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2007年 年末 数年振りの帰省
高校時代の同級生 ポコと会う。
学生時代、そんなに親しくなっかったのに、
帰省するとなぜだか、彼女とは必ず会う。
以前、Uターンした際に2年ほど勤めていた菓子屋に顔を出す。
もう、退職して20年が経っていた。
ごめんなさい、今でも、当時を思い出すと、とても せつない・・・。
元号が平成に変わってすぐに退職した。
辞める時、旦那さんと奥さんは、
「ピカコさん、いつでも戻っておいで
お前さんは、戻って来る人だから」
と言ってくれた。
だから、逆に、どんな辛いことがあっても戻らなかった。
踏んばれた。
何故だったんだろう。
帰省するたびに私は、ここへ顔を出し、
土産用の菓子を買った。
子どもたちは、菓子屋のジージとバーバから
少しの小づかいをもらった。
数年振りに私の顔を見るなり、旦那さんも奥さんも少し驚いて、
「あらっ、ピカコさん、どうしちゃったの?」
さすがに、鋭い。
私がただ老けてしまったとは思えなかったのだ。
3年ほど前に、乳がんになったことを話す。
抗がん剤は、効く場合もあるが、
がん細胞を確実に叩く訳ではない。
そして、人の精気を奪ってしまう。
ここでのエピソードは、山ほどある。
入社して2日目で母が事故に会い、
付き添いのため、2週間休んだが、
誰も信じてくれなかったこととか・・・・。
でもそれは、ぶつけてきた相手の組織に力があったので、
一切のマスコミ報道がなされなかったことと、
ここの菓子屋に勤めていた2年の間に、
どれだけ多くの人が入社し、退社したか・・・・。
最短で、私が夏休暇の間に入った人は、
朝来て、昼を食べに行き、そのまま戻って来なかったとか。
いろいろ、いろいろ・・・・キリがない。
けれど、ここは、学ぶべきことの多い場所だった。
だって、当時、和洋菓子の製造販売を
山奥の錆びれた小さな町で、従業員が10数名、
店舗はたったの1店舗で行い、
年間1億円以上の売り上げを上げていたんですよ。
尋常ではなかったと思います。
(また、脱線しちゃった
懐かしい、懐かしい場所です。
2008年年明けの手帳にはやたらと、「NOVA」の文字が目につく。
おそらく、前年に会社更生法の適用を受けたNOVAを受け継いだ会社が、
年払いしていた残りの日数分の授業をしてくれたのだ。
そう、ある日突然だった。
チビタがいつものように、NOVAに行くと、
閉鎖されていた。
でも、ちゃんと支払った分だけはやっていただけて良かったです
私が一番に考えるのは、
次代を担う子どもたちのこと。
女としてこの世に生を受け、
若しかしたら授からないとされていた1粒種を二つ授かった。
もう、これで十分ではないか。
子どもたちを、どう社会に送り出すか、
そして、私は何をやるか。
家庭の中は、穏やかに保たなければならない。
私が実家にいた頃、目覚まし時計なんていらなかった。
毎朝のように夫婦喧嘩の声で目が覚めるのだ。
何をやっても母に怒られ、いちゃもんを付けられ、
母の額縁を押し当てられた。
気に入らないとすぐに外に放り出された。
雪が降っていても、お構いなしだった。
それは、父が頼りないということもあったけれど、
母自身の育って来た環境にもあるのだろう。
いつも、欲求不満を私にぶつけていた。
それが愛情だなんて、ちゃんちゃら笑わせないで。
それは、親が子供に甘えているだけ。
母は外では朗らかで、いい人だった。
沢山沢山時間とエネルギーをかけて、
親子の関係は、今は悪くない。
だから、家に戻ってくれた弟には感謝、である。
主人は自分の両親を良くは言わないが、
主人の両親は私にとって、実の親以上に親であった。
この男は、親の何を見て育ったのか
けれども、子どもたちにとっては、たった1人の父親。
穏便に、大事にしていますよ。
子どもは敏感ですから
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