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水谷豊主演の「少年H」をテレビでみました。
評判どおり、なかなか良い話で、久しぶりに涙を流しつつ楽しんだのです。 神戸というオシャレな街に住む一家、外人のために服を仕立てるテーラーという仕事を持つ父親。
熱心なクリスチャンの母親。素朴で素直そうな妹に囲まれ、少年は生き生きと毎日を過ごしている。 利発そうな顔の男の子です。当時のクリクリ坊主がかわいいですね! そんな穏やかな日常に、少しずつ「不安」の影が差していきます。
戦争へと向かう黒い影です。
まるで、それは真昼の眩しい太陽を覆うように、立ち現れる黒い雲のようなのです。 この不穏の空気を少年Hは嗅ぎ取っていきます。何かが変わり始めていると。 さて、この映画の中で変わり始める不穏な空気、この空気を私は実際、感じとっていることに気づくのです。
瀬戸内 寂聴(せとうち じゃくちょう)さんが、今の日本の空気は70年前の空気と似ていると言ったことを思い出しました。 この映画で語られる平凡な市民らの日常に、こそりと立ち現れるものを見たとき、その意味を私もはっきりと感じとって愕然としたのです。 まず、市民らの言葉が変っていくのです。「そんなことを言ってはいけない、誰かに聞かれたらどうする」
国はあからさまな言論弾圧をしたわけではないのです。けれど、私たちは社会の空気を読むのです。特に権力者が向かおうとしている場所への空気を読むのです。 「長いものには巻かれる」つまり「風見鶏になる」ということです。
こうなって恐ろしいのは、個々の意思はどんどん無視されていくということです。体制の意思と異なる意思を持つものは、この空気の中で徐々に排除されていきます。
少年Hの大好きだった近所のお兄さんも「アカ」と呼ばれて、逮捕されてしまいます。
言論思想の弾圧は静かに始まりますが、これが大ぴらになる頃には、もはや体制の意思は引き戻せないところまで、来てしまっているのです。
けれど人々はそんなことは信じたくありません。その信じたくないというバイアスが、マスコミなどの調子の良い、はったりのような記事を信じ、拠り所にしてしまうのです。
「日本は勝利している」「日本が戦争に負けるなんてありえない」というわけです。
本当は戦争なんてしたくない。今の平凡な生活が続くほうがいい。心の奥底では皆そう思っているのです。では、いったい誰のための戦争なのか? 人々は疑問を持ち始めます。
そこで登場するのが「現人(あらひと)神」なのです。
こんな不条理な目的に、こんな役割を押しつけられる天皇陛下も、たまったものではなかったでしょう。 現在の天皇はシンボルですが、昔もいいように権力者に使われるシンボルだったのだと感じるのです。 ここで皆が感じる「黒い影」「嫌な空気」とはなんでしょう?
私は「不条理」のことだと感じました。
少年Hのお父さんが、スパイ容疑で警察に拷問を受ける場面があります。
他にも少年Hが軍艦の絵を描き父親に諭される場面があります。 これらが「スパイ」と言われ、本気でこのような人々を警察が犯罪者のようにあつかう。 少年は、ただの子供です。ただの子供が描いた絵です。お父さんは、ただの仕立て屋です。他には何も出来ない温和しい人です。
冷静に考えれば、大笑いの容疑です。警察というプロが、平凡な市民と真の犯罪者を見分けられないのです。 不条理の笑いです。
理屈が通らないのが不条理なのです。
そして今「ヒタヒタと不条理の足音」がします。小さな不条理が積み重ねられて既成事実になっていくのです。
理屈が通らなくなってきています。 でも、今ならまだ引き返せるのではないでしょうか?
70年前のように体制に作られた空気に甘んじないことです。何故なら、私たちの一番大切な権利「自由」が奪われてしまうのですから。 自由の剥奪はまず「娯楽」や「文化」を弾圧します。「音楽」「映画」「小説」など芸術は自由への賛美という表現であるからです。
今回は、前回と事情が違うので、戦争にまで至るかどうかはわかりません。しかしひとつだけ言えることがあります。このままでは、不条理な空気に甘んじる「窮屈な、つまらない」社会になるということです。
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