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戦後70年ということで今年は特にこの時期、戦争の番組を多く見かける。
TVをつけているだけで見る機会が多く
見ているうちにだんだん興味が湧いてきて自分から見るようになった。
私は昔からおじいちゃん、おばあちゃんと一緒に住んでいたからか
田舎育ちでお年寄りと接することが多いからか
昔から戦争の話を聞くことは多くあり、戦争のことを聞くのはなんだか好きだった。
戦争でどんな悲惨なことがあったかは想像もできなかったけど
自分が生きていなかった時代のことを聞くのは新鮮で、面白かった。
うちのおじいちゃんは大正12年生まれ、戦争には2年ちょっと行っていて
終戦後には捕虜となり、旧ソ連のもとで労働させられていたらしい。
私が子供の頃はよく、ロシア語で挨拶をしてもらったり陽気に話してくれたことを覚えている。
でも、決して戦火で戦った話をきいたことはなかった。
何も考えていなかったバカな私は「おじいちゃんは戦争で人を殺したことはあるの?」
と何度も聞いたことがあるけど、答えてくれたことはなかった。
なんてひどいことを聞いたんだろうと、今になって反省している。
就職後も、高齢者の方と接する機会が多く、また戦争の話を聞く機会も多い。
全職場で患者さんでいた96歳か97歳くらいのおじいちゃん、戦争には7年くらい行っていた、
シナの山奥で1週間以上歩き続けたこと、そして仲間と一緒に新しい靴下を盗んで
現地の人におにぎりと交換してもらって食べたことを何度も嬉しそうに話していた。
でもやはり、戦った話などは聞いたことがない。 現職場の患者さん、96歳のおじいちゃん。
兵隊ではなく飛行機で皇族など偉い人を乗せる仕事についていた人。 実際の戦場で戦うことはなく、司令部に所属していたという。
その方から聞く話は、戦争の悲惨さよりも、飛行機に乗っていろいろな国に行った話。
南の島の方の海はすごく綺麗だった、とか飛行機の中に細工をして食べ物を隠していた話とか
軍の電話線を切ってそれで罠を作ってワニを捕まえて食べた話とか…
どこかの国でたくさんの死体をトラックで運ばれたのを見たとか 自分の隣の人が流れ弾に当たって血まみれになったとかそういう話も聞いたけど
そういう話よりも自分の武勇伝的な話が多かったような。。。
その方曰く、戦地で戦った軍人や兵隊となった人はあまり語りたがらないと…
考えればそうだよね。だっていくら国のためとはいえ気持ちよく人を殺せるはずなんてない。。。
日本史や世界史を勉強していれば、だいたいの流れは習うけど
その内容、国や国民の考えや当時の教育等、本当のことは学校じゃ習わない。
恥ずかしながら、今回のTV番組を見たりニュースを見たりしたのを機に改めて調べてみたけど
複雑すぎて流れすらよくわからない始末…
第一次世界大戦、日中戦争、第二次世界大戦、太平洋戦争…
いろんな国のいろんな利害関係がこじれて始まった世界中の戦争。
当時の国の考えや国民の気持ち、教育、いろいろあったと思うけど
想像したってできるものではないと思うけど、戦争体験者の方々が語る番組を見て
いかに今までの認識が浅はかなものだったのかと衝撃を受けました。
「特攻隊」 言葉では聞いたことがあったし、命と引き換えに敵軍に突っ込んでいく
そういうことは知っていたけれど…
そのほとんどが20歳前後の若者で、何千人もの命が散っていったこと
初めて特攻隊用の飛行機が飛行場に来たとき、それを見た整備係の人が三本の芯管が出ているのを
一目見て、自爆用の飛行機だとわかり、その時どんなに恐ろしい気持ちになったのか
「特攻隊に志願する若者がたくさんいた、笑顔で任務に就いた」当時そんな風に報道されていたけど
「笑顔で去っていった人など1人も見たことがありません」と言った当時の整備係りの人の話が忘れられません。
特攻用の飛行機には、当初爆弾を搭載する機能がなかったそうです。 それは、その飛行機に乗れば敵軍に攻撃するためには自分が死ななければならないということ。
当時は国のため、母のために戦う、自分の命は惜しくない。
とそういう教育を受けていたとはいえ、20歳そこそこの若者が死ぬのが怖くないはずありません。
体験者の方々も言っていました。「喜んで飛んで行きます」そんな手紙が数多く残っているけれど
「行きたくありません」そんなこと思っていても書けるはずがない、検閲があるのだからと。
終戦に近づくにつれ、日本の攻撃の手段は若者による特攻が多くなっていったそうです。
戦争なのだから、敵国に対抗しなければならないのはわかりますが
日本の未来を築いていくはずの若者に、自らの命を絶つという手段しか与えないなんて
なんて残酷なんだと、ものすごく悲しい気持ちになりました。
もちろん、原爆による甚大な被害にもものすごく悲しい気持ちになりました。
当時は国にはさまざまな考えがあったのでしょうが
どうしてもっとはやく降伏することはできなかったのかと思わずにはいられませんでした。
原爆についても、さまざまな番組をやっていました。
投下されてから何年も放射能に苦しんだ方々、被爆したからと結婚後に差別を受けた方々。
苦しい体験を人に話すなんて、もっと苦しいはずなのに
繰り返して欲しくはないからと当時の話をする語り部の方々の話は印象的でした。
実際には広島、長崎でしたがその他にも候補の都市がいくつかあり
その中でも私のふるさと、新潟があったとのこと。昔、話には聞いていたけれど、本当だったとは。
広島の原爆投下後、次は新潟が濃厚だと政府から知らされた当時の新潟県知事は
国民の混乱を招くからと反対する政府を押し切り、新潟市民を緊急避難させ、
新潟市は一時無人の都市となったそうです。 私のようなものが戦争についていくら考えても、当時の体験者の方々の話を聞いても
完全に理解できることなど到底ありえませんが
今まで知るのを避けてきたような残酷な事実も、まずは知ることが大事なのかなと思います。
これを機に、もっと勉強していこうと思います。 そして今ある生活がどんなに幸せなことなのか、改めて考えさせられました。
どんなに辛いことがあっても、命までは奪われません。
美味しいご飯が食べられて、ふかふかのベッドで眠り、雨風、日照りにさらされることもなく。
なのに小さなことでごちゃごちゃ悩んでいる自分はどんなに贅沢なんだと…
ありきたりな言葉しか思い浮かびませんが
もう二度と戦争は起してはいけない、繰り返してはいけない。
世界の平和を願っています。
すべての人がそう思ってくれることを願っています。
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お久しぶりです
暖かなメッ...
コメン...



お久しぶりです。
本当に、戦争に行った人は多くを語らないですね。
鹿児島の知覧にある、特攻隊の記念館を見てきたことがあるのですが、なんて、今の日本と違うのだろうかって思いました。
2015/8/17(月) 午後 4:44 [ あんころもち ]
あんころもちさん、こんばんは
お久しぶりです
戦争、未知の時代すぎてぜんぜん想像もできないのですが
記念館や資料館やテレビでいろいろと知ることができますね。
特攻隊の記念館が鹿児島にあるのですねー。
2015/8/18(火) 午後 6:06
ナイスをくださった皆様、ありがとうございました
2015/8/18(火) 午後 6:07