「おばあちゃんの鐘馗(しょうき)さま」

安倍改憲ノー。戦争法と共謀罪廃止、野党は共闘。

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  =あの人のことば (ハフィントン・ポスト)=
 ◆ 桂歌丸さんは訴えていた、戦争の愚かさを。「あんなものは愚の骨頂です」
   心から「笑い」を楽しめる幸せを、いま噛み締めたい。
by 吉川 慧(ハフポスト日本版ニュースエディター)

 亡くなった落語家の桂歌丸さんは1936年8月、横浜・真金町の生まれ。幼い頃から祖母が営んでいた妓楼で育った。落語家を目指したのは、祖母の影響が大きかったという。

 「芝居や歌舞伎に連れて行ってもらいました。あたしが噺家(はなしか)を真剣に目指すようになったのも、遊郭の女性たちの慰労会で生の落語を聞けたことが大きかったんです」(朝日新聞 2011年10月06日朝刊)

 そんな歌丸さんも、太平洋戦争を経験。横浜から地方へ疎開し、9歳で終戦を迎えた。
 1945年8月15日、疎開先でラジオから流れてきた玉音放送を聴いた時のことをこう語っている。


 「今でも覚えていますよ。えらい暑い日でね。戦争に負けたと聞いてほっとした。しめた、横浜に帰れるって思ったんですよ」(朝日新聞 2015年10月19日朝刊)

 そうして迎えに来た祖母とともに帰った横浜は、一面の焼け野原だった。

 ◆ 「あんなものは愚の骨頂」歌丸さんが戦後70年の節目に語ったこと
 戦争を経験した世代として、いかにして平和の尊さを後世に伝えていくべきか。
 戦後70年となった2015年、歌丸さんはNHKのインタビューにこう語っている。
「人にそんなこと(戦争について)伝えられません。それは個々に感じることです。自分自身で経験して自分自身で判断しているんです」

「伝えていくべきだとは思いますけれども、話をしただけでは分かってくれないですよね。食糧難時代というものがどういうもんだったのか。あるいは焼夷弾というものがどういう落ち方をして、爆弾というものがどういうふうに落ちたのか。そして進駐軍というのが戦後になって乗り込んできてどういう思いをしたのか」

口では言えますけれども、ご存じないからそれは身を持って体験することはできません。けれども伝えていくべきだと思います、私は」

NHK「私の中の戦争 落語家 桂歌丸さん 〜疎開の日々そして・・・〜 - MIRAIMAGINE」 )
 戦争を経験した世代は「道の雑草を摘んできて食べて命つないでた」と、歌丸さんは当時の過酷な生活を語った。
 ただ、「話をしただけでは分かってくれない」。そんな危機感が、言葉の端々から感じられる。
「決して忘れてはいけないこと。日本は二度と再びああいう戦争は起こしてもらいたくないと思いますね。あんなものは愚の骨頂です。世界中が本当の平和にならなきゃいけない時代が早くこなくちゃならないと思っていますね」

「子どもさんたちに難しいことかもわかりませんけれども、簡単に言えば、戦争、人間同士の争いというもの、あるいは国同士の争いというものこういうものは決してやるもんじゃないということを感じてもらいたいですよね。本当にいやな思いをしましたんでね」

NHK「私の中の戦争 落語家 桂歌丸さん 〜疎開の日々そして・・・〜 - MIRAIMAGINE」 )
 戦争の悲惨さや愚かさを、後世にどう伝えていくべきか。歌丸さんは「お父さん、お母さん」の役割が大きいと説く。
 「お父さんとお母さんに私はお願いしておきたいんだ。子どもさんにこういう悲惨なことを伝えていってよく聞かせてやって頂きたい」

「今のお父さんやお母さんは年が若いんで経験がないと思います。でもおじいさんおばあさんがいたらば、おじいさんおばあさんに、孫にあるいはひ孫に日本はこうだったんだああだったんだっていうのをきちんと伝えていってもらいたいと思います

「そしてあまり平和に慣れ過ぎないように。これでいいんだと思わないように。苦労というものが人間には必ずあるんだということ、これを心に留めておいてもらいたいですね。だから子どもさんがどの方の意見を選ぼうがかまいませんけれどもよくかみしめて頂きたいと思います」

