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8月16日 横浜で♪
歌と語りによる「チェルノブイリと福島」
チェルノブイリ事故から27年そして、3.11の福島原発事故から2年5か月。 日本の社会はどこに向かっているのか、私たちはどう生きるのか。3人の語りに加え自らが被曝したナターシャ・グジーが悲しみを乗り越える歌声を届ける。 8月16日(金) 18:30開場 19:00開演 (入場料:999円)
会場:横浜市開港記念会館 http://goo.gl/WqPFH 共催:DAYS JAPAN /横浜フォトジャーナリズムフェスティバル実行委員会 講演:斎藤美奈子(文芸評論家)、井戸川克隆(元双葉町長)、アーサー・ビナード(詩人) 歌とバンドゥーラ: ナターシャ・グジー(歌手・ウクライナ伝統楽器奏者) 予約制: ご予約はこちらhttp://goo.gl/0SMgl 3.11DAYS行動する会シンポジウム「もうがまんできない」
すべてをなかったことにする政府とマスコミと学者たちと電力会社。 隠されてきた事故の真相が、明らかにされるとともに,私たちが何を失おうとしているのか、怒りとともに訴える! 8月18日(日) 18:30開場 19:00開演 (入場料:500円) 会場:横浜市開港記念会館 http://goo.gl/WqPFH 共催:DAYS JAPAN / 3.11DAYS行動する会 / 横浜フォトジャーナリズムフェスティバル実行委員会
怒れる出席者:広瀬隆(作家)、藤田祐幸(物理学者)、田中三彦(元原子炉設計者) 秋山豊寛(宇宙飛行士)、中嶌哲演(原発設置反対小浜市民の会、明通寺住職)、相沢一正(茨城県東海村村議) 矢部忠夫(新潟県柏崎市議)、大信田尚一郎(三陸の海を放射能から守る岩手の会、元教員)広河隆一(DAYS JAPAN編集長) 予約制: ご予約はこちらhttp://goo.gl/HUsts もしくは、email: yokohama2013@daysjapan.net FAX:03-3322-0353
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2013年08月11日
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8.6人事委員会口頭審理における「山田肇さんの冒頭陳述」については既に当日配布プリントを掲載していますが、より読みやすいように記事として貼り付けます。また、そのもようを伝える朝日新聞(8/7付)の記事も掲載します。多くの方々に山田肇さんの陳述を知っていただきたいと思います。
◎ 冒頭陳述書 2013年8月6日 山田 肇 私は、1975年4月に大阪府・高槻市の小学校教員として採用され、芥川小学校に始まり南平台小学校まで、合計37年間、教師として子どもたちの教育に携わってきました。 私は、教師として、教育の根本は、仏教で言う『諸悪莫作(しょあくまくさ)、衆善奉行(しゅぜんぶぎょう)』だと考えてきました。つまり、「悪いことはするな。いいことをしなさい」ということです。また、「悪いことは改める」ということです。 それが、子どもたちに言ってきたことであり、また、自分の人間としての生き方にしようと考えてきました。また、国のあり方についても、「いいことを行い、悪いことは改めて進む」のが正しいと考えてきました。 担任をした時は、子どもたちの作文や私の考えを載せた『学級通信』を出してきましたが、6年生の『学級通信』の最後には、子どもたちの1年間のがんばりを誉めたあと、私が子どもたちに“望むこと”として、「一つ一つのことをしっかり自分の頭で考え判断しながら、確かな自分をつくっていってほしい。」と、いつも、書いてきました。私自身も、一つ一つ「自分の頭で考え判断」して生きていきたいと、考えていたからです。 そのように考えてきた私にとって、卒業式や入学式に『日の丸』『君が代』が強制的に持ちこまれることは、正しいことなのかどうなのか?「しっかり自分の頭で考え判断」して、絶対に納得のいくものではありませんでした。 なぜなら、『日の丸』はつねに日本の侵略戦争とともにひるがえり、また、『君が代』は教育勅語、御真影=天皇の写真とともに、天皇制国家をたたえる儀式であった四大節で子どもたちに歌わせ、子どもたちを天皇の『忠良なる臣民』にしたてる歌でした。これが歴史の真実です。 「歴史の真実」に反すること、教育基本法が言う「真理と正義」の立場に反することは、人間として、子どもたちの前に立つ教師として、絶対にできません。 教育委員会と校長は、「法律に従うのが教育公務員だ。」と言います。 