「競って泳ぐ」これが、競泳です。 学校やスポーツクラブの大会からオリンピックまで、 大会規模の大きい小さいなどいろいろありますが、 レースに出場し、優勝する、これが競泳選手の目標です。 2位でゴールすれば、銀メダルはもらえます。 しかし、競うからには、トップを目指します。 では、どのようにしたら勝てるのでしょうか? まずは意識の問題です。 わたしは競泳選手でトップになるために、 一般人の生活はあきらめました。 何かを極めることとは、 普通を捨てることだとわたしは思います。 自分の過去を振り返ってみても、 学校生活、放課後の遊び、寄り道…… ふだんの『楽しいこと』が、すべて 『苦しいトレーニング』へと変わっていました。 狙うモノが大きければ大きいほど、 代償もそれ相応のモノになるのです。 みなさんも学校、仕事、 その他ふだんの生活ペースに合わせていると、 練習する時間はどんどん無くなっていくと思います。 オリンピックを目指している人でない限り、 すべてを水泳に捧げるということは なかなか難しいと思いますが、 自分の意識の持ちようで 練習時間は今よりももっと生み出せるかもしれません。 そうして苦労した結果、良い成績が出れば、 きっと喜びは倍以上のモノとなって返ってきます。 自分の生活パターンをもう一度見直してみましょう。 次に、体作りです。 これを読んでいるみなさんの中には、 厳しいトレーニングをはじめ、 日々たゆまぬ努力をしている人も多いと思います。 が、しっかり休養は取れていますか? 当たり前のことですが、 トレーニングをすれば筋肉痛になります。 筋肉痛とは、筋肉が傷ついた状態です。 その傷ついた筋肉は、休養を取ることで回復し、 より丈夫で強くなるのです。 がむしゃらにトレーニングをすれば 強くなれると思ったら大間違いです。 トレーニングをした分は、きっちり休んで、 筋肉を回復させてあげましょう。 最後は、食事です。 みなさんは、競泳選手の正しい栄養補給の仕方を ご存知でしょうか? たとえば、車にサラダ油を入れても走ってはくれません。 サラダ油がダメだからと言って、 ゴマ油を混ぜてみても、やはり車は走りません。 車と同じで、人間の体も、 間違った物や余分な物を入れたのでは、 しっかり機能してはくれません。 精神、肉体、食事。 これらがすべて揃わなければ、競泳選手は作れません。 では、どのようにしたら、 これらをバランス良く、 かつ効率よく揃えることができるのでしょうか? これから私がお話しすることは、 私自身の体験を元にした、 各種目の技術と体作りの方法です。 競泳選手としてオリンピックを目指す方、 タイムをもっと縮めたい方、 キレイなフォームを身につけたい方など、 目的は様々だと思いますが、 少しでもトレーニングのお役にたてていただければ幸いです。 では、また次回トレログでお会いしましょう! |
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2006年07月18日
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こんにちは、福永泰です。 この「トレログ」で、女子フットサルのトレーニングについて 解説していくことになりました。 どうぞよろしくお願いします! 最近は、男子はもとより女子のフットサルがとても盛んですよね。 僕は、プロサッカー選手を引退したあと、解説者やインタビュアー以外に、 男女のフットサルチームの監督も務めています。 現場で直接選手たちに指導をするなかで、身体的、技術的な面で 女子選手に必要だなと思ったことをここで紹介していきます。 もちろん、男子選手もあなどっていられないポイントばかりです。 皆さん、ぜひ実戦で役立ててくださいね。 まずは、男子に比べてどうしても弱くなってしまう筋力を 補うためにはどうしたらいいかについて。 筋力トレーニングで筋量アップに努めるのも一つの手段ですが、 時間がかかるし、つらいイメージもあるでしょう。 そこで、“ステップワーク”に着目してみることにします。 僕が、自分のチームやフットサルクリニックで 女子の指導をするときに必ず取り組んでいるのが、 ラダーという梯子(はしご)のようなものを使って行う、 ステップワークトレーニングです。 前向き、横向き、後ろ向きで、いろいろなパターンの 足の運びをリズム良く行います。 このトレーニングで、試合中のさまざまな状況に対応できる 体勢作りを習得することができます。 攻撃と守備が混在するフットサルの試合では、 「ボールをもらう」、「蹴る」、「相手をマークする」、 「ボールを持った相手にディフェンスをする」……など、 いろいろな動きをしなければなりません。 フットサルはコートが狭い分、動作時間の短縮が求められます。 一つ一つの動きのロスを極力少なくして、 スムーズな体重移動をするための足の運びを体得すれば、 どんな局面であっても気持ちのゆとりが生まれ、 自分の技術をより発揮できるようになります。 