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俳句川柳

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嵐山光三郎「芸人と俳人、おそるべし又吉直樹」
週刊朝日 6.19号

デビュー作の文芸小説が話題のお笑い芸人、ピースの又吉直樹さん。作家の嵐山光三郎氏は、文学の才能があると太鼓判を押す。

*  *  *
 又吉直樹の俳句がはじけて新鮮だ。小説『火花』はべらぼうな傑作で「凄い新人があらわれた」と度胆を抜かれたが、俳句の才もタダモノではない。

 新刊の『芸人と俳人』(集英社)は気鋭の俳人堀本裕樹(40)が又吉直樹(35)に二年間にわたる俳句講義をした対話集で、これから俳句を学ぼうとする人のための入門書として最適である。しかも、中味が濃くただの入門書ではありません。

 又吉氏は子どものころから俳句に対する憧れがあったが、どこか恐ろしいという印象があり、なかなか手を出せずにいた。実力派の堀本氏に会い、俳句の基本を学習して、ミルミル上達していく。

 対話は全十章にまとめられて、なにより堀本氏の教え方がうまい。「いるか句会」「たんぽぽ句会」を主宰し、ひと月に十回ぐらい句会を開いている堀本氏は、俳句結社特有の線香臭さがない。和歌山生まれで、同郷の作家中上健次に私淑して、小説も執筆している。

 教わる側の又吉氏は「愚直なまでに屈折している」という自由律俳句(五七五でなく季語にとらわれない句)をすでに作っていた。「蝉の羽に名前を書いて空に放した」という吟もある。堀本氏は「この句が好きだ」と評価して、蝉の季語が夏であると指摘する。晴れわたる空に蝉を放って自分の心を解き放ちたい、という気持ちに淋しさというかせつなさを感じた。

 こういった達人の解釈を聞くことによって、精神の内奥に潜む空漠の闇が触発される。又吉氏は、子どものころに、実際にこうやって遊んでいた。蝉は七日経つと死ぬというから、自分の名前を書いた蝉を七日後に捜そうと思っていた。

 又吉氏は「ひとり大喜利」のネタとして、こういったフレーズをノート三十冊ぐらいに書きとめていた。もとより言葉に対して敏感であった。各章ごとにふたりは一句ずつ詠む。第一章の又吉氏の句は「銀杏(ぎんなん)をポッケに入れた報い」。小学校一年生のとき、イチョウの実を拾って帰り、強烈な悪臭に悩まされた。堀本氏は「ポケットに銀杏入れし報いかな」ではどうか、と訊く。添削しつつも断言せず、又吉氏の感想を求める。

 ここで「かな」の切字(きれじ)を覚える。「や」「けり」の切字も覚えるが「はじめて切字を使うときは恥ずかしかった」と堀本氏は告白する。古語感覚になれるまで時間がかかる。

 切字を使った名句がいくつも示されて、又吉氏は開眼していく。堀本氏の講義は具体的で解りやすく説得力があり、それに反応する又吉氏は、まっすぐで純情で一途である。

伝えたい 言葉のエネルギー 井上ひさし作「小林一茶」

2015年4月2日 東京新聞


 やせ蛙(がえる)まけるな一茶これにあり  我ときて遊べや親のない雀(すずめ)

 子どもや小動物に優しい視線を注いだ句で知られる、江戸時代を代表する俳人小林一茶。井上ひさしさんが戯曲で描いた一茶は、カネや出世を追い求めるなど俗っぽい素顔で、その落差に驚かされる。井上作品を専門とするこまつ座(東京都台東区)が、井上さんと親交があった鵜山仁(62)の演出で十年ぶりに「小林一茶」を上演する。「一茶から受け継いだ井上さんの言葉のエネルギーを表現し、若い世代と共有したい」と鵜山は語る。 (五十住和樹)

 台本には、一茶やライバルの俳諧師竹里(ちくり)らがポンポンと発句を続ける場面が何度もある。一茶を演じるのは、若者に人気がある「D−BOYS」の俳優和田正人(35)。俳句にはなじみがなかったというが、鵜山は「五七五はせりふのリズムに合う。野球やサッカーなどスポーツが持つ共通のリズムと似ていて、若い演者の生理にかなっている」。箱根駅伝の出場経験もあるスポーツマンの和田に、「ラリーをおもしろくする仕掛け。このリズムでエネルギーをダイナミックに発揮してくれればいい」と話す。

