幸せクリスチャンの信仰日記

この世で生きていく上で役立つ話ばかりです。

全体表示

[ リスト ]

‘あなた自身を愛するように、あなたの隣人をも愛せよ’(聖書)
 
 愛するというのは、いわゆるエゴや自分の利益を求めることでなく、大切にすることである。
 好きと愛とは似ているようで、別物である。
 
 人間の好みというのは、環境や年齢、健康状態によって変化するものである。
 ブームになっている流行りものでも、ブームが過ぎ去れば時代遅れのダサいものになってしまう。
 
 隣人だからこそ、気に障ることや、生理的に合わないこともあるだろう。
 匂い、ちょっとした言葉遣い、年配者だと刺青の若者を理解し難いという人も多い。
 そういった人を好きになり、仲間になることは困難であるが、理解しようと努めることはできる。
 アウトローにとって刺青を入れることは、一生アウトローになるという覚悟のしるしだというが、そうでない人が刺青を入れることは、ある意味リストカットと同じように、自分の身体を傷つけることで、精神の傷を癒そうとする慰めにも似た思想だという。
 
 これは、私の体験談であるが、昔、私は駅の近くのマンションに住んでいた。
 隣の住人は、いわゆる母子家庭であり、母親は繁華街の高級ラウンジ(今はもう高級クラブやラウンジは見かけなくなってしまったが)の雇われママであった。
 当時、小学校3年と5歳の可愛い娘さんが二人いた。
 17時に出勤し、帰宅するのは、深夜2時半だった。
 娘さん二人は、家にいるのが窮屈でマンションの駐車場をうろついたりして、しょっちゅう管理人さんに叱られていた。
 
 娘さん二人が私の家に遊びにきた。
 私は、当時ブームだった小型ワープロを教えたりして、娘さんはすっかり私になついた。
 5歳の娘さんは、幼稚園にも通っていなかったが、初対面で私の胸を撫でたりした。
 母親と同じように思っていたのだろう。
 
 毎日、夜中の二時半になると、帰宅したお母さんの娘さんに対する叱り声と娘さんの鳴き声が聞こえてくるのだった。
 騒音妨害、安眠妨害といった見方もあるが、個人の好みでしかない音楽のボリューム大とは違い、家庭的なことだから、仕方がないと割り切っていた。
 母親は「あのお母さんは偉い。高級ラウンジのママさんだけあって、どことなく上品で子供思い。表彰ものだ」と感心していた。
 私も同感であった。
 
 一度、お母さんに、小学校三年の長女さんの行方がわからなくなったという通報が5歳の次女から入った。
 お母さんは、飛んで帰宅したが、結局長女さんは無事に帰宅したのだった。
「もう、心配するじゃないの。こんなのだったら、店にも来るなと言われるわ」
 と娘さんに対する愛情と、仕事に対する不安が感じられた。
 
 私はそれから引っ越しすることになったが、十数年たった頃、ばったりお母さんと再会した。
「久しぶりね」と声をかけて頂いたときは、誰だかわからなかった。
 お母さんは、地元で結婚し、大きな家に住んでいた。 
 ガレージには、車とシングルマザーの次女の孫である子供用の自転車が置いてあった。
 
 隣人は、騒音や匂いなどのように合わない部分がお互いあるが、そういったことを我慢することで慣れるということもあるし、自分の姿に気ずかされることもある。
 人のふり見てわがふり直せのとおりである。
 
 人の弱さや痛みを理解するのは大切なことである。
 自分も病気や失業など、環境が変われば弱い人間になってしまう危険性は誰にでもある。
 
 ちなみに、だまされる老人のタイプとして、人付き合いはほとんどせず、親戚づきあいは毛嫌いして一切せず、ひたすら金ばかり握っているという人だという。
 皮肉にも、そういった老人は、取り込み詐欺の如く、金ばかりでなく、土地、家屋、店舗までそっくりもっていかれるという。
 
 今後、私の将来にもどのような人が隣人として現れるかは、見当もつかない。
 理解不能の人かもしれないし、私を傷つける人かもしれない。
 
 信仰にはいったばかりの頃、神はもっとも苦手な人を身近に置かれるという。
 しかし、それは隣人を愛せよという訓練なのであろう。
 
 ハレルヤ
 
 
 
 
 
 
 

.


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事