「おばあちゃんの鐘馗(しょうき)さま」

安倍改憲ノー。戦争法と共謀罪廃止、野党は共闘。

過去の投稿月別表示

[ リスト | 詳細 ]

2018年05月

← 2018年4月 | 2018年6月 →

全12ページ

[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [10] [11]

[ 次のページ ]

【社説】

日大選手声明 再生しプレーを見せよ

2018年5月30日

 日大アメリカンフットボール部の選手たちが声明を発表した。監督・コーチからの指示として相手選手を負傷させたチームメートを守り、自分たちの手でチームを再生させる決意を支えたい。
 日大アメフット部選手一同で出した声明文からは、このような事態になってしまった答えを全員で悩み、話し合った苦悩が浮かび上がってくる。
 相手選手がパスを投げ終えて約二秒もたって背後からタックルすることは、普通なら絶対にあり得ない。そのことは同じ選手としてよく分かる。
 声明ではそのようなプレーをするほどに追い込まれていたチームメートを、手助けできなかった自分たちを責めている。その反省から、大人たちに振り回されてきたチームを自らの手で改革していきたいとする思いに、胸を熱くする人は多いだろう。
 異例の声明を出したのは、加害者となってしまった選手を守りたいという思いも強くあったはずだ。たとえ指示があったとしても、その選手は相手をけがさせるほどの悪質なプレーをしたことを悔やみ、公の場で経緯を説明して謝罪した。
 深く頭を下げるチームメートを、選手たちは自分自身と重ね合わせたに違いない。
 理不尽な指示、指導にも「昨季はこのやり方で甲子園ボウル(全日本大学選手権決勝)に勝ったから仕方ない」と従ってきたことが、今回の問題につながった責任も感じた。
 自ら声を上げることが仲間を守り、存続の危機とさえいわれる部を生まれ変わらせることができると決意し、声明文を出した。その前向きな勇気と決意には拍手を送りたい。
 ただ旧態依然とした体制を改革したとしても、今後はいばらの道が待つ。監督への厳しい処分は当然としても、一度失った信頼を取り戻すことがどれほど難しいか−。まだ大学生でありながら、そのことを身をもって知るであろう残酷な未来を、お互いに支え合いながら乗り切ってほしいと心から願う。
 日本のスポーツ界は今回の問題をあしき事例として指導者もチームも意識、組織改革を積極的に推し進めていくことが求められる。
 二年後の東京五輪・パラリンピックでスポーツ本来の素晴らしさをアピールするためにも、再生を見せてほしい。日本中が、応援するだろう

