|
旧増穂町忍澤(忍沢とも書く)は小室地区と平林地区との中間あたりに位置する集落であった。現在居住者は無
し。すでに地図のも記載もされていない。旧版地図をたよりに現地に向かうことにした。
忍澤集落へは旧版地図を見ると集落南に流れる戸川と忍澤へ隣接する二つの集落から峠道が繋がっていたよ
うです。時間はすでに午後4時半を廻っています。一番近いルートを選択し、地元の方にその入り口を尋ねること
にしました。
なんとたまたま声をかけた方が忍澤出身で、今現在も生家が残っているとのこと。その方も忍澤へは最近行か
れてないということで、道案内もかねて一緒に連れて行って頂く事となりました。
この峠道から進んでいきます。この峠道は正規のルートではなくかつて山々に点在した畑道ということでした。
正規の峠道は荒れ果ててしまって現在はこの道しかないということでした。
峠道には永遠と植林された檜林が広がっており、かつては見渡す限り畑だったと教えて頂きました。この檜林も
現在は管理する方もなく薄暗くもの悲しい道になってしまったそうです。 かつてはリヤカーが通れるほど道幅も広かったようですが、現在は人が歩けるだけの道幅しかありません。
歩くこと25分程で忍澤集落へ到着です。集落で唯一残っているこの母屋こそ、ここまで案内して頂いた方の生
家ということでした。こんな偶然もあるんだと本当に驚きました。
こんな機会は先ずありませんので忍澤について色々お尋ねさせていただきました。
かつての世帯数は4軒。生業は炭焼きや養蚕をし、僅かな水田と畑にて半自給自足的な生活を営まれていたそ
うです。昭和30年代がピークで4世帯で15〜18人程居られたようです。この頃は木材の需要の高まりもあり、伐
りだし作業などにも行かれていたそうです。それから僅か20年の間に全世帯転出されたそうです。
他の家屋は茅葺屋根だった為、早くに朽ちて倒壊してしまったそうです。この家だけが昭和30年代にトタン屋根
にしたため現在もかろうじて残っていると話されていました。やはり家屋の崩壊は少しづつですが進んでいるよう
です。家の中も拝見させていただきましたが、獣が荒らしたらしく、荒れ放題となってしまったらしいです。
次に集落の歴史について伺うと、この忍澤は平家の落人が住み着いて出来た集落だと教えていただいた。この
地域の周辺集落の中でも忍澤の発生が一番早かったそうで、それを物語るかのように江戸時代より以前の墓石
が今も残っているそうです。一番新しい物でも明治期の墓石だそうです。
確かにこの忍澤集落のすぐ脇には戸川へと注ぐ沢が流れ、忍び住むにはもってこいの環境であることは想像で
きる。だから忍澤となったのも納得できますね。 家屋があるだけで現在も往時の面影を色濃く感じることが出来ますね。
物置小屋と離れの便所だったようです。
倒壊してしまっていますが、これも家屋だったようです。
これは物置小屋だったようです。
集落北側にある墓地あとですが、獣達により引っ掻き回されご覧の様な姿となってしまっています。
自然の風化と、侵食により墓石の字は読めなくなっていますが、風化の状態からみても古いものであることは確
かです。
これで富士川町(旧増穂町忍澤)廃村篇はおしまいです。
ここまでご案内と忍澤の歴史を教えていただいた、○○さん本当にありがとうございました。
評価(☆五つが最高評価です)
・感動度 ☆☆☆☆
・古き良き日本度 ☆☆☆☆ |
全体表示
[ リスト ]





アキホさん。ポッチ♪ありがとうございます。
2011/6/5(日) 午後 9:54 [ 海鼠土蔵 ]
こんばんは
小室には2度ほどいった事がありますが、初めて聞く地名でした
忍、という一文字を聞いてもぞくぞくしますね。
忍澤は平家の落人が住み着いて出来た集落という事は相当昔から
の集落なんですね。
山梨では武田信玄以前の歴史はあまり多くを知れれていませんし
特に県内各地の歴史はこういった集落を含め調査研究する必要が
あるのだと思います。合併すると以前の町村史がますます貴重に
なる気がしますね。
大変貴重なお話でした。
2011/6/7(火) 午後 9:23 [ - ]
大室さん。私もそう思います。
歴史というものは必ず後世へと受け継ぐ義務が今生きている我々にはあると思います。
地元の方でもすでにご存知ない方も居られるほどです。
「古きを訪ね新しきを知る」ということですかね。
2011/6/8(水) 午後 5:37 [ 海鼠土蔵 ]
山中に突如現れる家屋!こんなにきれいな状態に残っているなんて貴重ですね♪
歴史を辿るロマンを感じます(^^)/楽しく拝見しました☆ポチ
2011/6/11(土) 午後 4:52
Clip-Clopさん。
ポチ。ありがとうございます。
山中の廃村は現代文明の香りをほのかにしか感じられず、本当に当時へタイムスリップしてしまったかのような錯覚に陥ります。
ワクワク、ドキドキ。本当にロマンを感じられるところだと思います☆
2011/6/12(日) 午後 2:37 [ 海鼠土蔵 ]
はじめまして、忍澤と申します。
以前からこのあたりに自分の苗字の地名があることは、地図の小さな文字からわかっていましたが、今回その様子を初めて知りました。なにやら不思議な気分です。
ちなみに私は曽祖父ぐらいまでは東京(江戸?)の出身、もしくは在住ですが、それ以前は不明です。もしかするとこのあたりの出身で、平民ゆえに地名を苗字にしたのかも、などといろいろと想像してしまいます。
貴重なレポートをありがとうございました。
2011/7/14(木) 午後 3:07 [ オシザワ ]
オシザワさん。はじめまして。
確かに明治以降、平民にも苗字を名乗ることが許され、故郷であった地名の名を付けたというのは考えられますね。
ちなみに忍澤集落に居られた4世帯の皆さんは苗字が一緒ですが親族関係にはなかったそうです。
平安時代頃の墓石も残っている歴史深い集落ですのでこの地をルーツとする方は日本中に居られるかもしれませんね。
2011/7/17(日) 午後 11:38 [ 海鼠土蔵 ]