しかし、日本が朝鮮・中国・アジアに侵略戦争をしたこと、それを進めた天皇制国家、また、戦前・戦争中の教師が、天皇制教育の下、子どもたちを「天皇の忠良なる臣民」にしたてる教育を行い、教え子を侵略戦争の戦場に送ったこと、そして、その教育の大きな道具としてあった『日の丸』『君が代』について、また、それが今なおあり、学校に強制的に持ちこまれていること、いや、先頭になって持ちこんでいることを、校長と教育委員会は、如何に考えるのでしょうか? 私は、処分者である大阪府教育委員会に、上の歴史の真実をいかに考えるのか、4点にわたって釈明を求めました。 だが、府教委は、歴史認識、歴史観等について、黙して語りません。 それらの「歴史認識、歴史観等について釈明する必要性は認められない。」 そして、「国旗及び国歌」は「学習指導要領に規定されている」。「国旗及び国歌に関する法律」で定めている。「大阪府国旗・国歌起立斉唱条例」がある。「以上のことから、『日の丸』『君が代』を卒業式に持ち込むことは間違っているとの申立人の主張は失当である。」と書きます。 私は、いずれが「失当」か?「真理と正義」の立場に立つのは、いずれか?と問いたいと考えます。 かつて、西ドイツの大統領ヴァイツゼッカーは、「過去に目を閉ざす者は現在に盲目となる。」と演説しました。過去の歴史から学ばないと、未来はありません。 また、ルイ・アラゴンは、「教えるとは、希望を語ること。学ぶとは、誠実を胸にきざむこと」と詩に書きました。教師が歴史の真実を「誠実に胸にきざ」まないと、子どもたちに「希望を語ること」はできません。 侵略と戦争の旗『日の丸』を仰ぎ、天皇をたたえる歌『君が代』を立って歌うことは、「誠実に」「歴史の真実」に立って子どもたちの教育を行おうと考える私や日本の教師にとっては、絶対にできないこと、譲れない一線であります。 そして、私は、日々、子どもたちに「いい、悪いをしっかり自分で考えて発言したり行動したりするように。」と言ってきました。 そう言ってきた私が、『日の丸』『君が代』とは何なのか?を考えず、職務命令だからといって、ユダヤ人虐殺の責任者=ナチス・ドイツのアイヒマンのように「私は命令に従っただけだ。」と言うことは、人間として、教師として絶対できません。 『日の丸』『君が代』が「真理と正義」に立ったものかどうかを考えて行動するのは、教師としての『良心の自由』であり、『義務』でもあると考えます。 また、子どもたちを人間としての成長に導くべきはずの教師が、戦前・戦争中は、「人の子の師の名において」教え子を侵略戦争の戦場に送りだし、数多の子どもたちを殺してしまいました。 私は、それをくり返してはいけない、『教え子を戦場に送らない』という決意で、『日の丸』と『君が代』が卒業式に強制的にもちこまれることに反対を表明し、『君が代』と同時に、毎年、ささやかに静かに座ってきました。 『教え子を戦場に送らない』という決意で、『君が代』で着席することは、教師としての『良心の自由』であり、『良心の義務』にもとづくものであります。この『良心の自由』を憲法第19条は保障しています。 次に言いたいことは、「再任用合格取消」に関してです。 私は、昨年3月26日、校長より、2011年度の評価・育成シートの評価を受け、それには、『業績・能力・総合評価ともS』と書いてありました。だが、府教委は、その校長の『S』の評価は「不知」として、3月29日、「適格性が欠如しており、勤務実績が良好でないと判断」したと、合格していた再任用を取り消しました。私の「適格性」と「勤務実績」は、何によって決まるのでしょうか? 私は、南平台小学校に12年間勤務しました。4年生、6年生、2年生の担任をした後、『希望の杜』施設内学級に3年間勤務しました。そして、本校に帰り、6年生の担任、児童・生徒支援加配をした後、『希望の杜』施設内学級に4年間勤務して、2012年3月を迎えました。 合計7年間、教育活動に携わってきた『希望の杜』という施設は、情緒障害児短期治療施設の一つであり、大阪府下に3カ所、大阪市内に2カ所、全国に32カ所しかない施設です。 この『希望の杜』には、親に虐待されたり、ネグレクトにあったりした子どもたちが入所してきます。そして、『希望の杜』から施設内学級に通学してくる子どもたちは、わずか6歳から12歳とはいえ、今まで親や継父、継母等に暴力をふるわれ虐げられ疎外されてきたゆえに、大人に対する不信感を大きく持っています。 また、食べること、安心して生活することすら保障されず、愛情もかけられずに、生きてこざるをえなかったがゆえに、学習する習慣がついていない子どもたちがほとんどでした。 だからこそ、一番教育が必要な子どもたちであると考え、子どもたちとの信頼関係を築くことを第一に、『学校を作る』ことをめざして、自分で言うのは、おこがましいですが、日々、“格闘”とも言える教育活動を行ってきました。