東京新聞

http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2018053002000171.html



「日航123便墜落事件」から30年            
2015年8月10日
爆投下から70年の8月9日、長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典における田上富久市長の平和宣言は見事な内容であった。聴きやすく穏やかで、しかし力強く明確なメッセージを宣言していた。《被爆者が、単なる被害者としてではなく、“人類の一員”として、今も懸命に伝えようとしていることを感じとってください。》そこからは、一国民ということや被害者ということをあえて懸命に昇華させて、「人類の一員」としての声だと訴えかけることにより、普遍的な平和の真理として、世界の人々に受け止めてもらいたいとの被爆者の方々の命がけの信念が伝わってくる。
《私たち一人ひとりの力こそが、戦争と核兵器のない世界を実現する最大の力です。市民社会の力は、政府を動かし、世界を動かす力なのです。》《若い世代の皆さん、過去の話だと切り捨てずに、未来のあなたの身に起こるかもしれない話だからこそ伝えようとする、平和への思いをしっかりと受け止めてください。「私だったらどうするだろう」と想像してみてください。そして、「平和のために、私にできることは何だろう」と考えてみてください。若い世代の皆さんは、国境を越えて新しい関係を築いていく力を持っています。》という言葉も、これからを担う若い世代の力と活躍を信じる、期待をこめたメッセージとして響いた。
そして今年、特に際立って注目されたのは、この部分である。《日本政府に訴えます。国の安全保障を核抑止力に頼らない方法を検討してください。アメリカ、日本、韓国、中国など多くの国の研究者が提案しているように、北東アジア非核兵器地帯の設立によって、それは可能です。未来を見据え、“核の傘”から“非核の傘”への転換について、ぜひ検討してください。》《現在、国会では、国の安全保障のあり方を決める法案の審議が行われています。70年前に心に刻んだ誓いが、日本国憲法の平和の理念が、いま揺らいでいるのではないかという不安と懸念が広がっています。政府と国会には、この不安と懸念の声に耳を傾け、英知を結集し、慎重で真摯な審議を行うことを求めます。》
NHKの中継はこの2箇所で、カメラのズームが吸い付くように安倍首相の顔に寄り、アップでその表情を映すかたわら、音声は、参列席から沸き起こる盛大な賛同の拍手を伝えていた。
さて、長崎の平和宣言でも「懸念」として取り上げられた安全保障関連法案をめぐる参議院での審議が、いま重要な局面を迎えている。「8.15」を前にして、14日には「安倍談話」が公表される。これは今後の日本の対外関係、外交・安全保障に重大な影響(マイナスの意味で)を及ぼす可能性がある。この国の安全保障環境の悪化の根源がどこにあるかを実感することになるだろう。ただ、この問題はまた別の機会に論ずることにして、今週の「直言」は「8.15」の70周年ではなく、「8.12」の30周年について書くことにしたい。
毎年8月は6日(ヒロシマ)から9日(ナガサキ)と、3日おきに慰霊の日が続く。1985年から「8.12」が加わった。「日航123便墜落事件」である。当初は事故だったが、その後の経過と展開から判断して、私はこれを「事件」と呼んでいる。5年前に直言「日航123便墜落事件から25年」を出した。私がこの「事件」に関心をもつようになったのは、20年ほど前のある講演会で、最前列に座っていた女性から、「123便に乗っていた先輩や同僚と同じグループでした」と話しかけられたことがきっかけだった。それが元日航客室乗務員で、123便に乗務したグループに所属していた青山透子さんだった。
この写真は前便として羽田に着陸した機体番号JA8119号機である。このあと日本航空123便として大阪に向かい、群馬県御巣鷹の尾根に墜落し、乗員・乗客520人の尊い命が失われる(生存者は4人)。運輸省事故調査委員会報告書128頁の結論部分で、「原因」として書かれているのは数行で、「本事故は、事故機の後部圧力隔壁が損壊し、引き続いて尾部胴体・垂直尾翼・操縦系統の損壊が生じ、飛行性の低下と主操縦機能の喪失をきたしたために生じたものと推定される。疲労亀裂の発生、進展は、昭和53年に行われた同隔壁の不適切な修理に起因しており、それが同隔壁の損壊に至るまでに進展したことには同亀裂が点検整備で発見されなかったことも関与しているものと推定される」というもの。青山さんはこれに納得せず、長期にわたり個人で調査を続け、5年前に『日航123便あの日の記憶 天空の星たちへ』(マガジンランド)を出版した(現在、Kindleなどの電子版も購入できる)。
