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昨年から引退の気配がチラリとあったものの、遂にキタか・・と。

浅田真央が引退                         「選手として終える決断致しました」


日刊スポーツ 4/10(月) 22:55配信    

 女子フィギュアスケートのバンクーバー五輪銀メダリスト・浅田真央(26=中京大)が10日、ブログで引退を発表した。

【写真】引退!ありがとう浅田真央/名場面写真特集

 「突然ですが、私、浅田真央は、フィギュアスケート選手として終える決断を致しました。今まで、長くスケートが出来たのも、たくさんの事を乗り越えてこれたのも、多くの方からの支えや応援があったからだと思います。ソチオリンピックシーズンの世界選手権は最高の演技と結果で終える事ができました。その時に選手生活を終えていたら、今も選手として復帰することを望んでいたかもしれません。実際に選手としてやってみなければ分からない事もたくさんありました。復帰してからは、自分が望む演技や結果を出す事が出来ず、悩む事が多くなりました。そして、去年の全日本選手権を終えた後、それまでの自分を支えてきた目標が消え、選手として続ける自分の気力もなくなりました。このような決断になりましたが、私のフィギュアスケート人生に悔いはありません。これは、自分にとって大きな決断でしたが、人生の中の1つの通過点だと思っています。この先も新たな夢や目標を見つけて、笑顔を忘れずに、前進していきたいと思っています。皆様、今までたくさんの応援、本当にありがとうございました」(原文のまま)
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先日の世界選手権の結果によって、ピョンチャン五輪の女子出場枠が
2つしかなくなったため、これは難しいな・・と。
それでもまだ死にもの狂いでやればなんとかなるかも・・と期待したけれど、『気力がもう無くなった』ということなら引退しかない。

16歳当時から、誕生日が僅か数日足らなくて出場できなかった五輪。
もしそのときに出場していたら、金メダルは確実にとれたと思えるほど
ジュニアからシニアに転向したての頃の真央ちゃんのジャンプ力と、
身体能力の高さはズバ抜けていた。凄い子が出てきたなと驚いた。
でも、五輪には最初からツキに見放されていたようで、
その都度、本来の『真央』には至らなかった。
それでも、浅田真央というアスリートの成長と栄光、敗北と挫折、
そして鮮やかな復活、こぼれる笑顔・涙・悔しさ・嬉しさを、
僅か数分間の演技を通し、沢山凝縮して何度も何度も見せてくれた。

遂に引退ということになり、なにか貴重な宝物が失われるようで、
寂しい気もするけれど、これまでの長い間、浮き沈みを乗り越えて、
よく頑張り続けてきた真央ちゃん。本当にお疲れさま。
浅田真央こそ、日本女子フィギュアスケート界の『ド真ん中』だよ。
真央ちゃんのⅢアクセルは世界最高峰。ずっと忘れない。
今までありがとう。
そして、これからも素敵な人生でありますように。

▼世界の中心で輝いた一番星の軌跡。
 
イメージ

ほかにもタラソワさん(ヒグマ)でよく遊びました。楽しかった。

転載元転載元: ★恋夜姫のブログ★

稀勢の里、逆転で9連勝「ギリギリのところだった」

[2017年3月20日1



<大相撲春場所>◇9日目◇20日◇エディオンアリーナ大阪

 新横綱稀勢の里(30=田子ノ浦)が、大関復帰を目指す関脇琴奨菊(33=佐渡ケ嶽)を突き落としで下して、初日からの連勝を9に伸ばした。

 立ち合いで頭から当たったが「それ以上に相手が出てきた感じがする。ギリギリのところだった」と土俵際まで押し込まれた。それでも、落ち着いているのが今場所の新横綱。冷静に左からの突き落としを見舞うと、自身は体をひらりと、軽やかに踊るように土俵に残った。

 幕内最多を更新する63度目の対戦となった宿敵とは先場所まで、同じ大関としてしのぎを削ってきた。だが、今場所は自らが横綱に昇進し、相手は関脇へと陥落。番付に差がついた。

