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大嵐は南アルプス市(旧白根町)の大字である。旧芦安村より流れる御勅使川が山間部を抜けて甲府盆地へと
出ようとする北西部の山間部に位置する。
地名の由来は山の崩壊したところを「あらし」と言い、御勅使川の侵食した岩石段丘できりたった露岩を呈してい
る地形の特徴にちなんでつけられたといわれる。(白根町町誌より)
この地の歴史はとても古く、平安時代までさかのぼる。
日本史をお好きな方、山梨の郷土研究をされている方には、とてもお勧めのところだと思います。
それでは平安時代までタイムスリップしてみましょう。
旧版地図を見るとかつての世帯数は10軒前後はあったようです。廃村となった集落全体に言えることですが、や
はり交通の便というのが一番のネックだったように思います。現在は集落へと続く林道も開通しており、原動機の
乗り物があれば、比較的交通の便も良いところだったと思います。
大嵐集落の離村時期はとても早く、大正末期頃から始まり大東亜戦争の終戦前後にかけては大部分の方々が
村を離れられたそうです。
大嵐へと続く林道の入り口に立てられている標識です。手書きの標識というのも時代を感じてしまいますね。
それでは進んでいきます。
林道を5分程行くと忽然と開けたところが現れました。一面すもも畑が広がっています。大嵐に到着です。
現在はお寺を残し家屋は一軒もありません。
目の前には甲府盆地が広がっているのですが、この日は天気も悪く、ガスがかかっていた為見渡すことは出来
ませんでした。晴れていれば旧勝沼町まで見渡せるらしいです。 かつて集落があったと思われるところより少し南に下ったところに高さ1.2m程の小山があり、祠らしきものと石塔
が建てられている。
実はこの場所こそ南北朝時代に造られた須沢城の跡地なのです。悲しいことに須沢城跡として今に残っている
のは、確認できませんでしたがわずかに小高い石積みと土塁だけのようです。
これらの石塔は、室町時代のもので宝篋印塔、五輪塔とゆうもので、墓塔・供養塔などに使われる仏塔の一種
だそうです。
この石階段を登った先には大嵐集落で唯一残っているお寺があります。この須沢城を語る上でもこのお寺の存
在は深く関係してきます。大変すばらしく由緒あるお寺なのです。まさに中世の玉手箱☆
南アルプス市(旧白根町大嵐)廃村・廃城篇/2へ続く
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まさにタイムトリップですね♪コケに覆われた石の塔は幻の村への入り口のような感じがしました。神秘的です(^^)/階段の上にはお寺が!続きが知りたくなりました☆
2011/6/14(火) 午後 11:27
Clip-clopさん。コメントありがとう御座います。
江戸期の物というのは案外多く残っていたりしますが、それ以前のものとなるとなかなかお目にかかれるものではありません。
この集落全体が文化財的な存在にちかいと思います。
お寺周辺はまさにタイムスリップです☆
2011/6/15(水) 午後 5:40 [ 海鼠土蔵 ]