ぐうたら主婦 コイセバラクサ (ё_ё)キャハ

乳がんになって転移して・・・病気に感謝 (@⌒ο⌒@)

日記’10+〜’09

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2010年の日記 プラス 2006年〜2009年の治療の様子
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思い出の菓子屋

2007年 年末 数年振りの帰省
    高校時代の同級生 ポコと会う。
    学生時代、そんなに親しくなっかったのに、
    帰省するとなぜだか、彼女とは必ず会う。
    
    
    以前、Uターンした際に2年ほど勤めていた菓子屋に顔を出す。
    もう、退職して20年が経っていた。
    ごめんなさい、今でも、当時を思い出すと、とても せつない・・・。
    
    元号が平成に変わってすぐに退職した。
    辞める時、旦那さんと奥さんは、
    「ピカコさん、いつでも戻っておいで
    お前さんは、戻って来る人だから」
    と言ってくれた。
    だから、逆に、どんな辛いことがあっても戻らなかった。
    踏んばれた。
    何故だったんだろう。
    
    帰省するたびに私は、ここへ顔を出し、
    土産用の菓子を買った。
    子どもたちは、菓子屋のジージとバーバから
    少しの小づかいをもらった。
    数年振りに私の顔を見るなり、旦那さんも奥さんも少し驚いて、
    「あらっ、ピカコさん、どうしちゃったの?」
    さすがに、鋭い。
    私がただ老けてしまったとは思えなかったのだ。
    3年ほど前に、乳がんになったことを話す。
   
    抗がん剤は、効く場合もあるが、
    がん細胞を確実に叩く訳ではない。
    そして、人の精気を奪ってしまう。
   
    ここでのエピソードは、山ほどある。
    入社して2日目で母が事故に会い、
    付き添いのため、2週間休んだが、
    誰も信じてくれなかったこととか・・・・。
    でもそれは、ぶつけてきた相手の組織に力があったので、
    一切のマスコミ報道がなされなかったことと、
    ここの菓子屋に勤めていた2年の間に、
    どれだけ多くの人が入社し、退社したか・・・・。
    最短で、私が夏休暇の間に入った人は、
    朝来て、昼を食べに行き、そのまま戻って来なかったとか。
    いろいろ、いろいろ・・・・キリがない。
    
    
 
    けれど、ここは、学ぶべきことの多い場所だった。
    だって、当時、和洋菓子の製造販売を
    山奥の錆びれた小さな町で、従業員が10数名、
    店舗はたったの1店舗で行い、
    年間1億円以上の売り上げを上げていたんですよ。
    尋常ではなかったと思います。
    (また、脱線しちゃった
    懐かしい、懐かしい場所です。
 
 
2008年年明けの手帳にはやたらと、「NOVA」の文字が目につく。
     おそらく、前年に会社更生法の適用を受けたNOVAを受け継いだ会社が、
     年払いしていた残りの日数分の授業をしてくれたのだ。
     そう、ある日突然だった。
     チビタがいつものように、NOVAに行くと、
     閉鎖されていた。
     でも、ちゃんと支払った分だけはやっていただけて良かったです
 
 
  
 

  
 
私が一番に考えるのは、
次代を担う子どもたちのこと。
女としてこの世に生を受け、
若しかしたら授からないとされていた1粒種を二つ授かった。
もう、これで十分ではないか。
子どもたちを、どう社会に送り出すか、
そして、私は何をやるか。
 
家庭の中は、穏やかに保たなければならない。
 
私が実家にいた頃、目覚まし時計なんていらなかった。
毎朝のように夫婦喧嘩の声で目が覚めるのだ。
何をやっても母に怒られ、いちゃもんを付けられ、
母の額縁を押し当てられた。
気に入らないとすぐに外に放り出された。
雪が降っていても、お構いなしだった。
 
それは、父が頼りないということもあったけれど、
母自身の育って来た環境にもあるのだろう。
いつも、欲求不満を私にぶつけていた。
それが愛情だなんて、ちゃんちゃら笑わせないで。
それは、親が子供に甘えているだけ。
 