青山さんの主張は、「事故原因を再調査せよ」につきる。ネット上には、さまざまな憶測が乱れ飛び、怪しげな「謀略」説も流されている。それらすべてを虚偽として否定するのではなく、関係資料を公開して、事実関係を全面的に明らかにすること。同僚・先輩を失った悲しみを胸に、この青山さんはそれを強く求めている。なお、冒頭の写真の碑は2004年8月建立であり、そこに「関係するあらゆる事実を解明し」とある。事故調報告書に納得していない人は少なくないのである。
私自身は、なぜこの件に関心を持つかといえば、何か「隠されたもの」(国家権力と個人に関わる)を感じるからである。青山さんの本を読んで、5年前に出した直言「日航123便はなぜ墜落したのか」で、私は5つの「なぜ」を提起した。そのポイントを改めてここに挙げておこう。
第1の「なぜ」は、公式に墜落原因とされた「後部圧力隔壁損壊」説への疑問である。「航空整備関係でこの説をまともに信じている人はいない」という声を、地方講演の際に聞いたことがある。今週、メディアが「8.12」について触れるとき、自明のように「後部圧力隔壁損壊」説が流されるだろうが、この説には重大な疑問があることを指摘しておきたい。
第2の「なぜ」は、「墜落現場の特定がなぜ遅れたか」である。青山さんの著書によれば、墜落の20分後には、現場は特定されていた。しかし、NHKニュースは墜落現場について二転三転する報道を行った。事故現場に近い上野村の黒沢元村長(故人)をはじめ、救援にあたった地元の方々のなかには、この点についていまも疑問を抱いている人がいる。
第3の「なぜ」は、救助の遅れである。自衛隊が到着するのは12時間後である。最も早く現場に到着したはずの地元消防団員たちは、彼らが朝9時頃現場に到着したところ、「自衛隊員がすでに山の上から降りてきた」といっている。自衛隊は一体、いつ現場に到着したのか。これについては後述する。
第4の「なぜ」は、なぜ遺体は黒こげだったのか、である。ジェット燃料はJET-A/40という灯油の部類でケロシンというが、大気中に出たケロシンはガス化しやすく、煤も出にくいにもかかわらず、主翼の燃料タンクから遠いところに投げ出された遺体が炭化している。遺体が集まっていた所で黒こげ状態が激しかったという。現場で歯型から遺体の身元確認を行った群馬県警察医で歯科医師の大國勉氏から取材した青山さんの本(電子版)に詳しい。この箇所は読むたびに戦慄を覚える
第5の「なぜ」は123便墜落の本質的な「なぜ」である。123便で亡くなったA氏がR5(右側最後部)ドア近くの窓の外を連続撮影した写真が残っている。そこに何かが写り込んでいる。これが何なのか。かつて私は青山さんの依頼で、画像処理の専門家にこの写真の検証を依頼したことがある。「円錐もしくは円筒のようなものを正面右斜めから見たようなイメージで、この物体はオレンジ帯の方向から飛行機の進行方向に向かっているように見えます」とのコメントを得た。「物体」の後方にかすかに陽炎(熱により空気密度が異なることで光が屈折する現象)が確認できることも。A氏の遺族が保存するネガを直接鑑定すれば、窓の外をA氏がなぜ連写したのかの理由も明確になり、第5の「なぜ」の解明につながると思う。
ところで、上記の第2と第3の点に関連して、8月1日のNHKスペシャル 「日航ジャンボ機事故 空白の16時間――"墜落の夜"30年目の真実」が検証を試みている。番組ホームページによれば、「墜落から生存者確認までに要した時間は、国内の事故としては異例の長さとも言える「16時間」。さらに救えた命は本当になかったのか。各機関の内部資料や当事者たちの初めての証言から、様々な事実が浮かびあがってきた。番組では、これまで明らかにされてこなかった事実の発掘を通して、巨大事故が日本社会に今なお突きつけているものを凝視していく」とある。「30年目の真実」という言葉にかすかな期待を込めて見たが、期待はずれだった。位置確定のための戦術航法装置(TACAN)の問題や、自衛隊や警察など関係機関の連携の不十分さなど、ある意味では実に「わかりやすい原因」がそこに示され、当時の関係者の後悔の声などで味付けして、「16時間」の原因が明らかになったかのようなストーリー運びだった。しかも、そこにはNHK自身が墜落現場について二転三転する報道をしたことの真摯な検証もない。「30年目の真実」という題名に偽りあり、とまでは言わないが、これを「真実」ということには圧倒的な違和感がある。
書籍発行から5年の歳月が経過したが、青山さんの調査活動は続き、その間に新たな情報も得て、5つの「なぜ」を解きあかす事実を少しずつ入手してきている。事柄の性質上、いま、ここで紹介することはできないが、著書出版後に明らかになった疑問について、青山さんが執筆されたものを掲載する。30年がたって、いまもなお「事故原因」に重大な疑問があるのに、前述のNHKスペシャルのような「幕引き」的な番組も出てくることに、私は危機感を覚える。




