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今回はプロバスケットボール選手として活躍中の、波多野和也さんが登場。現在25歳と、「トレログ」6人のなかで最年少のアスリートです。お話からは、学生時代から夢中になってスポーツに取り組んでいた様子が伺えます。また、その陰には大切な「出会い」のエピソードも……。ぜひご一読ください!
まず第1回目は、僕のこれまでの経験についてご紹介したいと思います。僕がバスケットを始めたのは中学からでしたが、チームはあまり強くありませんでした。ただ、先生は厳しい人で、毎日練習前に校庭を20周とか、かなりの量を走らされていましたね。週に2回しか体育館を使えなかったこともあります。 高校でバスケットを続けるかはまったく考えていなかったのですが、静岡学園の小松裕幸コーチから一度練習を見に来ないかと誘われ、見に行ったという感じです。当時の静岡学園は強豪校ではありませんでしたが、チームを強くするということでコーチが着任し、僕らの代で初めて県外から入学したのです。 全国の舞台に立った高校2年の夏のインターハイは1回戦負けでした。それまで全国を経験したこともありませんし、「全国大会に出てみたい」ということが目標でしたが、その目標が実現してからは、優勝を目指したいと思い始めました。それだけの厳しい練習に取り組んでいましたし、「日本一になりたい」とだけ考えて日々バスケットに取り組んでいました。翌年、3年生のときはインターハイと冬のウインターカップにも出場しました。 卒業後、専修大に進学したのですが、高校のときも、進路については特に考えていませんでした。大学に行けるとも思っていませんでしたから。何回か、高校の練習に当時アシスタントコーチだった中原雄さん(現・同校ヘッドコーチ)が来てくれてはいたんですが、単にバスケットを教えに来てくれているだけで、勧誘されることはありませんでした。高校3年の最後までそういう感じでしたので、卒業後は就職を考えていましたね。 専修大は、とにかく基本を教えてくれるチームでした。大学に入ると、どうしても選手は派手なプレーなどに行きがちで、専修の選手も実際に派手なプレーをしたりもするのですが、毎日の練習は、アップ後に皆でドリブルをしてスタートさせるなど、基本をしっかりやることが大前提なのです。その上で、試合では好きなようにやれ、という感じでした。 入学したときには、「ここ、強いな」と正直思いました。幸運なことに、僕は1年生から試合に出させてもらいましたし、練習中は先輩にしごいてもらいました。普段から、レベルの高い練習に取り組むことができたわけです。そういうことを経験してきましたから、他のチームには全然負ける気がしませんでしたね。「今まで俺たちはこれだけのことをやってきたんだから、負けるわけがない」と。チームでは同級生の長澤晃一(能代工高出身、身長197cmのセンター。現IBMラグビー部所属)につくことが多かったので、練習中のマッチアップの方がきついくらいで、試合の方が楽だったのです。 当時、唯一目標にしていたのは、関東大学リーグやインカレでのリバウンド王でした。結局、最後まで2位に終わり、タイトルを取ることはできませんでしたが……。専修はかなり大きいチームでしたが、練習中から負けない努力をしていました。いくらチームメイトでも負けたくない。負けたら気分良くないですから。 今から振り返ると、中学から高校に上がるときの小松コーチとの出会いが大きかったと思います。もしコーチと出会えていなかったら、バスケットを辞めていたかもしれません。高校に上がってからも、専修の新関光一監督(当時)、中原コーチといった方と出会えたことも重要でした。このbjリーグに僕を送り出してくれたのも新関監督でした。そういう「出会い」というものが、自分のバスケット人生において非常に大事だったのだと今では思います。
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【バスケットボール】波多野和也
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