幸せクリスチャンの信仰日記

この世で生きていく上で役立つ話ばかりです。

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礼拝できることの幸せ

 私事で恐縮であるが、私は今、礼拝できることの幸せをかみしめている。
 
 幸せといっても、礼拝すると札束が天から落ちてくるわけでもないし、疲労感がゼロになることでもない。
 しかし、礼拝しなければ、私は精神的に満たされなく、落し物をしたような気になるのである。
 
 ある日、母から「あなたは、人の愚痴ばかり言っている。それでもクリスチャンか」
と言われたこともある。
 しかし、立派なクリスチャンとはどういう人を言うのだろうか?
 
 飲酒喫煙一切せず、行いは立派ーギャンブル、女遊びには一切興味無しという人もいるだろう。
 しかし、それは体質に合わないだけかもしれない。
 人間嫌いで、友人がいないからギャンブルにも縁がなく、女性に対して理想が高く潔癖症だから、女遊びもしないだけかもしれない。
 行いは立派でも、単なる人間嫌いの人も存在している。
 
 クリスチャンとは、キリストを信仰している人のことである。
 いわゆる聖人君子のことではない。
 だから、残念ながら、悪癖や悪習慣がまだ完全に辞められない人もいる。
 しかし、キリストを信仰することにより、キリストと似た者に変えられていっている。
 
 キリストは、人を許し、社会的弱者に対して哀れみ深い人であった。
 
「貧しい人に貸すことは、主に貸しているのだ。
 主がたっぷり、おつりをつけて返して下さる」(箴言)
 
 私は、キリストを信仰してから、ユニセフやあしながおじさんに募金するようになった。
 これも、信仰の力であろう。
 
 幸せってなんだろう。
 単なる仕事の成功か? 金銭面か?、人からちやほやされる名誉だろうか?
 それらのものは、誰でも求めるが、しかしそれは一時的なものでしかない。
 幸せとは、土の下の羊と書く。 
 やはり、神と共にいることであろう。
 
 世の中は移り変わっていく。
 私の地元の飲食店は、残念ながら閉店している店が多い。
 しかし、やはりキリストは永遠である。
 
 アーメン
 
 
 
 
 

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