NHK「私の中の戦争 落語家 桂歌丸さん 〜疎開の日々そして・・・〜 - MIRAIMAGINE」 )
 ◆ 心から「笑い」を楽しめる幸せを、いま噛み締めたい


 歌丸さんが「決してやるもんじゃない」と語った戦争。
 先の大戦は、落語にも暗い影を落とした。

 全てが戦争に動員された時代、男女の仲や人間の業を描いた落語は不謹慎だとされた。遊郭を題材にした廓噺や艶笑噺は、「風俗を乱す」などの理由で自粛を求める声が強まっていた。

 1941年、落語家たちは浅草・本法寺に「はなし塚」という塚を建立。53演目の「禁演落語」を葬った。
 その中には「明烏」「五人廻し」「木乃伊取り」「居残り佐平次」「錦の袈裟」など、数々の名作が含まれた。

 終戦翌年の1946年9月、禁演落語は「禁演落語復活祭」で甦った。当時、本法寺の住職は「山河亡びたる邦国の民に真の笑ひを」と述べたという。

 歌丸さんは生前、こんな言葉を残している。

 「文化に国境はない」(会長メッセージ|落語芸術協会より

 心から「笑い」を楽しめる幸せを、いま噛み締めたい。

 ※吉川慧
 ハフポスト日本版ニュースエディター
 特集「#だからひとりが好き」ディレクター
 News Editor, HuffPost Japan

『Huffington Post』(2018年07月02日)
https://www.huffingtonpost.jp/2018/07/02/utamaru-legend_a_23472620/?utm_hp_ref=jp-homepage

パワー・トゥ・ザ・ピープル!! パート2
  今、東京の教育と民主主義が危ない!!
  東京都の元「藤田先生を応援する会」有志による、教育と民主主義を守るブログです。

転載元転載元: 今 言論・表現の自由があぶない!

東京・浅草演芸ホールに程近い本法寺。毎年8月、ここに落語家たちが集う。境内に立ち込める線香の匂いと煙。一人一人、塚に向かって手を合わせる。石には「はなし塚」と刻まれている

▼軍靴の音が響きだした1940年、国は時局にふさわしくない落語53種の上演を禁じた。「禁演落語」である。初代柳家金語楼ら落語界幹部らが翌年この塚を建て、その台本を納めた。遊郭、浮気、下ネタが盛り込まれた『明烏』『居残り佐平次』『紙入れ』…

▼桂歌丸さんは2004年に落語芸術協会の会長になってから、法要とともに禁演落語の会を近くの浅草演芸ホールで開くようにした。05年には塚まつりを催し「涙や怒りはあっても笑いがない、それが戦争だ。禁演落語も安心して上演できる時代に感謝したい」と述べた

▼横浜一のくるわで育った人である。実家は遊女屋。『歌丸 極上人生』(祥伝社)によれば、男と女の本性が渦巻く世界にどっぷり漬かって生きた。道理で本題に入る前のまくらも艶と潤いがあった

▼歌丸さんが81歳で亡くなった。訃報に接して、昨夜あたり、名演の誉れが高い『真景累ケ淵(しんけいかさねがふち)』のCDを取り出して在りし日をしのんだ人もいるだろう。軽妙なテレビ出演だけでなく、古典落語でも抜きんでた芸を見せた人だった。

河北新報

河北春秋

https://www.kahoku.co.jp/column/kahokusyunju/20180703_01.html

余録

洞窟学、洞穴学と呼ばれる学問分野がある…

 洞窟学、洞穴学と呼ばれる学問分野がある。日本洞窟学会のホームページによると、研究内容は地質、生物、考古学など幅広い分野に及ぶ。共通点は洞窟で調査、研究を進めることだ

▲洞窟は人類にとって長く自然の脅威から身を守る住居だった。旧石器時代の壁画が残るスペインのアルタミラ洞窟など貴重な遺跡も多い。光のない環境で進化し、目がなくなった生物など独自の生態系も存在する

▲迷路のような洞窟に入るには専門的な知識や技術、装備が不可欠だ。水中洞窟では潜水技術も求められる。洞窟学と表裏一体の関係にある洞窟探検はケービングと呼ばれ、欧米では人気の高いアウトドアスポーツの一つだ。万一の場合の救援組織もある

