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第2段 旧青山邸の紹介です!
大正7年 青山留吉がこの豪邸を建てました。娘、政恵は17歳。
当時、日本一の大地主、山形県酒田市に住む「本間」さんに、政恵はよくお呼ばれをして
その豪邸を見て「私も負けないくらいの豪邸がほしい」と父留吉に頼んだそうです。
こんな言い伝えがあるとか 「本間様には及ばないが、せめてなりたや殿様に」それほど
本間さんは、大金持ちだったようですね。
親子して、豪邸を建てる気持ちが強くなり「金にいとめはつけぬ、全てオーダーメイドの
別荘を小樽に建てよう」と…。青山親子は、自ら絵や書道を究めている芸術家でもあった
ようです。そして、当時として31万円という破格な別荘を建てました。
今の金額にすると、31億円(とガイドが言ってました)。(O_o)WAO!!!
当時新宿のデパート伊勢丹の建築費が50万円(今だと、50億?)ですから、その費用
は???想像つきません。
別荘といっても、本家と別家があり今残っているのは、別家です。本家は札幌にある、北
海道開拓村に移送されたそうです。(ここも行ったことあるけど、凄いですよ)
建築物は素晴らしい。
大工さんは総勢50人(宮大工もいた)建築期間は、6年かかったそうです。
園庭がある5つありました。家の中は10〜15畳まで8つ部屋があり襖で仕切られ、openに
すると100畳になり、大大宴会を催したそうです。
玄関が3カ所(使用人・家の者・お客様用と別々)
ガラス1枚1枚オーダーですし、当然模様入り。美術・芸術好きは親子は、当時有名な
画家や芸術家を呼び寄せ作品を作らせたんだそうです。(◎-◎)
部屋に名前があり、襖や掛け軸は全て有名作家の手作り!!
廊下は漆塗り(春慶塗という光沢があり現在もぴかぴかつるつるです)
言えばきりがないのですが、よくぞ作った。そして、よくぞ残してくれたです。
今見ても凄いですよ。今度一人で見に行きたいぐらいです。団体だとどうしても流されて
しまう。旧青山邸のサイト紹介します。興味ある方はどうぞ行ってみて下さい。
http://www.otaru-kihinkan.jp/aoyama/index.html
そしてここは、「石狩挽歌」という北原ミレイが歌った曲の発祥地です。
写真貼り付けしておきます。なかにし礼さん、北原ミレイさん、浜啓介さんが写ってますね。
なかにし礼さんが小樽出身だったとかです。(誰かが言っていた)
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