母は外では朗らかで、いい人だった。
 
沢山沢山時間とエネルギーをかけて、
親子の関係は、今は悪くない。
 
だから、家に戻ってくれた弟には感謝、である。
 
主人は自分の両親を良くは言わないが、
主人の両親は私にとって、実の親以上に親であった。
この男は、親の何を見て育ったのかとさえ思う。
 
けれども、子どもたちにとっては、たった1人の父親。
穏便に、大事にしていますよ。
子どもは敏感ですから
 
    
    
   
 
今日は、映画のLady`s day 安く映画が観られる日
今週は抗がん剤がないので、身体が楽、
来週は、明日のCTの結果次第で抗がん剤があるかもしれないし、
ぐうたらしていても やっぱり師走、気忙しくなってきた。
 
PCでチケットの予約をして間もなく、電話が鳴った。
ママ友の、先日一緒にランチしたTさん。
「映画のただ券が1枚だけあるんだけど、
 金曜日までしか使えないの。
 私は明日行くんだけど、どう?」
「えーっ、たった今ネットで予約しちゃったあ」
キャンセル出来ない?」
「カード決済だし、無理だと思う。
 明日だとMdさんが休みかも知れないから誘ってみて」
「たまぁに手に入るから、また声をかけさせてもらうね
 
今日は一人で、
[ハリーポッターと死の秘宝part1]を観て来ました。
こんなところで終っちゃう?という切れ方で、
次回への期待で胸が膨らんでいます。
 
そう、明日はほぼ一日病院なのだ。
 
 
今日の嬉しいできごと
  帰宅したら厚みのある封筒が・・・
  ・・・「招待券在中」・・・・・
  封を開けると・・・ルミネ・ザ・ヨシモトのチケット引換券・・でした
 
 
 


 
2006年〜2007年
      年末〜正月を主人の実家でゆっくりと過ごす。
       義弟が1人で住んでいるだけなので、
       少しは賑やかで、気も紛れるだろう。
  
       パートに出て8ヶ月目、
       1日6時間、月13日程度であっても、
       帰宅してからは、何も出来ないほど疲れ切っていた。
       唯一、チビタの野球に顔を出し、
       子どもたちを見ていると癒された。
       
       2月になっても疲れが全く抜けない。
       パートに出た日は、帰宅しても家事ができなかった。
       私は3月末で辞めることにした。
 
       この職場で、私は思いもかけない2人の人と再会した。
 
       一人は、ジャイアンの小学4〜5年の時の担任の I 先生。
       ジャイアンは、この I 先生が大好きだった。
       男女の区別なく、えこひいきをせず、
       誰の言い分も平等に聞いてくれた。
       ジャイアン達が卒業してから早期退職し、
       どうしていらっしゃるのか、誰もしらなかった。
       軽井沢で、同じ教師仲間だったご夫婦とお店をやっており、
       時々は東京の自宅に戻って来ているとのこと。
       お店も教えていただいたが、まだ行けていない。
 
       そして、もう一人、T2くんも知っている ISdさん。
       20年くらい経っていたが、
       彼女はちっとも変わっていなかった。
               私は思わず「 I Sdさん」と声をかけた。
       彼女は、鳩が豆鉄砲を食らったように目を丸くした。
       その丸い眼は、いつまで経っても丸いままだった。
       名札はつけていたが、仕方がないので旧姓を名乗った。
       最近では たまに聞くが、私は同姓の人とお会いしたことがない。
       その旧姓を名乗ったことで、彼女の眼はますます丸くなり、
       遂に発したその言葉が、
       「えっ、ピカコちゃん???そういえば、そ仕草に面影が・・・・」
       そんなに
       ・・・・・彼女は看護士を定年退職し、
       パートで少し働きながら、旅行を楽しんでいるという。
       いったん家に帰り、「ピカコちゃんにあげたいモノがあるの」
       と言って戻って来てくれた。
       旅行先で買ったという猫の置物。
       私は猫が好き・・・有難く頂戴した。
       そんなこともあったので、
       こんどT2くんに会うとしたら、
       彼が私を認識出来るのか、大いに疑問が残る。
 