 それでも、心境は変わることのない相手。いや、それ以上に警戒心を持っていた。場所前の連合稽古でしのぎを削った際「琴奨菊がだいぶ仕上がっている。すごかった。あれだけの圧力を食らうと、ここが違うんだなとか、ここがダメだとか分かる。土俵の中で修正できたし、番数以上に、勝ち数以上に得たモノがあった」。気づかせてくれた相手だからこそ、最大限に警戒し、全力で仕留めた。

 初優勝した初場所で、ただ1人敗れた相手に雪辱し、弟弟子の高安(27=田子ノ浦)とともにトップを並走する。気持ちの波もなく「いいんじゃない」とひと言、つぶやいた。

3月場所の鬼門 稀勢の里を襲う“タブーなき”モンゴル相撲

2017年2月3日

日刊ゲンダイ


「マジメな男。だからこそ心配です」

 ある親方は、そう言って顔をしかめる。

 1日から稽古を再開した横綱稀勢の里(30)。ここ1週間は昇進に伴う行事に追われ、この日は相撲を取らず、軽く体を動かすだけにとどめた。

待望の和製横綱には、普段相撲を取材しないメディアも集結。「知らない顔が多いね」と、40人超の報道陣に苦笑いするも、「いい相撲を見せるのが仕事だから。しっかり稽古をするだけです」と続けた。

 当然、3月場所で期待されるのは優勝の2文字。性格が性格だけに、琴奨菊のように初優勝で浮かれ、稽古をおろそかにすることはないだろう。となれば、最大の敵はやはり、復権をかけるモンゴル人3横綱ではないか。

 この3人は、いずれも「衰えが顕著」といわれ、白鵬すらも先場所の14日目には平幕の貴ノ岩に敗れ、千秋楽では稀勢の里にも歯が立たなかった。だからといって、そう簡単に2場所連続で賜杯を許すほど、彼らは甘くない。

筆洗

2016年2月9日

東京新聞


 米映画監督のビリー・ワイルダーさんはずいぶんと忍耐強い方だったとみえる。こんな言葉を残している。<たとえ八十回のテークを費やしても耐える。八十一回目には素晴らしいショットがおさめられる>

▼映画「お熱いのがお好き」に起用したマリリン・モンローに鍛えられたそうだ。気まぐれな女優は撮影所にまず来ない。撮影が始まればせりふを何度も間違える。そのたびに泣き、メークはやり直し。それでもガマンする。八十一回目には見事な芝居をやってのける。「八十一分の一」の演技である

▼こちらは今シーズン十二分の十一の名演技、名ジャンプである。ワールドカップ(W杯)ジャンプ女子で高梨沙羅選手がまた優勝した。これで十連勝。シーズン十二戦で十一勝目である

▼大変な努力による結果だが、勝つことが普通、当然と、見られてしまう領域にいる。国際競技において、ここまで「勝って当然」の日本人は初めてだろう

▼どんな映画監督もこれほど連戦連勝の主人公でドラマを描くのは難しいかもしれない。もはや意外性に乏しく、現実味にさえ欠ける。それほどの強さといえる

▼ご本人はなお遠い空を見つめているようである。「男子のレベルには達していない」。男子並みの距離を飛ぼうとしているのか。そのテークオフは八十回のテーク以上に努力を求められるだろうが、大きなドラマを見たい。

大相撲初場所 大関・琴奨菊が初優勝

1月24日 17時14分

大相撲初場所 大関・琴奨菊が初優勝

大相撲初場所は千秋楽の24日、大関・琴奨菊が14勝1敗で初優勝し、日本出身力士では10年ぶりの優勝を果たしました。
初場所は、14日目を終えて琴奨菊がただ1人1敗でトップに立ち、2敗で横綱・白鵬と平幕の豊ノ島が追う展開となっていました。

千秋楽の24日、琴奨菊は大関・豪栄道と対戦し、立ち合いで左四つになって前に出て、「突き落とし」で勝って14勝1敗とし、初めての優勝を果たしました。

日本出身力士が優勝したのは、平成18年初場所の大関・栃東以来、10年ぶりです。

琴奨菊は、平成23年の秋場所後に大関に昇進しましたが、けがにも苦しんで、なかなか優勝争いに絡むことができず、負け越したら大関から陥落する角番も5回経験しました。

それでも、地道な稽古を重ねた結果、今場所は鋭い踏み込みから前に出る相撲が光って、3人の横綱をすべてを破る活躍を見せ、初土俵から14年、31歳で悲願の初優勝を果たしました。

