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島根・鳥取1611松江出雲砂丘

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日本最大の砂丘として知られる「鳥取砂丘」は、山陰・鳥取県東部の日本海沿岸の町、「福部町」を含む鳥取市にあり、東西16km・南北2km・最高起伏92mにも及び、鳥取砂丘では自然によって造りだされる幻想的な「風紋」や「すりばち」を見ることができる。

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変わらぬ風情、変わらぬ情緒、湖と堀川に見守られた水郷『松江』 、松江城の周りを中心に栄えてきた松江市。城を囲むすべての堀川は松江城築城の時に造られました。堀川は、松江城や城下町を守ると共に、物資の輸送や人々の往来、生活用水として、そのうえ豊かな漁場でもありました。古くから生活を結びついてきた堀川を、松江の人々はきれいな流れにするために努力を惜しみませんでした。その想いは現代にも受継がれ堀川は松江を代表する風情となっています。

「堀川めぐり」の舟は、「松江堀川ふれあい広場」、「カラコロ広場」、「大手前広場」を発着場とし、1周約3.7キロを、ボランティアガイドさんの説明を聞きながら、所要時間約50分で運行されています。 舟に揺られながら、松江城をはじめ、城山の森、塩見縄手などの美しい景観を楽しむことができます。
 この遊覧で、何よりも、楽しいことは、何箇所かある、橋の下をくぐるとき、舟に付いた、移動式の屋根が下がり、みんな腹ばいになって、橋をやり過ごすときです。 屋根が下がってくると、狭い空間の中に、自然と、親近感が沸いてきて、乗船者全員に、一体感が生まれます。

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変わらぬ風情、変わらぬ情緒、湖と堀川に見守られた水郷『松江』 、松江城の周りを中心に栄えてきた松江市。城を囲むすべての堀川は松江城築城の時に造られました。堀川は、松江城や城下町を守ると共に、物資の輸送や人々の往来、生活用水として、そのうえ豊かな漁場でもありました。古くから生活を結びついてきた堀川を、松江の人々はきれいな流れにするために努力を惜しみませんでした。その想いは現代にも受継がれ堀川は松江を代表する風情となっています。

「堀川めぐり」の舟は、「松江堀川ふれあい広場」、「カラコロ広場」、「大手前広場」を発着場とし、1周約3.7キロを、ボランティアガイドさんの説明を聞きながら、所要時間約50分で運行されています。 舟に揺られながら、松江城をはじめ、城山の森、塩見縄手などの美しい景観を楽しむことができます。
 この遊覧で、何よりも、楽しいことは、何箇所かある、橋の下をくぐるとき、舟に付いた、移動式の屋根が下がり、みんな腹ばいになって、橋をやり過ごすときです。 屋根が下がってくると、狭い空間の中に、自然と、親近感が沸いてきて、乗船者全員に、一体感が生まれます。

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松江市は、古代出雲の中心地として早くから開け、奈良時代には国庁や国分寺が置かれていました。
 地名の由来は、慶長16年(1611年)堀尾吉晴が亀田山に城を築き、白潟・末次の二郷をあわせて松江と称したことにはじまります。
 江戸時代には堀尾氏3代・京極氏1代・松平氏10代の城下町として栄えました。そして、この頃、今日に見る都市の基礎が形成されました。
 明治4年(1871年)廃藩置県によって県庁が置かれ、同22年4月(1889年)全国の38市とともに市政を施行しております。当時の市域4.78km2・人口35,513人でした。
その後、昭和9年から35年にかけて8回にわたり周辺の村を合併、そして平成17年3月31日には八束郡7町村と合併し、現在の市域となっております。
 この間、昭和26年(1951年)には松江国際文化観光都市建設法が制定され、奈良市・京都市と並んで国際文化観光都市となりました。
 さらに、平成7年(1995年)には出雲・宍道湖・中海拠点都市地域に指定され、山陰の中核都市として発展してきております。 

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松江城は国の史跡に指定され、今では松江城山公園として整備が行き届いている。大手に面して、堀越しに眺める二層の南櫓と一層の中櫓はなかなか絵になる風景。この2つの櫓とそれにつながる一層の太鼓櫓は二ノ丸跡に平成13年に復元されたもの。
 大手木戸門跡から入城すると広々とした馬溜跡。一辺46mほどのほぼ正方形の平地で、出撃する際に兵を集めて馬揃えする機能を持っていたことからこの名がつき、2つの井戸跡が残っている。
 大手門跡を通ると二ノ丸下ノ段。往時は米蔵が建ち並んでいたところで、二ノ丸の石垣に沿って植林された木々の美しい広場となっている。下ノ段から二ノ丸跡に上ると本丸跡の見事な石垣が目を奪う。高石垣の上にそびえたつ天守の姿はなかなかのもの。
 三ノ門跡、二ノ門跡、そして復元された一ノ門をくぐるといよいよ五層六階の天守に至る。山陰地方で唯一現存する天守で国の重要文化財に指定され、その平面規模は姫路城に次ぐ広さを持つ。
 一・二層が黒塗りの下見板張り、最上階が遠見櫓で望楼式の実戦本意の質素な造りで、桃山時代初期の質実剛健な姿をみせ、その屋根の特徴から千鳥城の別名がある。木彫り青銅張りの鯱(しゃちほこ)は高さ2mもあり、現存する木造のものでは日本で最大のもの。
 また、天守入口の付櫓も珍しい。天守の防備を固くするために付けた櫓で、入口には鉄延板張りの大戸がある。
 天守地階は籠城用の生活物資の貯蔵倉庫で、中央には深さ24mの井戸が残っている。天守内部の階段は急勾配ですべて桐材で造られ、階段を引き上げたり、防火防触のために桐を使用したもので他の城では見られない松江城独特のもの。柱は小さな板を寄せ合わせて鉄輪で締めて強靭なものとし、堀尾吉晴苦心の作といわれている。
 天守内部には甲冑、刀剣類から火事装束など松江藩ゆかりの品々が数多く展示され、最上階からは松江の城下と宍道湖が一望できる。
 天守を支える石垣はごぼう積みで、一見粗雑にみえるが、石組みとしては最も頑丈な積み方である。
 天守の北側には昔、馬を洗ったということから名前の付いた「馬洗池」が残る。このあたりに残る本丸跡の苔むした石垣は大手とは異なった趣がある。
 かつて家老屋敷と城内の脇虎口ノ門を結ぶ重要な橋であった北惣門橋が平成6年に木造で復元されている。
 松江城をめぐる内堀(堀川)はほぼ往時のままの姿をとどめているので、遊覧船で堀川めぐりをし、北惣門橋をくぐればひとしお感慨深い。

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