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[ kakaa ]
2017/10/18(水) 午後 5:50
[ yfq**494 ]
2017/10/18(水) 午後 5:50
[ あさり ]
2017/10/18(水) 午後 2:06
2017/10/6(金) 午後 8:31
本日入手した「習志野市史通史編 第4編 近現代」によると、
『・・・収容所の中では憲兵が彼らの言動や思想を調査し、不審なものは営倉に入れられ、300人ほどが行方不明になったといわれる。習志野に収容された人々のなかで虐殺の様子が分かっているのは次の2つの例である。一つは前述の会沢の証言である。「おかしいようなのは、みんな連隊に引っ張り出してきては、調査したんです。・・・・・きっちゃったんです」。第14連隊が「処刑」した場所は、現在の京成大久保駅の南、大久保公民館の裏手といわれている。実際に手を下したのは兵士ではなく、大久保などに住んでいた元兵士だったという。他の一つは大和田・萱田などの周辺村落に、朝鮮人が各3人前後、軍隊から「払い下げ」られ、村の「有志」のてによって殺害されたといわれている。
見聞した人びとに重い過去を引きずらせることになる朝鮮人・中国人の収容も、10月24日最後の朝鮮人五十八人を東京に移送し、朝鮮総督府出張院に引き渡して終了した。』
と記しています。
しかし、日本陸軍発祥の地である軍都・習志野市では調査すら行っていません。

転載しますね。ありがとうございます。





