Yukihisa Fujita Mystery World

藤田幸久ミステリー創作の世界(背景とエピソード紹介):英国が好きな人必見

全体表示

[ リスト ]

イメージ 1

1998年ギネス・ワールド・レコード(ギネス世界記録)は正式にケント州のプラックリー村を「英国で一番幽霊の出る村」に認定しました。村人は村とその周辺に12から16の幽霊がいると言っていますが、ギネス世界記録は12の幽霊と認定しました。幽霊の出ることで有名な他に、この地域は牧歌的な昔の面影をそのまま残している田舎としても知られています。これは1990年代に連続テレビ番組の舞台になったことがこの地を有名にしました。あたりの風景は野原のパッチワークをなしており、森林と果樹園があちらこちらに広がっています。

たくさんいる幽霊の中には、村の煉瓦工事で働いているときに転落して死んだ悲鳴をあげる男がいます。煉瓦工事現場に幽霊を目撃したという報告はありません。絶叫の音が建物の中に響き渡るだけです。

セント・ニコラス教会では「赤のレディ・デリング」の幽霊が教会墓地と彼女が眠る礼拝堂をさまよい歩くのが目撃されています。赤のレディの非嫡出の赤ちゃんが生まれてすぐに亡くなり、母親は悲嘆に打ちひしがれて後を追うように死去します。彼女の亡霊は主に礼拝堂で多くみられます。このあたりは説明がつかないノックの音、何かが激しく当たる音、窓の外に見られる動き回る光等の幽霊現象がたくさん見られます。

教会墓地は幽霊の「白のレディ」と幽霊犬が現れる場所です。白のレディの幽霊もデリング家の一員と考えられています。彼女の霊魂がデリング家の邸宅サレンデン・デリングの図書室で目撃されています。地元に伝わる伝説では、彼女の美しさは近隣でよく知られていました。悲劇的な若さで彼女が死んだ時、彼女の夫は悲嘆にくれました。彼は墓荒しが彼女の姿を傷つけるかもしれないという考えに耐えることができなくて、彼女の遺体をたくさんの高価なガウンで包み、彼女の胸に1本の赤い薔薇を置いて密閉した鉛(なまり)の棺に入れました。さらに何重もの密閉した棺に棺を入れ、最後に頑丈な樫の棺桶に入れ、デリング礼拝堂の地下埋葬室に埋めました。霧の濃いある秋の朝彼女の霊魂が教会墓地に現れました。彼女は生前と同様に美しく、一本の薔薇の花を持っていました。

白のレディは、サレンデン・デリング邸宅が2つの世界大戦の間米国大使館として使われている間に目撃されました。ウォルター・ウィナンズという男が彼の猟銃を抱えてあるクリスマス・イブの夜一人図書室で不審番をしていました。彼の前に白のレディが現れた時、彼は彼女に向けて数発発砲しました。弾丸は幽霊の姿を通り抜けました。彼女は羽目板の壁に消えて行きました。ここは邸宅と教会を結ぶトンネルにつながっていました。

一人の先生の幽霊が村のはずれの木の枝にぶら下がっているのを見た人がいます。この先生は1920年代に首つり自殺をし、学校へ行く途中の生徒によって発見されました。自殺の理由は分かっていません。

旅籠宿ブラック・ホース・インには、暖炉の中に少女の幽霊が現れ、見えない手が食器棚から食事用器具(ナイフ・フォーク・スプーンなど)を取り出し、台所に中にぞくぞく寒気をよぶ場所があると報告されています。スタッフとお客さんの所持品を隠す悪ふざけをする幽霊がおり、一度ならずパブの女主人をパブから締め出したことがありました。パブの主人は、バーの棚のグラスが動き出し、犬が見えないもの向かって吠えたことがあると言っています。このパブは最も幽霊が出るところというテレビ番組で紹介されたことがあります。屋根裏部屋で交霊会を開いたこともあります。ローラ・ギャンブリングは、1997年11月にこのパブを買い取りました。最初の日曜日に忙しいランチタイムの前にティーを入れて飲んでいました。バーの棚のグラスが少し動きだしたのに気が付きました。驚いてじっと見ていると、グラスは棚の端まで滑り、端に来た時に止まりました。

クロスロード橋に老女の幽霊が目撃されています。彼女は生前橋の半ばに座り、パイプをふかし、ジンを飲みながら、小川からとってきたウォーター・クレソン(葉が辛くサラダ・スープ・つけ合わせに使用)を売っていました。この老女は焼け死んだと考えられています。酔っぱらって飲んでいたジンを衣服に大量にこぼし、誤って煙草の火から引火したせいです。