 一九八七年、井上さんの「昭和庶民伝三部作」といわれる「雪やこんこん」の演出を同劇団に頼まれて以来のつながりだ。この舞台の初日は、原稿が間に合わず一週間遅れたという。東京・紀伊国屋ホールの映写室から二人で初日の舞台を見て、井上さんは「終わってもお客さんが席を立たないでしょう。成功です」とのんきな顔。「お客への信頼、期待、要求。何かを伝えて変わっていきたいというエネルギーにあふれていた」と鵜山は振り返る。

 井上さんが「小林一茶」を書いた四十代半ばは「どこに行き着くか分からないエネルギーが横溢(おういつ)していた」と、鵜山は解説する。「たくさんノイズが入っていて、見る人ごとに受け取り方が違う魅力的な芝居。舞台の上で善と悪とが拮抗(きっこう)し合うのが見どころ」と力を込める。

 井上さんの三女で同劇団代表の井上麻矢さんによると、井上さんは「一茶、芭蕉、西鶴、蕪村、宗祗(そうぎ)の俳諧師五人衆を書いたら死んでもいい」と言っていたという。麻矢さんは「今年は戦後七十年で、井上が生涯、戯曲のテーマとした『言葉』『庶民』『憲法』をやりたい」と話す。その第一弾は言葉のエネルギー。東京では七月は「父と暮(くら)せば」の上演を予定している。

 「小林一茶」は六〜二十九日、紀伊国屋ホール。七千六百円。問い合わせはこまつ座=(電)03・3862・5941。

◆魅力的な人物像

 主演の和田正人に、舞台に臨む思いを聞いた。

 −小林一茶は大金を盗んだ容疑者として描かれる

 けいこを重ねる中で、一茶のいろんな人物像が見えてきた。生き方を説くような偉い先生というイメージだったが、実際は臆病で女性への恩が足りず、立派じゃない人間的なところが前面に出ている。井上ひさしさんが描く人物は、裏側も大きく表現していてとても魅力だ。

 −井上作品は初挑戦

 とても光栄。文学性の強い作品に取り組んで、俳優として多面的に、人間としても幅を広げたい。「井上作品は体に入れるまでに時間がかかる」と言われたが、やりがいがある。終わったときに自分に大きな何かが残っていたらいい。

 −見どころは

 一茶とライバルの竹里がまったく違う生き方を選ぼうとする瞬間が、共感を得られると思う。人生の分岐点での考え方など、今に通じるものがたくさんある。推理劇としても楽しめる。

 <小林一茶> 1763年、信州・柏原(長野県信濃町)の農家に生まれる。本名は弥太郎。15歳で江戸に奉公に出る。奉公先を転々とするうちに俳句を知り、二六庵(あん)小林竹阿(ちくあ)らに師事。生涯で2万句におよぶ俳句を残し、65歳で死去。

 井上ひさしさんの「小林一茶」は1979年に初演された。こまつ座では今回が3回目。井上さんは「この戯曲に登場する人物はすべて実在し、扱う事件はなにによらず史実である」と書いている。

以下は、私の編集している新俳句人連盟千葉支部報「ちば」第148号(3月7日付)の「編集後記」です。

 (編集後記)

 「道標」601号において、望月たけしさんが、岡崎たかねさんの作品15句を鑑賞しています。その一部を紹介します。

「九条は兵の遺言青くるみ」
この句の「兵の遺言」は、戦争でむごい死に方を強いられた兵士たちに代わっての発言と思われる。「青くるみ」は、季語というより、主題にフィットした力、俳句力としてよく効いている。「九条を保持する日本国民にノーベル平和賞を」という署名運動が、受賞するまで続けられるという、明るい話題がある。この句も希望の方にウエイトがある。

「冬天に悪魔のこだまオスプレイ」
許せないのは、安倍政権の軍事大国路線により、オスプレイが日の丸をつけて飛びはじめるということだ。

「ウチナンチュに祖国はありや冬の海」
辺野古新基地を争点にたたかわれた沖縄の知事選、衆院選では「オール沖縄」とう結束力で民意を示したが、政府はこれを正しく受けとめず、辺野古の海に杭を打つような恥さらしを行っている。情けないことだ。

「天上の声とぞ『第九』十二月」
 十二月になると日本人は、ベートーベンの交響曲第九番を楽しむ。「全世界が兄弟になって手をつなごう」という歌詞がいいのかもしれない。