       3月に入り、一日一日が大切だった。
       最後まで普通通り勤めて、すっと身を退く、
       これをキチンと出来るように心がけた。
       家の事は少しの間、目をつぶってもらった。
       最後の日、四時過ぎ、
       私はいつものようにPCに退社時間を打ち込み、
       皆さんの邪魔にならないように、
       そっと挨拶して帰ろうとしたそのとき、
       何だかざわざわし始め、
       支店長始め、みんなが仕事の手を休め、集まって来た。
       思いもかけないことで、私の目は涙でいっぱいになっていた。
       年をとると涙腺がゆるゆるね
       支店長からは、
       「ぐうたらさんは、お客さんの評判が良くってね・・・・」
       と思いもかけないお言葉までいただき、またまた
      
       仕事は楽しかったよぉ 
 
 
4月  年に1回の検査・・・・CT、骨シンチ、超音波
5月  今までB医師だったのに、なぜか、H准教授、
     別の大学病院に行くことになったので、
     そこまでは遠いだろうから、
     週一で午前中、近くの診療所に行っているから
     そちらに来ないか・・・・という話しだった。
 
     大学病院って混むし、どうせ同じ治療をするのであれば、
     H医師ついて行ってもいいかな・・・と、この時思ってしまった
     ウチからは、この大学病院も診療所も同じくらいの距離だった。
 
9月  義父の1回忌と義母の7回忌 
    本当は、義母の7回忌を 義父は自分の手でやりたがっていた。
 
2007年 年末 何年かぶりで子どもたちと私の実家へ帰省。
今日は、通院日
検体の受付機にカードを通し、
番号を確認、いつもより少し多め、
混んでて、少し待たされる番号。
では、この間にATMコーナーへ
家賃と駐車場代金の振込完了
売店に寄って、飲み物購入。
そして、検体
この一連の動きがスムーズに出来るのが嬉しい
番号が、表示されたブースへ、
ベテランさんでラッキーと思いきや、
一発目失敗
二回目は上手くいったが出るスピードがユルイ
あまり遅くても、せっかく採った血が固まって
採りなおしの可能性も・・・
大丈夫だった、良かった。
採血は、センスと相性かも知れない。
 
乳腺外来、比較的すいていて、
1時間ほどで呼ばれる。
白血球 4..2 3週目にしては上々
CTは、12月9日 15:00〜
腫瘍マーカーは?と聞くと、
CTの結果でこの先の治療方法を検討するんだけど、
気になるんだったら採りましょう・・・ということで、
12月11日 検体 → 治療方法を検討
 
肺に転移しているガンちゃんは、当初からずっと 1cm程度、
腫瘍マーカーが上がっても下がっても
さほど大きさは変わっていないのだ
 
猪のような西洋医学信者のB医師は、
本人は気がついていないかも知れないが、
時々何とも言えない、寂しく悲しい表情をする。
私は、そういう表情を見るたびに、
余計な想像をしてしまう。
整形外科であれば、治ってさよならなのに、
どうしてこの医師は、乳腺を選んだのだろう。
 
で、点滴用の針、
刺される前に言わなくちゃ
「手首だと、点滴が止まったりして時間がかかるし痛いから、
この辺にして欲しいんですけど
と言って、以前骨シンチだったか、
CTの造影剤だったかを入れられた、
手首の10cm下の内側を指差した。
B医師が消毒綿で腕を拭いてくれるのだが、
「センセイ、どうでもいいような拭き方しないで、
愛情を込めて拭いてね
と、注文をつけた。
「ハイハイ、どこから取れるか見てるんだよ」
(あっそ)と思いながら、
なぜだか悲しそうなB医師の表情が気になった。
私っておせっかいオバチャン
 
点滴は、今日は、とってもスムーズに入りましたよ
 
 