「日航123便墜落事件」から30年            2015年8月10日

爆投下から70年の8月9日、長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典における田上富久市長の平和宣言は見事な内容であった。聴きやすく穏やかで、しかし力強く明確なメッセージを宣言していた。《被爆者が、単なる被害者としてではなく、“人類の一員”として、今も懸命に伝えようとしていることを感じとってください。》そこからは、一国民ということや被害者ということをあえて懸命に昇華させて、「人類の一員」としての声だと訴えかけることにより、普遍的な平和の真理として、世界の人々に受け止めてもらいたいとの被爆者の方々の命がけの信念が伝わってくる。
《私たち一人ひとりの力こそが、戦争と核兵器のない世界を実現する最大の力です。市民社会の力は、政府を動かし、世界を動かす力なのです。》《若い世代の皆さん、過去の話だと切り捨てずに、未来のあなたの身に起こるかもしれない話だからこそ伝えようとする、平和への思いをしっかりと受け止めてください。「私だったらどうするだろう」と想像してみてください。そして、「平和のために、私にできることは何だろう」と考えてみてください。若い世代の皆さんは、国境を越えて新しい関係を築いていく力を持っています。》という言葉も、これからを担う若い世代の力と活躍を信じる、期待をこめたメッセージとして響いた。
そして今年、特に際立って注目されたのは、この部分である。《日本政府に訴えます。国の安全保障を核抑止力に頼らない方法を検討してください。アメリカ、日本、韓国、中国など多くの国の研究者が提案しているように、北東アジア非核兵器地帯の設立によって、それは可能です。未来を見据え、“核の傘”から“非核の傘”への転換について、ぜひ検討してください。》《現在、国会では、国の安全保障のあり方を決める法案の審議が行われています。70年前に心に刻んだ誓いが、日本国憲法の平和の理念が、いま揺らいでいるのではないかという不安と懸念が広がっています。政府と国会には、この不安と懸念の声に耳を傾け、英知を結集し、慎重で真摯な審議を行うことを求めます。》
NHKの中継はこの2箇所で、カメラのズームが吸い付くように安倍首相の顔に寄り、アップでその表情を映すかたわら、音声は、参列席から沸き起こる盛大な賛同の拍手を伝えていた。
さて、長崎の平和宣言でも「懸念」として取り上げられた安全保障関連法案をめぐる参議院での審議が、いま重要な局面を迎えている。「8.15」を前にして、14日には「安倍談話」が公表される。これは今後の日本の対外関係、外交・安全保障に重大な影響(マイナスの意味で)を及ぼす可能性がある。この国の安全保障環境の悪化の根源がどこにあるかを実感することになるだろう。ただ、この問題はまた別の機会に論ずることにして、今週の「直言」は「8.15」の70周年ではなく、「8.12」の30周年について書くことにしたい。
毎年8月は6日(ヒロシマ)から9日(ナガサキ)と、3日おきに慰霊の日が続く。1985年から「8.12」が加わった。「日航123便墜落事件」である。当初は事故だったが、その後の経過と展開から判断して、私はこれを「事件」と呼んでいる。5年前に直言「日航123便墜落事件から25年」を出した。私がこの「事件」に関心をもつようになったのは、20年ほど前のある講演会で、最前列に座っていた女性から、「123便に乗っていた先輩や同僚と同じグループでした」と話しかけられたことがきっかけだった。それが元日航客室乗務員で、123便に乗務したグループに所属していた青山透子さんだった。
この写真は前便として羽田に着陸した機体番号JA8119号機である。このあと日本航空123便として大阪に向かい、群馬県御巣鷹の尾根に墜落し、乗員・乗客520人の尊い命が失われる(生存者は4人)。運輸省事故調査委員会報告書128頁の結論部分で、「原因」として書かれているのは数行で、「本事故は、事故機の後部圧力隔壁が損壊し、引き続いて尾部胴体・垂直尾翼・操縦系統の損壊が生じ、飛行性の低下と主操縦機能の喪失をきたしたために生じたものと推定される。疲労亀裂の発生、進展は、昭和53年に行われた同隔壁の不適切な修理に起因しており、それが同隔壁の損壊に至るまでに進展したことには同亀裂が点検整備で発見されなかったことも関与しているものと推定される」というもの。青山さんはこれに納得せず、長期にわたり個人で調査を続け、5年前に『日航123便あの日の記憶 天空の星たちへ』(マガジンランド)を出版した(現在、Kindleなどの電子版も購入できる)。
青山さんの主張は、「事故原因を再調査せよ」につきる。ネット上には、さまざまな憶測が乱れ飛び、怪しげな「謀略」説も流されている。それらすべてを虚偽として否定するのではなく、関係資料を公開して、事実関係を全面的に明らかにすること。同僚・先輩を失った悲しみを胸に、この青山さんはそれを強く求めている。なお、冒頭の写真の碑は2004年8月建立であり、そこに「関係するあらゆる事実を解明し」とある。事故調報告書に納得していない人は少なくないのである。