「墓碑の五基三月十日の家族なる」
 この句は三月十日の東京大空襲で全滅した一家のことだが、命をいとおしむ題材に詩がほほえんでいたように思う。(林)

以下は、私の編集する「道標東葛句会報」第53号の編集後記の抜粋です。

(編集後記)

「酷き死体跨ぎ歩きし三月十日」

 これは、東京新聞の募集する「平和の俳句」に応募された句です。

作者の宮根千枝さん(82)は、一九四五年三月十日の東京大空襲の折、江戸川区の旧中川にかかる平井橋の下で、九死に一生を得た。「まさに地獄。生き残ったことが奇跡だった」

 向島(現墨田)区内の国民学校六年生。集団疎開先の茨城県から卒業式のために二月二七日、自宅に戻った。登下校のたび機銃掃射に遭った。

 三月九日の夜、徴用先の軍需工場から帰宅した父に、「今日はいつもと違う」と言われた。通常は編隊で飛行する爆撃機が、この夜は一機づつ、断続的に襲来したからだ。母と兄、姉の五人で家を飛び出した。消火準備をしていた隣組の人たちからは「逃げるのか、非国民」とののしられた。

 爆弾が「ばかばか落ちた」中、強風に吹き飛ばされそうになりながらも東武亀戸線の鉄橋をはって渡った。平井橋を押し合いへし合いしながら江戸川区側へ渡り、なんとか橋の下にもぐりこんだ。

 隣で身を縮めていた男性は、橋の下からわずかにはみ出ていたようで背中に焼夷弾が命中。子どもを抱えたまま、「がっ」と声をあげて絶命した。「後にも先にも聞いたことがない、すさまじい叫び声でした」

 空が白み始めると、おびただしい数の遺体が目に飛び込んできた。「みんな死んでいた。行き場がなかったんだもの」。一人また一人と、またいで家にたどり着いた。

戦後、家族で大空襲の話をしたことはない。
「酸鼻極まる状態を思い出したくなかったのでしょう。でも戦争のつらさは黙っていたら分からない」。自身は小学校教諭として、体験や平和の大切さを語り続けてきた。

いま、政治が戦争に向かって進んでいるようだ、と危機感を抱く。「大人が起こした戦争で、子どもが不幸になる。憲法九条をなくすことは絶対許さない」。

以上は、東京新聞三月六日の記事(小形佳奈記者)から、抜粋しました(林)。

以下は、私が編集している、道標東葛句会報の「編集後記」の抜粋です。



(編集後記) 「初詣徴兵いらぬと子と祈る」。この句は、東京新聞が新年を期してはじめた「平和の俳句・戦後70年」の連載の、2月4日掲載作品です。作者は、63歳の植村壮一さん。

 選評に、金子兜太さんが、「九歳の息子がいて、徴兵制度の施行を大いに心配している。初詣でもそれを祈る。集団的自衛権の危険は、そのことも含む」と記しています。

 二月三日の参院予算委員会で、日本共産党の小池晃参院議員が、過激組織「イスラム国」による日本人人質事件について、人質救出のさなかには、人命最優先の立場から政府の対応への批判は自制してきたとしながら、「現時点ではこの間の政府の対応を冷静に検証していくことが必要だ」と強調し、これまでの政府対応をただしました。 

小池氏は、中東訪問中に安倍首相が2億ドルの支援を表明したエジプトでの演説で、「非軍事の人道支援」であることをふれていなかったことをあげ、「こういう演説をやれば二人に危険が及ぶという認識はなかったのか」とただしました。安倍首相は二人の安全への言及を避け続け、「危険性を認識していたのではないか」との指摘を否定しませんでした。

 小池氏は、「『テロに屈しない』の一言で批判や懸念に耳を傾けない姿勢でいいのか。慎重な発言が必要だった」と冷静な検証を求め、「二度と事件が起こらないよう政府の対応を検証するのが国会の役割であり、それに応じるのが政府の責任だ」と強調しました。

 同日の参院予算委員会で、次世代の党の和田議員の質問に促されて、安倍首相は「わが党は既に憲法九条についての改正案を示している」と述べ、自民党憲法改憲草案の実現への執念を示しました。

 自民党憲法改憲草案は、日本国憲法前文の「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有する権利を有する」「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないやうにする」、戦力不保持を定めた九条二項を削除し、「国防軍」の創設を明記。徴兵制の根拠となる国民の国防義務を規定しています。(林) 


 


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