
私はただあなただけに
使いはたした命
 
カトリーヌ・ド・ヌーヴ主演のフランス映画の主題曲 
 
 
忘れないわ 
作詩:山上路夫 作曲:三木たかし
 
忘れないわ あなたを
別れたあとも 胸に生きるわ
もしもふたたび 恋をしても
あなたに似てる人でしょう
 
ペギー・マーチが日本語で歌って大ヒットしましたね。私も歌えます(笑)舟木さんが歌うと切なさが胸に迫ってきます。

愛のフィナーレ  
作詩:なかにし礼 作曲:宮川泰
 
恋の終わりは 涙じゃないの
それは思い出の はじまりなのよ
知っていました 別れは来ると
だからいいのよ いいわけなんか
 
こちらは菅原洋一さんのカバーですね。「今日でお別れ」「忘れな草をあなたに」「知りたくないの」なども「女唄」ですが、いわゆる演歌の「女唄」よりも垢ぬけた都会的な香りです。こういった曲もジャンル的には舟木さんの守備範囲なんですね。

イメージ 4メイ・イーチ・デイ(アンディウィリアムズショーエンディングテーマ曲)
訳詩:松原史明 作曲:G,WYLE
 
ほんの少し こうして
見つめあっていたい
通い合った 心をじっと抱きしめて
一人一人 こうして
話し合っていたい
忘られぬ 今日の日に
別れ告げる前に
朝が来て 夜が来る
変わりのない 毎日も
幸せに 満たされて
ほほぬらす 時が来る
*
忘れないさ あなたを
こんなにも たのしい
素晴らしい 今日の日を
私にくれた人
のばしたい さようならを
Good Bye
*くりかえし

この頃はまだ、「グッド・バイ・ソング」は生まれていなかったんですね。舟木さんが、コンサートのトークでよくおっしゃってる、この場面でこんな歌がほしいなぁ・・という気持ちから、自分で曲を書くようになったということと繋がってきます。オリジナルナンバーがない頃には、できるだけ自分の気持ちを伝えられるような曲を探して構成に組み込んでいらしたのでしょう。だからこの頃のコンサートには外国の曲が多いのかもしれません。オープニングの「今宵あなが聞く歌は」もコンサートの幕開けに謳うのに、ピッタリの曲ですが、やっぱりカンツォーネです。既存の日本の曲にはこういったスケールの大きな愛、広い意味の愛を歌いあげた曲はあまりなかったのでしょうね。私も、高校時代は、アンディウィリアムズが好きで舟木さんのレコードは一枚も買ったことがないのにアンディウィリアムズのLPや、カンツォーネのLPは買いました。そういった意味でも、とっても懐かしい曲が、舟木さんの澄み切った歌声で聴ける貴重なアルバムです。

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何時も素晴らしいグログ有難う御座います。楽しみに拝見しています。私も夫が1976年の夏大阪から東京本社の広報室勤務になり猛烈に忙しく毎日12時過ぎての帰宅、一才半の長男と横浜の社宅で四苦八苦、舟木さんはテレビで拝見するのが唯一の楽しみでした。ちなみに舟木さん宅にお子様が誕生さてたのは1980年の12月でしたが、我が家は11月に長女が誕生しました。舟木さん宅もお子様が誕生されて良かったと嬉しく思ったのを覚えています。同じ頃結婚したのに我が家は二男一女、コンサートどころか映画もお預けでした〜。夫は過労で倒れるし〜。若かったから立ち直れて今があります。「レマンのほとり」大好きな歌でしたので、十年前憧れのレマン湖に行った時は感激しました。

2013/9/28(土) 午後 11:12 [ tom*e22** ] 返信する

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tom*e22**さん、舟木さんと御自身の歴史を重ね合わせてたどれるのもいいものですね。私は本当に全くといっていいほど「絶唱」あたりから舟木さんの存在は「ほぼ圏外」でした。ですからそれぞれの時代のリアルタイムでの舟木さんをほとんど思い出したこともテレビで拝見した記憶もないという有様です。唯一「初恋」を歌っていらした頃にテレビで拝見してこれが「私の好きだった舟木さんの姿だわ」と嬉しく思ったことがあります。結婚されたことまでは知ってましたがお子さんが生まれたことも全く知らなかったです。テレビで舟木さんが出演されてるのを観た記憶も全然ありません。我ながらビックリです(笑)多分今、舟木さんの旅路を新鮮な気持ちでたどれるのは私には全てが未知のことだからだと思います。私にとっては「再会」というよりも「初めての出逢い」と云うのが正確かな?と時々想います。