プラックリーの最も興味ある幽霊話はロバート・デュ・ボアでしょう。彼はこの地に頻繁に出現した残忍な追剥で、交差点の近くにある大きな樫の木の空洞に隠れていて、犠牲者が来ると飛び出して襲います。しかし、デュ・ボアは、樫の木の洞穴に隠れると言うやり方をあまりにしばしば使ったので、近隣の人々が皆知るところとなってしまい、誰も驚かなくなってしまったのです。ある日一人の旅人がためらうことなく、彼の剣をデュ・ボアが隠れている樫の木に突き刺します。デュ・ボアは隠れていた樫の洞穴の中で死にました。この樫の木はずっと昔に亡くなりましたが、デュ・ボアの幽霊は今でもこの交差点の付近に現れます。

プラックリーの駅の前の道路にグレイストーンと呼ばれる建物があります。この建物の地所に僧侶の幽霊が現れるといわれています。僧侶はチューダー王朝時代に住んでおり、隣の屋敷に住む娘と恋に落ちたといわれています。娘の父親がこのことを知ることになり、娘に再び彼と会うことを禁じます。娘は恋人に会うことができないことに悲観し、毒の入った酒を飲み死んでしまいます。僧侶はふさぎこみ、苦しみ、彼の唯一の慰めは、二人のロマンティックな出来事を思い出す緑の野原と木の葉の散った小道をさまよい歩くことでした。年月が過ぎ、僧侶はますますふさぎこみ、亡くなった恋人に思い焦がれ、とうとう心労のあまり死んでしまいます。彼の幽霊がその後近隣で見られるようになり、1989年米国人ジャーナリストが家の陰をさまよっている茶色の僧衣を着た姿を見かけたのが最後の目撃でした。

鍛冶屋ティー・ルームには2人の幽霊がいることが知られています。この建物起源は14世紀に遡ります。この建物に鍛冶屋の加熱炉がありました。その後パブになり、現在はグロリア・アトキンズがティー・ルームを開いています。彼女は少なくとも2人の幽霊と一緒に住んでいます。一人は騎士で、2階の部屋を出たり入ったりするのを家族の人々が見ています。2人目の幽霊は、チューダー王朝時代のメイドで、暖炉のそばに立って、ゆっくりと串焼きの鉄串の向きを変えています。グロリアはたくさんの幽霊の活動を目撃しています。ぶら下がっている一連のマグが突然チリンチリンとなりました。あたかも誰かがマグに指を当てて歩いたかのように・・・。1997年11月のある寒い午後、彼女が台所で働いていると、表玄関の扉が開いて閉じるのを聞きました。さらに椅子がテーブルから動かされる音が聞こえました。お客が店に来たと考え、メモ帳を持ってお客の注文を取ろうとティー・ルームに来ると、誰もいませんでした。確かに椅子は人が座るためにテーブルから引かれていました。しかし、部屋には誰もいなかったのです。

モルトマンの丘には馬の幽霊が四輪馬車を曳くのが目撃されています。この四輪馬車は村のあちこちで見られています。ある10月の真夜中一人の婦人が孫のベビーシッティングを終えて車で家に向かっていました。ピノックス交差点で馬が引く四輪馬車が来るのが見え、それが通り過ぎるのを待っていました。四輪馬車の窓からは明かりがこぼれていました。彼女がそこで見たものに仰天します。馬の幽霊が四輪馬車を曳いていたのです。
エルヴィ農場は、この地域の唯一の幽霊のでるホテルとして知られており、長年にわたり数多くの幽霊が農場に現れています。農場の最も古い部分は1406年に建設され、16世紀から18世紀に遡る馬小屋と付属建物がたくさんあります。農場の最も有名な霊魂は19世紀にここで農夫をしていたエドワード・ブレットの魂です。伝えられている物語によると、1900年彼は妻に15シリング、子供たちにそれぞれ1ペニー渡し、妻に「私はやるよ」と囁きました。それから彼は落ち着いて酪農場に入っていき、ピストル自殺します。エドワード・ブレットの幽霊が敷地内に現れることが報告されており、ホテル(農場をホテルに転換)のオーナーとお客は何回も彼の幽霊を見ています。ホテルの従業員とお客はしばしば耳に「私はやるよ」と囁く声を聞きます。エルヴィ農場(ホテル)のその他の幽霊には、現在居心地の良いバーになっている16世紀の納屋の上の屋根裏部屋寝室に行く階段に立っている軍隊の制服をきた男がいます。このホテルに宿泊し、自分で幽霊の出現を確かめることができます。

写真はプラックリーのセント・ニコラス教会です。

この記事に

閉じる コメント(1)

冬に怖い話はいいですね〜、よりゾクゾク感が増して。
イギリスというと幽霊話が多いですね。しかもそれを売りにしてる部分もあるのは国民性なんでしょうか。日本なら祟りがあるとか言って怖れるんですけどね。

2010/12/19(日) 午後 6:05 - 返信する

コメント投稿

顔アイコン

顔アイコン・表示画像の選択

名前パスワードブログ
絵文字
×
  • オリジナル
  • SoftBank1
  • SoftBank2
  • SoftBank3
  • SoftBank4
  • docomo1
  • docomo2
  • au1
  • au2
  • au3
  • au4
投稿

.


みんなの更新記事