体勢を変えるとき、ボールをコントロールしながらよりも、 ボールのない状態の方が楽ですよね!? つまり、「良い状態でプレーするために、できるだけ準備しましょう」 ということなのです。 例えば…… 『味方からサイドにボールが出た時に、そのボールを中央から追って行った。 そして、ボールに触れた時の体勢がどんな状態なら、次のプレーにスムーズに移行できるのか?』 ボールを追っていったまま、 体がコートの外を向いた状態でボールを止めた場合、 コート内の状況は見えません。 つまり、相手や味方の動きがわかりません。 振り向いた時に目の前に相手が来ていたり、 コントロールに時間がかかってしまって 味方が良いフォローをしていても そのチャンスを潰してしまったりすることがあります。 協力:講談社ミスマガジンフットサルチーム 溝口麻衣 では、ボールの向こう側に回ってコートの内側に体を向けて ボールを止めた場合はというと、 相手がどんなディフェンスで向かってくるかもわかりますし、 味方の動きもよく見えてタイミングを合わせてパスを出すこともできるのです。 ボールに触れる直前のステップワーク、 つまり、ちょっとした足の運びで動きの質を上げられれば、 状況は一変します。 ほんの少しだけ動きを意識することによって、 その後のプレーがとても簡単なものにもなるのです。 協力:講談社ミスマガジンフットサルチーム 溝口麻衣 流れのまま楽な動きをしてボールを受けた後に大変になるか、 少し大変だけど素早くステップを踏みかえることでボールを受けた後にゆとりを持つのか……? 僕は、できる限り準備することをおすすめします。 |
小倉隆史(おぐらたかふみ) ≫ 生年月日 : 1973年7月6日 ≫ 出身地 : 三重県鈴鹿市 ≫ 資格 : C級コーチライセンス ≫ 主な経歴 : 四日市中央工業高校〜名古屋グランパスエイト(1992年〜1993年)〜エクセルシオール(オランダ)(1993年〜1994年)〜名古屋グランパスエイト(1994年〜2000年)〜ジェフユナイテッド市原(2000年〜2001年)〜東京ヴェルディ1969(2001年〜2002年)〜コンサドーレ札幌(2002年〜2003年)〜ヴァンフォーレ甲府(2003年〜2005年) 1992年 全国高校サッカー選手権大会優勝 1992年 インターハイ3位 1994年 日本代表選出 1995年 アトランタ五輪代表選出 四日市中央工業高校で不動のエースとしてプレーし、高校選手権優勝を経てJリーグ誕生前年の1992年に鳴り物入りで名古屋グランパスに入団。卓越したボディバランスとゴール嗅覚を持ち、ルーキーながらすでにエースとしての風格を漂わせていた。翌年、オランダ2部リーグのエクセルシオールへレンタル移籍し、チーム得点王に輝く。 “レフティ・モンスター”という異名を持ち、アトランタ五輪代表、ファルカン率いる日本代表に選ばれるなどの活躍を見せていたが、1995年、オリンピック代表のアジア最終予選直前の合宿で右足後十字靭帯を断裂という選手生命にかかわるほどの重傷を負った。 幾度の手術を乗り越えながら4つのクラブを渡り歩き、2006年2月、14年間の現役生活にピリオドを打つ。 身長183cm/体重78kg。
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荒木大輔(あらきだいすけ) ≫ 生年月日 : 1964年5月6日 ≫ 出身地 : 東京都調布市 ≫ 主な経歴 : 調布リトル〜調布シニア〜早稲田実業高校〜ヤクルトスワローズ(1983年〜1995年)〜横浜ベイスターズ(1996年) 1976年、調布リトルの投手としてリトルリーグ世界選手権に出場し優勝する。同大会準決勝のプエルトリコ戦ではノーヒット・ノーランを達成。 早稲田実業高校に進学し、その夏の甲子園に出場する。1年生ながら、準決勝まで44回無失点という大活躍でチームを勝利に導き、決勝に進出。横浜高校に敗れて準優勝に泣くも、その名を全国に轟かせ、「大輔フィーバー」を巻き起こした。甲子園には、春夏5大会に出場し、12勝5敗。 1983年にドラフト1位でヤクルトスワローズに入団し、同球団13年ぶりの高校生ルーキー初先発勝利投手となる。1986年から2年連続開幕投手。1988年のシーズン中に肘を故障し、アメリカで計3回の手術を受ける。3シーズンを経た後、1992年のペナントレースの最中に1軍のマウンドに復帰、チームはリーグ優勝を果たす。翌年8勝を挙げ、チームは2年連続のリーグ優勝。日本シリーズの初戦で先発して勝利し、チームの日本一に貢献した。1995年オフにトレードで横浜ベイスターズに移籍し、翌年引退。プロ通算成績は、180試合に登板し、39勝49敗2セーブ。 その後、野球解説者としてテレビ、ラジオ、新聞などで活躍し、2004年から西武ライオンズの投手コーチを務める。 身長179cm/体重85kg。
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