2013/9/29(日) 午前 9:53 春日局 返信する

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春日局さん
ちょっと留守をしていましたので、上、下、一挙に読ませて頂きました。この時期のアルバムはCD化されていないでしょうね。本当に聴きたいです(春日局さんの解説を読むとなおさら)音楽評論家?でしょうか小倉さんの評論を読むと、私などが感じている舟木さんのすばらしさをより深く、また価値あるものとして捉えられていて大変納得もし感激します。この時期、舟木さんの値打ちを玄人の方も気づき始めたのでしょう。もちろん初期の頃から気づいていた方もおありでしょうが春日局さんのおっしゃるように
今までに例をみないアイドルぶりに、歌手としての評価をためらったかも知れません。全国の少女達の熱狂ぶりをみると、やや後ずさり(笑)したでしょうね。私も今になって舟木さんの歌そのものに向き合い癒されています。(しかも今だにアイドル性が抜けない・・)評論家の先生も苦笑ですね。

2013/9/29(日) 午前 11:55 [ 復活舟木組 ] 返信する

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春日局さん そろそろ心身ともにお疲れが顕著になっていた頃に発売された♪よみがえる夜明け、、、2009中野サンプラザファイナルのオープニングで初めてお聴きして、この歌詞がどうしても知りたくなり「全曲集2009」を購入しました。その後、この曲が発売になった年(昭和47年3月)を知りましたが、こんな歌詞と曲調、私やっぱり好きなんですよ〜。元気付けてあげようと、何だか誰かが一生懸命作ってくれた応援歌のような曲だなぁと。♪ 昨日の架け橋を わたれば明日がある〜悩みに生命も痩せた お前を抱いて〜なんて、この後舟木さんが自作をしていかれる曲に繋がる世界も少し垣間見えてくるように思えて、ね。

2013/9/29(日) 午後 1:29 満天の星Lovely 返信する

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復活舟木組さん、本当にこの頃のライブの音源は復刻盤CDにして広く復活組の舟木さんファンに聴いていただきたいと思います。一口に「寒い時代」と言っても、舟木さんがこんなにすてきなステージをしていらしたことを多くの方に知っていただきたいです。ルックスも佇まいも美し過ぎるというのも「歌い手」としての評価のじゃまになっていたのかな?そしてまた、舟木さんは歌のみでなく映画でも舞台芝居でも水準以上の資質があったことがかえって「歌い手」という印象を薄めてなんでも屋さんみたいに思われてしまったのかもしれません。才能がオールマイテイ過ぎるというのが「歌手・舟木一夫」にとっての不運だったとも云えるかもですね。

2013/9/29(日) 午後 3:04 春日局 返信する

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満天の星さん、「よみがえる夜明け」を1976年のこのリサイタルで歌っていらっしゃるのですから舟木さんの想いも満天の星さんのおっしゃるように「昨日の架け橋を わたれば明日がある」をこの時点では噛みしめていらしたのだと思います。この曲がリリースされた時もきっと「旅、夢、道」を御自身の胸に抱えて頑張ろうとなさっていたんだとも思います。でも、今の年令の私から見るとどうしても苦しんでいらした頃の舟木さんを我が子のような気持ちで思ってしまうので「いいのよ、そんなに頑張らなくても・・」とついつい云ってあげたいような気持になるんですね。でも結果として舟木さんが大切なものを「捨てない」で踏ん張って下さったおかげで今の舟木さんに巡り逢えたのですね。

2013/9/29(日) 午後 3:24 春日局 返信する

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春日局さんこんばんは。
いつも、素晴らしいLPの紹介をありがとうございます。
1976年から15周年の頃の舟木さんのコンサート、レコード、アルバムは最高です。歌唱も好きです。
まったく見えない所にいた私です。残念です。
今、出会えたことに感謝です。

2013/9/29(日) 午後 11:26 [ kaoruko ] 返信する

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kaorukoさん、本当にいわゆる「再起」後から15周年ごろの舟木さんの歌唱と佇まいお顔つきには崇高な輝きを感じられます。なにかもう全て世俗の垢を落として美しいものだけが結晶したような印象を受けますね。この頃のナマのステージの舟木さんはどれほど美しかったんだろうと想像します。でも、私もチョー後ればせながら舟木さんの旅路のラストステージに間に合えて幸せです。どこまでもついていきま〜す

2013/9/29(日) 午後 11:54 春日局 返信する

私も、もう一度聴きたいです。ライヴ盤。懐かしいなあ。

2013/10/4(金) 午後 7:39 めぐみ 返信する

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めぐみさん、舟木さんにはたくさんのアルバムがありますがライブの音源は少なくて残念ですね。舟木さんが歌い手になりたいと思うきっかけとなったものがハリー・ベラフォンテのカーネギーホールでのライブ盤「マティルダ」というエピソードがありますが、それを思うと舟木さんの夢見た歌い手のイメージはライブで会場のお客さんと一緒に一体となって楽しむ姿だったんでしょうね。そういった原体験があるからこそ、今の舟木さんがナマのステージにこだわり続けていらっしゃるんだなぁと私は思っています。

2013/10/4(金) 午後 7:55 春日局 返信する

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