−−−パンフレットより
私は
1988年発行の「約束の国への長い旅」(篠輝久氏著)というタイトルの本を読んで
杉原千畝(すぎはら ちうね)氏のことを初めて知りました。
日本国内では1988年当時、杉原氏のことはまだあまり知られておらず、
ましてや教科書にも載っていませんでした。
こ、こんな人がいたのか!!
と非常に驚いた私です。
映画では
唐沢寿明氏演じる杉原氏が
手書きのビザを発行するに至るまで外交官としてどんな任務についていたのか
諜報活動も含めて
私が本で読んだ以上の背景をドキュメンタリータッチで描いていました。
とても見応えがありました。
ただ残念に思ったことがありまして
氏が限られた期間内に2000枚以上のビザを寝る間も惜しんで手書きした後、
外務省の命令で止む無く領事館を閉鎖し、
リトアニアを列車に乗って出国するシーンがあります。
氏はリトアニアのカウナス駅を出発する列車の中でも
走り始めた列車を追いかけてきたユダヤ人のために
最後の一分一秒を惜しんでビザを書き続けた
その列車内でのビザ発行の描写がありませんでした。
(これは本の著者が杉原夫人の幸子さんに取材してその経緯を語っていただいた中に書かれてありました。)
ユダヤ人にとっては死の恐怖から逃れるための命につながるビザです。
私がユダヤ人だったら、人垣をかき分けて「わたしの家族のためにビザを〜!!!」
って列車の窓にしがみついて叫んだかもしれない。
杉原氏の決死の覚悟と
ビザの必要数を書ききれなかったことへの思いと
またユダヤ人の置かれた過酷な状況が
そのシーンからも描けたんじゃないかな〜と思うとちょっと残念なワケです。(エラそ〜)
映画では
杉原氏が、氏の友人で会社経営者のユダヤ人男性に
「早く出国の準備を!
これは移住ではない!逃亡なのだ!」
と説得するシーンがあります。
しかしながら、こちらのユダヤ人男性は
会社の整理に時間をかけすぎて出国のタイミングを逃して
結局ナチスによって小さな子どもを含めた家族全員がユダヤ人強制収容所へと送られてしまいました。
今思い出してもしんどくなる残酷なシーンです。
一方、
日本通過ビザをもらったユダヤ人の多くが日本の敦賀港にたどりつきました。
そこからユダヤ人協会のある神戸に移ったようですが
その神戸で写された、笑顔のこぼれたユダヤ人女性の写真があります。
これは映画ではなく実際の写真です。(河野徹氏撮影)
そこに写りこんでいる日本人少年は
なんと漫画家 故手塚治虫氏の弟さんです。
お父様が撮影メンバーの一人だったのだそうです。
手塚治虫氏の作品で「アドルフに告ぐ」という第二次世界大戦前後の
神戸、ドイツを舞台にした作品があります。作中では神戸市在住で
後にナチスに入党するドイツ人少年とユダヤ人の少年が描かれています。
当時の神戸市のユダヤ人社会を手塚治虫少年も見たことが作品に与えた影響が大きいのかな?と勝手に想像しています。
日本に入国できたユダヤ人難民の多くは着の身着のままの状態でした。
当時、マスコミは彼らに対してあまり好意的ではなかったようですね。
日独伊三国同盟の手前か、新聞社は辛辣な、上から目線の事を書いています。
一方、一般の人々は政府とは違ったようで
流浪の民であるユダヤ人に対する神戸市民たちは冷淡ではなかったようです。
たとえば、キリスト教会(旧ホーリネス教団)の人々は
教会を開放し
画像にあるようにリンゴをユダヤ人のみなさんに配ったりもしました。
本にもそのことは書いてありました。
(当時、リンゴを受け取ったユダヤ人男性への取材からです。)
そのユダヤ人男性によれば
大勢のユダヤ人たちが上海に行くために船に乗って港から離れようとしている時のことです。
波止場に多くの日本人が集まってきました。教会の人たちでした。
彼らは運んできた木箱のふたを大急ぎで開けたのだそうです。
そして
木箱の中からリンゴを取り出し、一個一個、船に乗っているユダヤ人みんなをめがけて
次々に投げこんだそうです。
航海の無事を祈って飛んでくるリンゴを船上で受け取ると、難民のみんなは
リンゴを胸に抱きしめて日本の港と、人々を見つめていたそうです。