私自身は、なぜこの件に関心を持つかといえば、何か「隠されたもの」(国家権力と個人に関わる)を感じるからである。青山さんの本を読んで、5年前に出した直言「日航123便はなぜ墜落したのか」で、私は5つの「なぜ」を提起した。そのポイントを改めてここに挙げておこう。
第1の「なぜ」は、公式に墜落原因とされた「後部圧力隔壁損壊」説への疑問である。「航空整備関係でこの説をまともに信じている人はいない」という声を、地方講演の際に聞いたことがある。今週、メディアが「8.12」について触れるとき、自明のように「後部圧力隔壁損壊」説が流されるだろうが、この説には重大な疑問があることを指摘しておきたい。
第2の「なぜ」は、「墜落現場の特定がなぜ遅れたか」である。青山さんの著書によれば、墜落の20分後には、現場は特定されていた。しかし、NHKニュースは墜落現場について二転三転する報道を行った。事故現場に近い上野村の黒沢元村長(故人)をはじめ、救援にあたった地元の方々のなかには、この点についていまも疑問を抱いている人がいる。
第3の「なぜ」は、救助の遅れである。自衛隊が到着するのは12時間後である。最も早く現場に到着したはずの地元消防団員たちは、彼らが朝9時頃現場に到着したところ、「自衛隊員がすでに山の上から降りてきた」といっている。自衛隊は一体、いつ現場に到着したのか。これについては後述する。
第4の「なぜ」は、なぜ遺体は黒こげだったのか、である。ジェット燃料はJET-A/40という灯油の部類でケロシンというが、大気中に出たケロシンはガス化しやすく、煤も出にくいにもかかわらず、主翼の燃料タンクから遠いところに投げ出された遺体が炭化している。遺体が集まっていた所で黒こげ状態が激しかったという。現場で歯型から遺体の身元確認を行った群馬県警察医で歯科医師の大國勉氏から取材した青山さんの本(電子版)に詳しい。この箇所は読むたびに戦慄を覚える
第5の「なぜ」は123便墜落の本質的な「なぜ」である。123便で亡くなったA氏がR5(右側最後部)ドア近くの窓の外を連続撮影した写真が残っている。そこに何かが写り込んでいる。これが何なのか。かつて私は青山さんの依頼で、画像処理の専門家にこの写真の検証を依頼したことがある。「円錐もしくは円筒のようなものを正面右斜めから見たようなイメージで、この物体はオレンジ帯の方向から飛行機の進行方向に向かっているように見えます」とのコメントを得た。「物体」の後方にかすかに陽炎(熱により空気密度が異なることで光が屈折する現象)が確認できることも。A氏の遺族が保存するネガを直接鑑定すれば、窓の外をA氏がなぜ連写したのかの理由も明確になり、第5の「なぜ」の解明につながると思う。
ところで、上記の第2と第3の点に関連して、8月1日のNHKスペシャル 「日航ジャンボ機事故 空白の16時間――"墜落の夜"30年目の真実」が検証を試みている。番組ホームページによれば、「墜落から生存者確認までに要した時間は、国内の事故としては異例の長さとも言える「16時間」。さらに救えた命は本当になかったのか。各機関の内部資料や当事者たちの初めての証言から、様々な事実が浮かびあがってきた。番組では、これまで明らかにされてこなかった事実の発掘を通して、巨大事故が日本社会に今なお突きつけているものを凝視していく」とある。「30年目の真実」という言葉にかすかな期待を込めて見たが、期待はずれだった。位置確定のための戦術航法装置(TACAN)の問題や、自衛隊や警察など関係機関の連携の不十分さなど、ある意味では実に「わかりやすい原因」がそこに示され、当時の関係者の後悔の声などで味付けして、「16時間」の原因が明らかになったかのようなストーリー運びだった。しかも、そこにはNHK自身が墜落現場について二転三転する報道をしたことの真摯な検証もない。「30年目の真実」という題名に偽りあり、とまでは言わないが、これを「真実」ということには圧倒的な違和感がある。
書籍発行から5年の歳月が経過したが、青山さんの調査活動は続き、その間に新たな情報も得て、5つの「なぜ」を解きあかす事実を少しずつ入手してきている。事柄の性質上、いま、ここで紹介することはできないが、著書出版後に明らかになった疑問について、青山さんが執筆されたものを掲載する。30年がたって、いまもなお「事故原因」に重大な疑問があるのに、前述のNHKスペシャルのような「幕引き」的な番組も出てくることに、私は危機感を覚える。
小さな目は見た――出版後に明らかになった事実の話
青山透子
事故後30年。日航123便はなぜ墜落したのか。私を含め、この疑問を持ち続けている人たちがいる。それは、現場で歯型から身元確認を行った群馬県警察医で歯科医師の大國勉氏、拙著を読み、ぜひ話をしたいと出版社に直接いらしたご遺族の吉備素子氏、事故機で亡くなった客室乗務員のご親戚の方や事故時の関係者、元自衛隊員、詳細に調べた読者の方々、御巣鷹の尾根に今もなお残っている飛行機の残骸を送って下さった方もいた。皆さんの本心から湧き出る怒りの言葉には、いまだに数多くの疑問が残る事故原因をなぜマスコミは追及しないのか、という憤りが満ちている。
