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NHK教育 ETV特集 本日午後10時
文豪トルストイの遺言
2010年は、「戦争と平和」などを著した世界的文豪、そして思想家でもあるトルストイの没後百年。この節目の時に、いまだに光を放ち続けるトルストイの思想に迫っていく。
トルストイの平和・平等思想は20世紀、ガンジーや魯迅の民族運動の理論的支柱となり、世界に大きな影響を与えた。日露戦争の際にも、トルストイは、戦争に反対、暴力を否定する姿勢を貫き通す。ロシア皇帝をも恐れないそのあり方と思想に、世界は大きな感銘を受けた。 以下は「しんぶん赤旗」4月4日付から抜粋
きょう放送
試写室(筆者・菅井幸雄・演劇評論家)
ETV特集
非戦、非暴力の全体像とらえる
日露戦争における地上戦の分岐点となった旅順の攻防、その貴重な映像にだぶらせて戦争反対を訴えつづけたトルストイ、ロシア芸術アカデミーに残されたトルストイあての5万通の手紙、その初公開の資料にふれたあと、
タイトルが入る。衝撃的な導入部だ。
皇帝にあてた戦争反対の訴えはしりぞけられ、誰のための戦争なのかをテーマとした文章は、ロシアでは発行できなかった。
『戦争と平和』を読んだ徳富蘆花は、トルストイを文学者というよりは、思想家であるととらえていた。トルストイはロシア正教会から破門されてしまう。他方ではレーニンが台頭、ロシアは怒とうのような転換期に入っていく。
トルストイは最後の手紙で、非戦と非暴力を強調し、官憲への非服従と兵役拒否の姿勢を貫く。家出して旅先の駅で亡くなるトルストイの行動は、インドにおいて非暴力抵抗運動をつづけたガンジーに共通する、と指摘される。
十字架もなく、銘も入っていない墓の映像は、トルストイの見事な死を暗示しているようだ。
初公開の資料も数多く含まれているので、トルストイの全体像をとらえることができるのである。
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テレビ
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[[attached(1,center)]] 心の遺伝子あなたがいたから 第一回は三國連太郎 自分の好きなように 運命の人木下恵介 昔から凄い存在感のある俳優だと思っていました。 兵役拒否で逃げたらお母さんが密告したとか、田中絹代の夫役のために健康な歯を抜いてしまったという話は聞いていました。 銀幕デビューのきっかけは大監督の木下恵介。慧眼ですね。 三國さんの動機は「ご飯が食べたい」。あのころは皆さんそうですよね。三船敏郎も。 木の下さんの紹介をしていると三國さん感極まりウルウル。司会の西田さんも泣きそうになるのを必死でこらえていました。 のちに五社協定をやぶり「犬猫、三國入るべからず」と張り紙されました。ほかの映画会社に出るとシャットアウトされた酷い時代がありました。 三國さんは勉強家で親鸞の映画[白い道]を制作。WOWOWで放送。途中までしか観ていません。 [[attached(2,center)]] 田中正造と足尾鉱毒問題を映画化した「襤褸の旗(らんるのはた)」は偶然。数年前街角でビデオを発見しました。先日徹子の部屋に沢田研二の[魔界転生」でとても色っぽい細川ガラシャ夫人を演じた佳那晃子が出ていて彼女もこの映画に出ていたことを知りました。何と西田敏行の妻になる役。この映画には中村敦夫も「幸徳秋水」役で出演。 随分前に観たので西田さんや佳那晃子さんが出ていたのも記憶にありません。 この映画ではトイレの近くの土まで食べちゃった三國さん、役者ですねえ。 [[attached(3,center)]] 田中に心酔した私はフィールドワークにも参加しました。寒い夜行バスで秩父を訪れ渡良瀬河・足尾銅山跡(一言も鉱毒には触れていなかった!)なども見学、日本の公害訴訟第一号と言われる事件です。 豊かな山野が銅の精錬のために丸裸、鉱毒で多数の被害者が出たのに、富国強兵目指す政府は放置、弾圧しました。さらに村人の家を強制破壊してしまいました。 衆議院議員だった田中は明治天皇に直訴するも狂人扱いされました。田中の権力は嘘をつくなどの言葉は障害忘れません。城山三郎の「辛酸 -- 田中正造と足尾鉱毒事件」(角川文庫)も感動的です。 以下は引用です。 1950年の暮れ、知人を頼って上京した佐藤政雄さん(後の三國連太郎さん)は銀座で声をかけられる。「お兄ちゃん、映画に出てみないか?」黒澤明と人気を二分していた木下惠介監督だった。そして1時間後、三國さんは映画「善魔」の主役に抜てきされていた。そして、このデビュー作で演じた新聞記者の名前・三國連太郎を芸名とし、俳優人生をスタートさせる。当時小学生だった西田敏行さんは、この作品を映画館で鑑賞。三國さんが演じた純粋な新聞記者のイメージが、そのまま今の俳優・三國連太郎さんに息づいていると言う。 生涯の師・木下監督と袂(たもと)を分かつ 演技未経験の三國さんはわずか30秒のシーンにも手こずり、思うような演技ができなかった。木下監督は三國さんに「自分の好きなようにやりなさい」とだけ言い、見守ることに徹する。かつて木下監督の下で助監督を務め、その人となりをよく知る横堀幸司さんは「(木下監督は)好きじゃないと目も合わせない人。三國さんのことがたまらなく好きだったのでしょう」と話す。 しかし、三國さん自身は俳優という仕事に身が入らなかった。木下監督は三國さんを俳優座で学ばせ、ようやく三國さんは“自分のこだわり”を探しはじめる。そして、個性を生かせる作品を求め他社の作品に出演。五社協定※を破り、恩師である木下監督と袂を分かつことになる。 ※日本の大手映画会社5社が結んでいた各社専属の監督や俳優などの引き抜きを禁止する協定 師の教えを胸に映画製作で評価 三國さんは様々なジャンルの作品に参加。「異母兄弟」では、30代でありながら健康な歯を10本も抜くことで老け役を演じきった。その情熱は止まることを知らず、1972年には自主映画「岸のない川」を製作。この時も木下監督は「自分の好きなようにやりなさい」と言葉をかけた。 50代で自分のテーマを見つけた三國さんは「親鸞・白い道」を製作・監督し、カンヌ国際映画祭で審査員特別賞を受賞。その後、晩年の木下監督が三國さんを招き、これまでの作品を丁寧(ていねい)に批評してくれたという。以降も俳優として幅広い役を演じ続けた三國さんにとって運命の人となった木下監督。三國さんは「監督から最後にかけられた言葉はやはり『思った通りに生きなさいよ』でした」と涙を浮かべ、生涯の指針となったその教えを静かに振り返った。 お若い時から非常にハンサムで目立っていました。
最近観た釣りバカ日誌ファイナル企業というものはそこで働く全ての人たちのもので、会長の私物ではない会社は自分のものではない経営が傾いてもしも辞めてもらうような選択をする時は、役員からそうしなくてはいけないと、残りの役員たちに釘を刺した場面がよかったですね。
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