逆に言えば、私が初めて勤務した時は、およそ『学校』ではなかったと言えます。施設内学級を『学校』にする、『学校を作る』これが目標でした。 今までさまざまな境遇と環境のもとで、学ぶこと、まっすぐ成長していくことを疎外されてきた子どもたちが、学ぶことの喜びを取り戻し、少しずつ成長していっていることを自分で確かめ、子どもたちが学び成長する場、『学校』をつくろうと、 ①基本的な学習の習慣をつくる・・・毎日、机にすわり落ち着いて自分の課題に取り組む。 ②読み・書き・計算の基本的な力をつける。 ③やればできることの喜びと自信の獲得・・・その子にあった課題を個別指導し、今、できないことが、少しずつやれば着実にできていく喜びを、あるいは、ゆったりとでも、やりつづければ必ずできていく喜びを実感できるようにしていく。 そして、生きていくうえで、人間として「あたりまえのこと」を身につける。また、みんなで一つのことに取り組む。これらを目標としてやっていきました。 しかし、その施設内学級では、教師の指示がなかなかすっと入りません。机に座らず、教室から出て行く等の行動も日々ありました。また、注意すれば、教師に対する反発・暴言・暴力も数多く返ってきました。そういう行動に対応しながら、粘り強く、そして、それらの行為に対して、妥協せず、間違っていることは注意して、子どもたちとの信頼関係をつくりながら、『希望の杜』の施設の職員の方々と連携しながら、7年間、教育活動を行ってきました。 子どもたちの力になれているかと、日々、自問自答しながら、自立するための学力や生きていく力をつけてほしいと願って、教育活動を行ってきました。そして、あと1〜2年、『希望の杜』で子どもたちに関わりたいと再任用を申し込み、2月16日に合格通知を受けていました。 だが、その希望の杜施設内学級での私の「勤務」についてはもちろん、「勤務実績」について、『答弁書』は、一切ふれていません。教師としての私の教育活動を見ずして、府教委は何を見て、私の「適格性」と「勤務実績」を判断したのでしょうか? 私の「適格性」と「勤務実績」はすべて、『君が代』の50秒で決めるということでしょうか? 歴史の真実を「誠実に胸にきざ」み、「自分で考え」た結果として、教師としての『良心』、人間としての『良心』に従って、『君が代』を立って歌うことはできないと、静かに座ること。これは、「歴史観ないし世界観」であり、『思想・良心』の内容を形成すると、最高裁も認定しています。 そして、宮川裁判官が言われたように、『君が代』不起立は「思想及び良心の核心の表出」であります。 この『思想・良心の自由』が、大阪府の教員には保障されないとする、大阪府にしか存在しない「国旗・国歌起立斉唱条例」は、憲法に違反していないのでしょうか?江戸時代のキリシタン弾圧の『絵踏み』のようなことが、大阪ではまかり通るのでしょうか? そして、「再任用合格取消し」という通知は、最高裁が取り消した「停職1ヶ月」の処分をはるかに越えて、最大・最高の重い処分であります。なぜなら、「再任用合格取消し」は、私の教育活動を断ち切る免職そのものだったからです。 最高裁が、「慎重な配慮が必要だ。」としたにもかかわらず、「停職」よりはるかに重い最大の「不利益」である私の再任用合格取消、すなわち、免職は、大きく府教委の「裁量権を逸脱濫用した」ものであります。 また、私の戒告処分は、高槻市の5人の教育委員会議において承認されておらず、その「内申」がないというのは、地教行法に違反する処分です。 教育長は「法令の根拠」もなく、教職員を「専決」で「処分」していいと府教委は『答弁書』に書きますが、とんでもありません。 以上のことを鑑み、当人事委員会が、「戒告処分」と「再任用合格取消」の撤回という裁決を下されることを強く要望する次第であります。以上で、冒頭陳述を終わります。 朝日新聞[2013年8月7日付] 『グループZAZA』(2013-08-07) http://blog.goo.ne.jp/zaza0924/e/0b399fb2843120c2f9adc237e41d9743 パワー・トゥ・ザ・ピープル!! パート2
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2013年8月7日(水)「しんぶん赤旗」より転載
主張国民会議最終報告社会保障の安心を投げ捨てた 政府の社会保障制度改革国民会議が、消費税大増税と一体で実施を狙う社会保障「改革」についての最終報告書をまとめ、安倍晋三首相に提出しました。医療・介護を中心に負担増と給付削減を鮮明にした重大な内容です。消費税増税で負担を強いられる国民に、“痛み”の追い打ちをかける改悪は、社会保障制度そのものにたいする国民の不安と不信を高める結果しかもたらしません。負担増・給付削減の「一体改革」路線からの転換こそが急がれます。 全世代に「痛み」おしつけ 社会保障制度改革国民会議は、自民・公明・民主3党が昨年8月に強行した消費税大増税・社会保障「一体改革」関連法の一つ、社会保障制度改革推進法にもとづいて設置されたものです。