事故原因については、一部の過激な陰謀説、根拠の薄い推理や憶測も多く、それがかえってこの事故原因の再調査や追及を妨げていることは本当に残念である。私自身、出版の際に膨大な一次資料を読み込んでいる過程において、これは本当に事故なのか、何かおかしいのではないか、と疑念を持つようになっていったのだが、それを語ると、はなから陰謀説だと烙印を押されてしまう困難に遭うのである。おそらく一般の方々には、圧力隔壁修理ミスが事故原因である、という報道しか届いておらず、それも無理もないことではある。しかし、30年も経ち、今もなお、遺族のみならず、墜落現場となった群馬県上野村の救助にあたった消防団員や警察関係者、さらに医師であっても、事故時の様々な状況に疑問を持ち続けている人が、実際にいるのである。それを知る以上、私は一つの使命として、この5年間、地道にこの疑問と向き合い調査を続けてきた。
そしてさらに多くの方々に出会い、たくさんの資料を送って頂いた。その中で、当時の群馬県上野村の小学校、中学校の生徒が書いた文集を読んだ時、もっとも大きな衝撃を受けたのである。群馬県上野村立上野小学校148名の日航機墜落事故についての文集「小さな目は見た」(1985年9月30日発行)と、群馬県上野村立上野中学校87名の日航123便上野村墜落事故特集「かんな川5」(1985年10月1日発行)である。約53%の子供たちが、事故当日について詳細に書いていた。当時の小学校の校長先生に、先日内容の確認をとったが、事故直後にこの証言集を書かせた理由は、「事故時に見聞きしたことを書き記すことで、520名の人々の真の供養になる、さらに、この事故について、曖昧にすればいずれ忘却の彼方に追いやられることは必至であり、この子供たちの未来のために書かせた」との思いからであった。
特に、「18時45分」という具体的な時刻を書いた小学生H君の目撃情報は次の通りである。
「8月12日の夕方、6時45分ごろ南の空の方から、ジェット機2機ともう1機大きい飛行機が飛んで来たから、あわてて外に出て見た。そうしたら神社のある山の上を何周もまわっているからおじさんと『どうしたんだんべ。』と言って見ていた。おじさんは、『きっとあの飛行機が降りられなくなったからガソリンを減らしているんだんべ。』と言った。ぼくは、『そうかなあ。』と思った。それからまた見ていたら、ジェット機2機は、埼玉県の方へ行ってしまいました。それから、おれんちのお客が出てきて『飛行機がレーダーから消えたんだって』と言った。おじさんが『これは飛行機が落ちたぞ』といいました(ママ)」。
これに似た内容は中学生によっても記されているのだが、大きな飛行機1機が日航機だとすると、ジェット機2機はなんだろうか。その疑問を抱えたまま、私は、群馬県警が発行した当時の日航機事故特集記事の中に、非番の自衛隊員K氏が書いた文章を見つけた。
「8月12日私は、実家に不幸があり、吾妻郡○村に帰省していた。午後6時40分頃、突如として、実家の上空を航空自衛隊のファントム2機が低空飛行していった。その飛行が通常とは違う感じがした。『何か事故でもあっただろうか』と兄と話をした。午後7時20分頃、臨時ニュースで日航機の行方不明を知った。」
午後6時40分という時間に、非番の自衛隊員が、航空自衛隊ファントム2機を目撃している。群馬県上野村の子供たちと同じように、日航機の墜落前の時刻である。
当時、航空自衛隊中部航空方面隊司令官だった松永貞昭氏は、機影消失(墜落)の1分後に出動命令を出して、ファントム2機を飛ばしたと語っている。その時刻は、公式記録によると、日航機墜落後の19時01分。空自百里F4EJ、2機緊急事態と認識して発進。それ以前には自衛隊機は一機たりとも飛んでいない、ということになっている(『読売新聞』2000年8月11日付)。それでは、墜落現場の子供たちや、非番の自衛隊員が見たファントム2機は、何だったのだろうか。これが最大の疑問である。なお、これ以外に静岡県内での目撃者もいる(詳しくは『週刊金曜日』8月7日号6頁の拙稿参照)。
これらの目撃情報から推測できることは、次の通りである。墜落前の日航機を追尾していたファントム2機は、公式発表には出てこないが、実際に目撃されている。その2機は、日航機の垂直尾翼付近の状況や飛行状況を把握しながらこれを追尾し、最後の墜落地点まで見届けた可能性がある。とすれば、少なくともまだ明るいうちに、墜落現場を特定出来たのではないか。
2010年11月10日、当時の運輸大臣だった故山下徳夫氏にお会いした際、「遺族が事故原因に疑問に持つならば、必ず再調査をすべきだ」とおっしゃっていたのを思い出す。御巣鷹山頂に建つ石碑(冒頭の写真)も、そのことを問い続けている。
戦争でもない「平時」の1985年に、故意過失を問わず、事故原因に関して何等かの関与が自衛隊にあったとするならば、それは重大な問題であり、それを明らかにせずして、そのような自衛隊を海外に行かすわけにはいかない。520名の天空の星たちが、この行方を注視している。