▲豪雨でタイ北部の広大な洞窟に閉じ込められた地元サッカーチームの少年らを発見したのはボランティア組織「英国洞窟救援協会」に所属するケービングの専門家たちだった。水没した洞窟を潜水し、少年たちが避難した一角にたどり着けたのは蓄積された知識や経験のたまものだろう

▲暗闇の中、十分な食料も持たずに10日間も生き延びた少年たちのチームワークは驚嘆に値するが、救出方法はまだ固まっていない。ポンプで洞窟から水をくみ出し、洞窟内の水位を下げるのにも時間がかかるという

▲それでもタイ当局に加え、日本など世界各国の災害救助や排水の専門家らが救援活動に加わっていることは心強い。知識や技術を駆使し、一日も早く、少年たちを太陽の下に連れ戻してほしい。

毎日新聞2018年7月5日 

筆洗

2018年7月5日

 藤子・F・不二雄さんの「ドラえもん」が四次元ポケットから取り出す数々の秘密道具の中でも、「コンピューターペンシル」がとりわけ欲しかった子どもたちは多いかもしれない

▼このペン型の道具さえ手にすれば、勉強しなくてもすむ。試験の時、自分で考えなくても、正しい解答を勝手にスラスラ書いてくれる。これをジャイアンがのび太から取り上げ、試験で使い、百点満点を取るのだが、答案を見た父親は喜ぶどころか、こっぴどく叱る。「できの悪いのはしかたないとして不正だけはするなと教えてきたはずだぞ!」。立派な教育であり、子への愛情であろう

▼ジャイアンのおとうさんとは正反対にこの父親は、不正をしてでも、わが子を大学に合格させたかったのか。東京地検特捜部はきのう、文部科学省の科学技術・学術政策局長を受託収賄の容疑で逮捕した

▼この局長、自分の子どもを大学に合格させてもらう見返りとして、この大学を文科省の支援事業の対象とするよう取りはからったとみられている

▼必死に勉強している受験生やその親からすれば、はらわたが煮えくり返る話だろう。教育行政を担う文科省の局長が不正という秘密道具を使って裏口入学に手を染めた

▼合格が親の不正の結果と知れば、どれほど子どもが傷つくかがなぜ分からなかったか。その「子のために」は教育とも愛情とも決して呼べぬ。

東京新聞

http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/hissen/CK2018070502000154.html

2018年7月4日(水)

きょうの潮流

 幕が下りても立ち上がれない。30秒、1分…。苦しげな表情で息を切らせ、やせ細った体を抱えられるように楽屋へ。傍らには酸素吸入器と車いす。入退院をくり返しながらも高座に上がり続けました

▼命を削ってまで落語をやめなかった桂歌丸さん。とてもまねできないと、仲間たちが舌を巻いた気迫や執念。そこには、後世まで落語文化を残したいという強い信念がありました

▼幼い頃に父を亡くし、母とも離れ、祖母に育てられた少年の日々。そのさびしさと終戦後の笑いの少なかった時代になぐさめとなったのがラジオから流れてくる落語でした。分け隔てなく笑いを届ける職業にあこがれ、中学3年のときに弟子入りして以来、67年に及ぶ落語家人生でした

▼テレビで活躍する一方で古典落語に打ち込み、長く落語芸術協会の会長も務めました。「寄席は日本が世界に誇る大衆芸能」と、国に文化予算増を求める署名活動の呼びかけ人にも。庶民いじめの政治を鋭く風刺する姿勢も変わりませんでした

▼信念がもう一つ。それは平和への思いです。生まれ育った地を焼け野原にした戦争。「あんなものは愚の骨頂。人間や国同士の争いは決してやるもんじゃない。平和に慣れすぎないように、これでいいんだと思わないように、若い人たちにはきちんと伝えていかなければ」

▼落語や人間にたいする深い愛情。みずからの生き方を見事に示した人生の終(しま)い方。座布団の上で歌丸さんは語り続けます。心から笑える人生を、笑い合える社会を。

しんぶん赤旗

https://www.jcp.or.jp/akahata/aik18/2018-07-04/2018070401_05_0.html

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