 
2006年  あまり詳しくは覚えていないが、
        手帳を見ると、4月の中旬に面談をしている。
        本当は、毎日出勤してくれる人が欲しかったらしいが、、
        1〜2週間程度の研修の後、、
        私の事情を考慮して、1日6時間、月13日程度で 
        希望の支店に配属されることになった。
採用されたこと、働けることが嬉しくて楽しかった。
と同時に、20年前に同じ業種に勤めてはいたが、
もう、20年も前である。
当時もオンラインになってはいたが、
会社が違えばシステムも違う。
覚えることが多くて、毎日が真剣勝負
私は、新人さん、
なんでも見て聞いて、試して覚えますよ
と、突っ走っていた気がする。
そして、ママ友とのランチ
義父の2度の入院、
自分の通院、
休日にはチビタの野球、
映画鑑賞・岩盤浴
義父とのお別れなどなど・・・
2006年も終わりに近づくと、
仕事は集中して元気にこなせても、
家に一歩足を踏み入れる頃には、
身体がだるくて重くて、しんどくなっていた。
 
ママ友のMdさんからメールが来た。
<来週で医療事務の終了試験も無事終わりそうです。 忘年会したいですね。>
私は喜んで <賛成! やりましょう>と返信した。
私は、このMdさんが大好きだ。
Mdさんのお子さんは女の子で、
チビタが小学5年の時に転校して来た。
この学校は転校生が本当に多く、
チビタも2年生で転校してきたのだが、
その時は転入生が22人だった。
初めてお会いした時、彼女に一目惚れ(?)した私は、
彼女を図書のボランティアに誘った。
子どもの中学は別々になったが、
その時以来のお付き合いである。
私が転移した時、付け毛を作ってくれた。
そのMdさんが、週に何日か薬局のパートに出た。
そのパート先に馴染めないと悩んでいた。
夏休み以降、連絡が取りづらくなった。
どうしているのか、ちょっぴり心配したが、
ある日、「医療事務の勉強に行ってるの」と言う。
私は、やっぱり、この人が大好きだ・・・と思った。
おそらくランチ忘年会になると思うが、楽しみである
 
今日は気持ちがジェットコースターのように
乱高下している。
自業自得である。
 
 


 
2006年        義父との正月を過ごした。
      1月〜    4週間ごとのホルモン注射 × 2年間
           +  内服(ノルバデックス) × 5年間(予定)
 
  抗がん剤が終わって4ヶ月も過ぎると、
  自分が元気になったような気がした。
  最初は転移がないと思われていたが、
  実際にはリンパ節転移があった。
  具体的にどこか目に見えたわけではない。
  だから、抗がん剤は念のためで、
  もう大丈夫な気がしていた。
  タキソテールの影響だと思うが、
  回数を増すごとに浮腫みの副作用がひどく、
  終わっても尚、浮腫みは増しているようだった。
  顎なんかは、ガマガエル状態で、
  今もらっている牛車腎気丸が当時も処方されていたら
  もう少しマシだったのでは・・・とさえ思う。
 
だけど、副作用のダルさはないし、
食べるものは美味しいし、
毎日が新鮮でとっても楽しかった。
髪の毛は・・・・抗がん剤が終わったからといって、
すぐに生えて来るわけではなく、
私の場合は、3ヶ月位してからだったと思う。
従兄のお嫁さんも言っていたが、
クルクルの癖っ毛が生えてきた。
 
4月に入った頃、
私は、外に働きに出る決意をする。
ジャイアンが高校に入学し、
チビタは小学3年生。
この10年間、自営の主人の手伝いはしていた。 
多少体力に不安はあったが、
とにかく外に出たかった。
 
PCで人材派遣のサイトに登録したらすぐに連絡がきて、
採用試験 ・ 面接とトントン拍子に事は運んだ。
面接では、病気のことも話したが、
「病気を理由にお断りすることはありませんよ」
と言っていただき、採用もすぐに決まった。
通院があることを伝えると、
「毎日ではなく、週に3日程度にしましょう」
とまで配慮してくれた。
 
唯一、外に仕事に出ることをチビタに報告して、
「ぼくは、どうすればいいの?!」
と言われたときは、少し胸が痛んだが、
だからこそ、親離れ子離れのいい機会だとも考えた。
 

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