転載元転載元: 今 言論・表現の自由があぶない!

2018年4月1日(日)

2018焦点・論点
安倍内閣で広がり深まる貧困
都留文科大学名誉教授 後藤道夫さん
中間層が低所得層に落ちている 生活保護基準引き下げは むちゃ

 「貧困打開に向け『生活保障法』に」と提案した日本共産党の志位和夫委員長の質問(2月5日、衆院予算委員会)は大きな反響を呼びました。安倍内閣のもとで国民がおかれた貧困の状況はどうなったのか、都留文科大学名誉教授の後藤道夫さんに話を聞きました。(聞き手 内藤真己子)


 ―安倍首相は、「相対的貧困率」が低下したので貧困が改善されたと言いますが、どうなのでしょうか。

 たしかに相対的貧困率そのものは、下がっています。しかし日本共産党の志位和夫委員長が国会で安倍首相をただしたように、物価の変動を考慮に入れた「貧困ライン」の実質値は下がり続けています。そのもとで相対的貧困率、すなわち「貧困ライン」に届かない人の割合が減っても貧困が改善したとは到底言えません。

 志位さんは安倍首相が「貧困率改善」の根拠にしている総務省の「全国消費実態調査」にもとづいて、貧困ラインの推移を明らかにしました。同調査より低所得者のサンプル数が多い厚生労働省の「国民生活基礎調査」でみても、貧困ラインの実質値は、1997年の130万円から2012年は111万円、さらに15年には106万円へ同様に大きく下がり続けています。

最低生活費以下拡大
 ―なぜ貧困ラインが下がってきているのでしょう。
 それは国民の所得分布が低い方に集まってきているからです。

 「国民生活基礎調査」による等価可処分所得の実質値の分布をみると、280万円未満の層は1997年の55・6%が、2012年65・7%、15年69%へと増えています。逆に280万〜800万円未満の層は42・5%から33・4%、29・8%へ減っていて、中間層が低所得層に落ちているんですね。

 また、「相対的貧困率」は、「相対的低所得人口率」であって、本当に生活ができるかどうかの実質的な貧困率とは言えません。例えば15年の4人世帯の貧困ラインを計算してみると245万円になりますが、生活保護制度が定める生活保護基準の「最低生活費」の全国平均は327万円で、80万円以上の違いがあります。

 そこで「最低生活費」に満たない所得の人とその割合を調べてみました。12年の「最低生活費」を固定し物価上昇分を考慮すると、「最低生活費」に満たない所得の人は12年には23%で約2900万人、15年は24・3%で3000万人を超えました。貧困は拡大しています。
低所得層ほどひどい

 ―安倍内閣のもとで貧困は改善するどころか、拡大しているということですね。
 その通りです。志位さんは質問で、所得が最も少ない10%の層(第1・十分位)の実質所得の上限値が、2009年の140万円から安倍内閣のもと、14年には134万円に下がっていることを「全国消費実態調査」にもとづいて明らかにされました。

 そこで私は、「国民生活基礎調査」の集計データから、1985年以降の下位10%〜同40%各層の実質所得の上限値の推移を計算してみました。97年の値を100とすると、下位10%層では12年の79・8%が、15年には77・7%まで落ちています。他の所得層と比べ、落ち方が一番激しいです。最も所得の低い層が一番ひどい目にあっていることが分かります(グラフ1)。
 生活保護基準に満たない所得の人がこれだけ多くいるなかで、安倍内閣は、実質所得の落ち込みが一番激しい下位10%層の消費水準に合わせて生活保護基準を引き下げるといっています。およそむちゃな話だと思います。

子どもの貧困率は?
 ―安倍首相は、子どもの相対的貧困率が「大きく改善した」といっていますが、現状はどうですか。
 「子どもの相対的貧困率」が下がったのは事実です。その要因の一つは、先にみてきたように全国民共通の「貧困ライン」自身が下がったからです。

 それに加え、子どもがいる世帯の所得分布が低所得層を中心に少し上がったことがあります。「国民生活基礎調査」で、17歳以下の「子ども」の1人当たりの所得(等価可処分所得)の実質値の分布をみると、12年から15年にかけて、40万〜120万円未満の層が減っています。一方で120万〜160万円未満、180万〜280万円未満の層は増えています。

 これは子を持つ低所得世帯が、夫の収入だけでは暮らせなくなり、母親が働きに出た結果と考えられます。実際、同じ調査で、乳幼児(未就学児)がいる世帯の母親の有業率を見ると、世帯所得200万〜300万円層では12年に36・9%だったのが、15年には54・7%へと跳ね上がっています。
 インターネットに「保育園落ちた、日本死ね」と投稿され世の憤激を呼んだ背景にこういう状況があります。しかし母親が就業するための保育料など支出増は加味されていませんので、所得がわずかに増えても生活実態として貧困が改善されたかは分かりません。

結婚・子育てできぬ

 また「子どもの貧困」以前に、そもそも、結婚・子育てが一定所得以上でないとできにくくなっています。40歳代男性が夫婦で子育てをしている割合は、95年の71%が15年には51%に減りました(「国勢調査」)。