琴奨菊「ことばにできないくらいうれしい」

初優勝を果たした琴奨菊は、表彰式でのインタビューで「つらいときも成績を残せなかったときも応援をしてもらって、ここに立つことができていることが、ことばにできないくらいうれしいです」と笑顔で話しました。

10年ぶりとなる日本出身力士の優勝を果たしたことについては、「自分の初優勝がたまたまそうだったということだが、きょう優勝できて本当にうれしく思う。自分の相撲をやりきれば『できる』という自信がついたので、また頑張っていきます」と話していました。


琴奨菊の初優勝 歴代2位のスロー記録

琴奨菊は新入幕から66場所目での初優勝で、これは元関脇の旭天鵬に次いで、歴代2位のスロー記録となりました。

また、初土俵から84場所目での初優勝は、旭天鵬や元横綱の隆の里などに続いて、歴代6位のスロー優勝です。
さらに、31歳11か月での初優勝は、年6場所制となった昭和33年以降では、旭天鵬、元関脇の貴闘力に次いで、3位の高齢記録です。

大関昇進後 けがに苦しむ
琴奨菊は福岡県柳川市出身の31歳。
全国中学校相撲選手権で優勝するなどの実績をあげ、高知の明徳義塾高校から佐渡ヶ嶽部屋に入門して、平成14年初場所に初土俵を踏みました。

その後、平成16年の名古屋場所で十両に昇進し、3場所で通過して、平成17年初場所に新入幕を果たしました。

力強い出足で左四つやもろ差しからの重い腰を生かした「がぶり寄り」を得意とし、平成23年の秋場所後に大関に昇進しました。

大関に昇進してからは、平成25年の九州場所で取組中に右胸の筋肉を断裂するなど、けがに苦しんで、万全の状態で臨めない場所が続き、なかなか優勝争いにも絡めませんでした。

それでも、体と向き合いながら地道なトレーニングを重ねたうえ、今場所は、場所前の大関・稀勢の里との稽古で前に出る圧力に磨きをかけ、3人の横綱をすべて破って自己最高の12連勝を果たすなど、持ち味の出足のよさが光っていました。

この10年 モンゴル出身力士がほとんど優勝

大相撲では、平成18年初場所で大関・栃東が優勝したのを最後に、日本出身力士は優勝から遠ざかっていました。

栃東のあとは、13場所、2年以上にわたって、朝青龍と白鵬のどちらかが優勝するなど、主にモンゴル出身の力士が賜杯を受けてきました。

特に白鵬は、栃東の最後の優勝の2場所後に初優勝を果たすと、7連覇と6連覇を1回ずつ成し遂げるなど、角界の第一人者として君臨し、大鵬の記録を超えて歴代最多の35回の優勝を積み重ねました。

日馬富士や鶴竜などを含め、モンゴルから来た力士たちが、去年の九州場所までのおよそ10年、58場所で実に56回優勝し、あと2場所は、ブルガリア出身の大関・琴欧洲とエストニア出身の大関・把瑠都がそれぞれ優勝しています。

一方で、日本の力士が賜杯に大きく近づいたときもありました。

平成24年夏場所では栃煌山が12勝3敗の好成績を収め、旭天鵬と史上初の平幕どうしの優勝決定戦に臨みましたが、はたき込みで敗れて、初優勝を逃しました。

また、平成18年の夏場所では、当時関脇の雅山が、平成22年の九州場所では平幕の豊ノ島が、いずれも14勝1敗で優勝決定戦に進みましたが、ともに白鵬に屈しました。

大関・稀勢の里も実力には定評があり、優勝争いのトップに並んで千秋楽を迎えたこともありますが、勝負どころで本来の力を発揮することができず、この10年、日本出身力士は賜杯に手が届きませんでした。


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