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是の身は霓(にじ)の如し、
霓(にじ)は久しく立つに能(あた)わず、
須臾(しゆゆ)にして消ゆ。
是の身は泡の如し、
泡は久しく立つ能わず、
須臾にして消ゆ。
是の身は幻の如し、
幻は久しく立つ能わず、
須臾にして消ゆ。
是の身は響の如し、
響は久しく立つ能わず、
須臾にして消ゆ。
是の身は稲妻の如し、
稲妻は久しく立つ能わず、
須臾にして消ゆ。
是の身は浮雲の如し、
浮雲は久しく立つ能わず、
須臾にして消ゆ。
是の身は水流の如し、
水流は久しく立つ能わず、
念々に流れ去る。
是の身は芭蕉の如し、
実ありきと見ゆれども、
中空にして実あらず。
是の身は焔(ほのお)の如し、
温かく見ゆれども、
一切を焼き尽くして空(むな)し。
是の身は夢の如し、
実ありと見ゆれども、
虚にして空し。
是の身は迷いより出(い)ず、
実ありと見ゆれども、
妄にして空し。
この身は主なし、
主ありと見ゆれども、
主なくして空し。
この身は心性(こころ)なし、
心性ありと見ゆれども、
瓦礫の如く心性なし。
この身は生命(いのち)なし、
旋風に舞う樹の葉の如く、
唯業力(ごうりき)に転ぜらる。
この身は不浄なり、
美しく見ゆれども、
内に醜きもの充満す。
この身は無常なり、
堅固なりと見ゆれども、
必ずや当に死すべき時臨(いた)らん。
泡の如く、霓(にじ)の如く、
幻の如く、響の如く、
過ぎ去るものは実在に非ず。
汝ら実在に非ざるものを、
『我』なりと云うべからず、
当にこれを『我』と云うべからず。
空(むな)しきものは『我』に非ず、
死するものは『我』に非ず、
無常なるものは『我』に非ず。
法身こそ応(まさ)に『我』なり。
仏身こそ応に『我』なり。
金剛身こそ応に『我』なり。
不壊なるものこそ応に『我』なり。
死せざるものこそ応に『我』なり。
尽十方に満つるものこそ応に『我』なり。
お彼岸であります。
また東北の地震津波で多くの方が亡くなっています。
既出の『久遠生命の神示』『天使の言葉』とを併せて
お読みくだされば供養になるかと・・・
※左の《今日の言葉》から見られます
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