日本懐古録

忘れてはならない「日本の心」を山梨を舞台に探して行きたいと思います。

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旧富沢町(合併により現南部町)は山梨県の最南端に位置し、南は静岡県清水市、東は静岡県富士郡芝川町
 
に、西は赤石山系を堺に静岡市に接している。
 
地理的事情により、経済的にも文化的にも静岡県への依存度がとても強い土地柄である。
 
登尾は大字万沢の枝村の一つである。文化11年(1814年)成立の甲斐国志にもその名が記されており、この地
 
の発生は江戸中期以前まで遡るものと思われる。
 
万沢の枝村の大部分は、村内を東流する富士川支流万沢川流域に所在し、かつ甲駿往還沿いに位置する。
 
駿河との国境に位置するため、古くから口留番所(くちどめばんしょ)および伝馬駅が置かれ、一部は街村を形
 
成し、その他は山村である。
 
万沢は県内最古の天神堂遺跡(先土器時代〜縄文時代)が見られる他、武田信虎(信玄の父親)と今川氏との
 
合戦が万沢口で行われた。戦国時代、武田家にとって駿河と国境を接するこの万沢は、要衝の地であり、砦も
 
置かれた。
 
また万沢枝村の一つに西行というところがあり、甲駿往還(西行峠)は古来富士見三景の一つといわれ、西行法
 
師の歌行脚(うたあんぎゃ)にまつわる伝説が残る地でもある。
 
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集落へは林道というより農道に近い道が通る。ここはかつての生活道を村民の手で自力拡張したものだと地元
 
の方に伺った。旧版地図を見ても世帯数などがわからなかった為、地元の方に聞いた。
 
かつての世帯数は上下で8世帯ほど。
 
半自給自足的生活で、唯一の現金収入は養蚕と和紙の原料であるミツマタの栽培。
 
炭焼きもしていたが、自家用程度であったようだ。
 
離村の時期は早く、35年〜40年前には既に廃村となってしまったらしい。
 
それもそのはず。旧富沢町は総面積の87%は山林で、耕地面積は、総面積のわずか5%にすぎず、農地経営
 
による生産維持が困難であったことは想像に難くない。
 
高度経済成長の波に飲まれ、賃金労働への依存度が高くなり、ほとんどの住民は静岡方面への工場通勤者に
 
ならざるを得なかったそうだ。
 
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植林の杉林を進んでゆくと小屋のようなものが現れた。
 
ここではかつて2世帯が暮らしていたそうだ。
 
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土蔵だろうか?それとも納屋か?崩壊がだいぶ進んできている。
 
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門を兼ねた小屋?馬小屋?それにしても綺麗に残っている。
 
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正面から。かつて母屋があったであろう跡地にはミツマタのようなものが生えている。かつての名残だろうか?
 
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古材の移築のようなたたずまい。しかし、何件かの住民は家ごと転出したらしい。
 
母屋の木材が見当たらなかったのでここの住民もそうかもしれない。
 
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養蚕の道具と思われる。
 
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昭和30年代頃のカブだと思う。
 
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かつては畑か田んぼと思われる跡地があちらこちらにみられる。石垣もとても綺麗だ。
 
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炊事場であろうか?
 
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水甕だったのだろう。半分が土中に埋まっている。
 
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印判手のなます皿だ。文様が可愛らしい。明治か大正期あたりか?無傷というのは珍しい。
 
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近くには井戸まである。
 
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礎石のようだ。かなりの大きさであった。立派な大黒柱が乗っていたのであろう。
 
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美濃系、黄瀬戸か?幕末から明治期頃はありそうだ。瀬戸物の欠片があちらこちらに。往時の様子をうかがい
 
知ることができる貴重な資料である。
 
 
               
 
             南部町(旧富沢町登尾)廃村篇/2へ続く
 
 

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