推進法は、「自助」を社会保障の基本にする「自己責任」原則を打ち出し、社会保障への国の責任を後退させる方針を盛り込みました。国と地方の社会保障費を大幅に抑え込むことを狙ったものです。
国民会議の役割は、推進法にもとづいて消費税増税と同時に行う社会保障「改革」の“青写真”づくりです。財界などが国民会議に「負担増と給付減という『苦い薬』を飲まなければいけない」(経済同友会)ことを国民に示せ、と“痛みのメニュー”づくりを執拗(しつよう)に迫ったことは重大です。
民主党の野田佳彦政権下の昨年11月に議論を開始した国民会議が、政権復帰した自公連立の安倍政権に提出した最終報告書は、医療・介護・年金・子育ての各分野にわたって全世代の国民に“痛み”をもたらすものとなっています。
これまでの社会保障給付は「高齢世代中心」だったと一方的に決め付け、高齢者の負担強化と給付カットを提起したことは、その影響は高齢世代だけにとどまらない深刻な問題です。例えば、介護保険で「軽度」といわれる要支援者を介護サービスから切り離す方針は、高齢者を介護している現役世代を直撃します。要支援者のお年寄りを、介護サービスを使って在宅などで面倒を見ている人たちの多くはまだまだ働き盛りです。要支援者の「介護保険外し」は、家族を介護するために仕事をやめる“介護離職者”を激増させかねません。
70〜74歳の高齢者の医療費窓口負担増も、決して医療費削減につながりません。負担増により受診を控えた高齢者は、早期発見・早期治療の機会が失われ、重症化がすすみ、かえって医療費が膨張する危険すらあります。高齢者の窓口負担が軽減されることによって心身の健康状態が改善される世界的な研究成果もあります。窓口負担の軽減こそ必要のはずです。
負担増と給付削減の「一体改革」路線では、社会保障の再建・充実は不可能です。社会保障を日本経済の「お荷物」扱いする発想を根本的にあらためなければ、社会保障の未来は開けません。
転換なしに再生はない “消費税増税は社会保障充実のため”という「一体改革」のごまかしは明白です。報告書を受けた安倍政権は8月末までに「社会保障制度改革大綱」を閣議決定し、秋の臨時国会に負担増と給付削減の期限などを決める法案を提出する構えです。国民の暮らしの土台を破壊し、社会保障の充実にも逆行する「一体改革」の具体化を阻むたたかいが重要です。
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銅メダルの福士「無欲で楽しもうと走った」=世界陸上・女子マラソン |
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◆ 9・29 維新の会は消えてなくなる
橋下徹・大阪市長率いる「日本維新の会」が“本丸”の大阪で赤っ恥をかいた。維新が9月15日告示、29日投開票の堺市長選への出馬を要請していた読売テレビの清水健アナウンサー(37)が5日、出馬拒否を明言したのである。 幹事長の松井一郎府知事らが「非常によい人物」などとさんざん持ち上げていたにもかかわらず、袖にされた格好。全国から候補者が殺到した昨年末とはエライ違いだ。裏を返せば、維新の“お膝元”である関西でも勢いが止まったということだ。 その上、重要なのは、維新にとって今度の堺市長選は単なる首長選ではないということ。堺市は維新の会共同代表の橋下徹・大阪市長がブチ上げた「大阪都構想」の一角を担う。市長選で負ければ都構想そのものが頓挫する。 「『大阪都構想』は大阪府と大阪市、堺市の政令指定都市を統廃合し、新たな自治体をつくる案です。橋下市長は2015年4月までの移行を目標としているが、住民の反対運動などで制度設計すら進んでいません。既に立候補を表明している現職の竹山修身・堺市長は『大阪都構想』に反対の立場。もし、竹山市長が勝ったら、維新はニッチもサッチもいかなくなります」(大阪府政担当記者) そんな状況にもかかわらず、市長選告示まで残り1カ月に迫った今も擁立候補が決まらないのだ。かくなるうえは、と昨年末の総選挙で初当選した衆院議員の東国原英夫の出馬も検討されているという。維新が消える「9・29」投開票日が迫っている。 『ゲンダイネット』(2013/8/7) http://gendai.net/news/view/109681 パワー・トゥ・ザ・ピープル!! パート2
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