 「就業構造基本調査」によって、40歳代の男性で、夫婦と子世帯の夫と、単身者や親元にいる独身者などとの勤労所得を比較したところ、所得300万円未満の割合が、夫婦と子世帯の夫では12・5%なのにたいし、単身者や独身者などは43・5%で、大きく違っていました。

 他方、子育てしている世帯の実質の平均可処分所得をみると、97年の624万円から15年には527万円へ、97万円も減少しています(「国民生活基礎調査」、グラフ2)。

 したがって、一定所得以上でないと結婚・子育てができにくくなっているとともに、子育てしている世帯の生活の困窮も同時に進行しているのが現状だと言えます。

 相対的貧困率 各世帯の収入から税金と社会保険料などを除いた手取りを「可処分所得」といいます。それを世帯人数の平方根で割って調整した国民一人ひとりの所得が「等価可処分所得」です。「等価可処分所得」を順に並べ、真ん中に来た値を「中心値」とし、その半分の値を「貧困ライン」と言います。このラインを下回る所得の人の割合が「相対的貧困率」です。

しんぶん赤旗

https://www.jcp.or.jp/akahata/aik18/2018-04-01/2018040103_02_0.html

注目の新潟県知事選 電撃出馬表明した57歳女性候補の実力

2018年5月11日

角氏を『政党色のない“県民党”候補』として演出しようとした矢先に、池田氏が電撃的に出馬を決め、野党の出遅れムードが払拭されました。新潟は昨年の衆院選で6小選挙区のうち4選挙区で野党系候補が勝利。文書改ざんやセクハラ問題などで官僚に対する不信感が国民の間に広がっているので、官僚上がりの花角氏を擁立する与党への反発は大きいでしょう」

 前回16年の知事選で、自由、社民、共産の推薦を受けた米山前知事が与党候補を下した“成功体験”が野党にとっての強みだという。

「柏崎刈羽原発の再稼働が最大の争点になることは間違いありません。その問題を巡って、与野党一騎打ちの構図をつくって勝利という『方程式』が出来上がっているのです。安倍内閣の支持率が落ち込んでいる今なら、なおさら野党側に分があるはずです」(横田氏)

 9月に総裁選を控える安倍首相にとっても負けられない戦いだ。倒閣の足がかりになるかどうか、池田候補の実力にかかっている。

日刊ゲンダイ

https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/228751/2

新潟県知事選 初の選挙サンデーで野党5党が池田陣営を応援

2018年5月28日

日刊ゲンダイ

 新潟県知事選(6月10日投開票)の告示後、初の選挙サンデーとなった27日、立憲民主党など野党5党幹部は推薦した元県議の池田千賀子氏の応援のため、そろって地元で街頭演説し、支援を呼び掛けた。

 立憲の辻元清美議員ら5野党と衆院会派「無所属の会」の国対委員長らは新潟市内で演説。辻元議員は自公両党が支援する前海保次長の花角英世氏の原発政策を疑問視。加計問題をめぐる柳瀬唯夫元首相秘書官の国会答弁を引き合いに出しながら「選挙の時に原発のない新潟を目指すと言っても、選挙が終わると記憶にないと言いかねない」と皮肉った。

 これに対し花角陣営の自民、公明両党は、党派色を薄めた“争点隠し”の選挙戦を展開中だという。

「原発再稼働の是非にはほとんど触れず、地元の自民議員は建設業協会の総会で勤務時間中の期日前投票を呼びかけ、花角氏の票が増えるほど公共事業予算が増えると訴えていました」(地元記者)

 まっ、相変わらずのウソつき土建政治を進めるということ。良識ある新潟県民も随分とナメられたものだと思うが、鉄槌を下す場は今度の知事選しかない。

(取材協力=ジャーナリスト・横田一氏)


日刊ゲンダイ

https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/229979

全12ページ

[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [10] [11]

[ 次のページ ]


.
1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31
yfq**494
yfq**494
非公開 / 非公開
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について

過去の記事一覧

検索 検索

スマートフォンで見る

モバイル版Yahoo!ブログにアクセス!

スマートフォン版Yahoo!ブログにアクセス!

よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

いまならもらえる!ウィスパーWガード
薄いしモレを防ぐパンティライナー
話題の新製品を10,000名様にプレゼント
ふるさと納税サイト『さとふる』
実質2000円で特産品がお手元に
11/30までキャンペーン実施中!
いまならもらえる!ウィスパーうすさら
薄いしモレを防ぐ尿ケアパッド
話題の新製品を10,000名様にプレゼント

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事