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伝えよう戦争のこと

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日本人の綺麗好き(part1)
 
 
今回は日本の良いところ、素晴らしさをまとめて記事にしてみました。(第一弾とします)ネットでこのキーワードで検索すると、かなりな数で結果が出ます。まあ、その辺も見ながら、しかし私なりの感じ方も織り交ぜてみましたので、ご覧下さい。
 
 
●日本人の清潔さ綺麗好き
事は江戸時代末期。ペリー率いる黒船が浦賀に来航しました。(当時はペリルと言われていた)この時代に鎖国中だった日本は驚き、国は大揺れに揺れるのは有名ですね。
その頃から異人さん達は、日本に来ることが多くなりました。
その中の一人、江戸の町並みを見た感想は、「まず驚いたことは、木で出来た家は貧弱だがどの家も整然として小綺麗である。
道はゴミ一つ無く、清掃されている。そして、家の前に植木・花を添えその通路は、花道のように美しい」そしてもっと驚いた事は、「普通の一般人が、読み書きをしていたのには驚いた」と言っている。
当時世界で一番の大都市だった江戸。人口100万人は居たと言われる。(ロンドンで80万人)江戸の80%以上は読み書きが出来ていたそうで、ロンドンや他の大都市等読み書きの出来る者は、40%位だったそうである。
日本人は勤勉だったのでしょうね。そして清潔・きれい好きは基本だったのではないでしょうか。
 
TVで見ましたが、「お寺のお坊さんの行いは何だろう」という紹介をしていました。私は朝から夜までお経を読み、食事は精進料理等というイメージでしたが、違うのでした。
まず掃除なんですね。番組では、朝から夜までお経を読むのではなく、至る所時間をかけ掃除をするのが日課だそうで、当たり前なんだそうである。それが基本の行いと。
確かにどこのお寺・神社も綺麗と感じる事はある。
 
そして、あと1ヶ月もすれば新年を迎える訳ですが、その前に年末の恒例大掃除がある。
1年の垢を落とし新年を迎える、日本では当たり前の行事ですね。この大掃除には意味があるのを知りました。
古くから日本は、どんなものにも神が宿るとされていました。生命のあるもの、作られたものに対してもである。たとえば木の神様・花の神様・川などあげるときりがありませんが、それらを綺麗にして神様が宿るように願っていたわけですね。
ですから、大掃除で綺麗にして家に沢山の神様を呼ぼうと言うわけです。神様は綺麗なところが好きで、自分の家に住んで欲しい・運気を上げるということでしょうね。
そして新年を迎えるにあたり、門松・しめ縄などでここからお入り下さいと、示すわけです。
実に素晴らしい願いであり、行いと思います。
 
海外から来られる観光客が、一同に言われる感想を紹介。
日本は美しいと言います。やはり四季折々の風景・風物が魅了されているのだと思います。
しかしそれだけではありません。まず日本各地にある駅。大小様々でしょうが、どこ行っても綺麗であるということだそうです。西欧では不潔な駅もあるそうで…。

確かに、いつも私は「新橋駅」を利用しますが、ここはサラリーマンが多いところで酒場も近いためひどいところなのである。嘔吐したものとか、コンビニの弁当・空き缶を放置されているのがある。
朝6:45には新橋にいますが清掃前なのでしょうね、凄いところがある。
でも帰りに見ると綺麗になっている。清掃員(多分シルバー)の人が行っていると思いますが、実にこまめです。そのまま放置していない。そこが日本とそうでない国との違いがあるのでしょうね。
公園なんかも同じ事が言えると思います。
公共の場であるところこそ、是非綺麗にしていただきたい。そう思います。
 
以上のこれらは自然の美しさなどもそうですが、日本人にある伝統の心が伝わっているのだと思います。自然に親から子へ、子から孫へと。文化も精神も。
綺麗好きの日本、賞賛されないわけがありません。
 
まだ色々言いたい事・投稿したいことありますが、第二弾・第三弾と続投する予定です。
記事の題はそうですねぇ、何にしましょうか。
 
 
 
下のイラストはネットでの頂き物。壁紙にいいかも!
イメージ 1
 
海外から 各文化人・著名人が日本を褒めていただいている正直なコメント集です。
感動します!!!
イメージ 1
 
「責任 ラバウルの将軍今村均」を読んで
 
今年の夏、7月30日にNHKで「日本のいちばん長い夏」が放映された。
これは、昭和38年(1963年)6月20日、東京の料亭「なだ万」に、日本を代表する知識人や政治家、
官僚を含む28名の人々が集められた。
当時、半藤一利さんが編集者として昭和38年に『文藝春秋』で行った座談会(文春新書)を文士劇
として再現した「日本のいちばん長い夏」と題されたものである。
政治家、官僚、作家など28人が集まって行われた座談会は、ポツダム宣言受諾の背景、原爆投下、
ソ連参戦などをリアルに明らかにしていく様を記録したものの再現を、現在の著名人達が演技して
放映された。
イメージ 2その中の一人、陸軍大将であった今村均も参加され、番組の
最後にこの方が終戦からの事を紹介された。
それは、とても興味を引くものだった。
 
早速書店で文庫本を見つけ、読みふけった訳です。
 
まず、このノンフィクション作者 角田房子女史に感謝したい。読みやすく判りやすいストーリーが流れていき、良くまとまっていると思う。
そして、時代背景や今村均本人の日記・書籍を実に解読説明されていているしイメージしやすかった。(角田さんは今年1月にお亡くなりなったそうです。謹んでお悔やみ申し上げます。95歳でした)
 
 
さて本題に入ります。
この本の始まりは、終戦後今村均がニューブリテン島で戦犯者収容所にて自害するところから始まります。青酸カリを持っていて、その毒薬は数年前に勤務していた中国で手に入れものでした。

きっと、古いため成分も緩和され効き目も薄かったのでしょう。一命を取り留めました。
 
今村均は宮城県仙台市出身。(1886年6月28日 - 1968年10月4日)
幼い頃から夜尿症で悩まされ、頻繁にトイレに行く事で昼間は眠気が何度も襲います。
学生生活では、その眠気を修めるため唐辛子をポケットに入れ眠気防止で口に含んでいたそうです。
父の職業は判事。裕福だったようです。しかし、その父が病気で倒れ亡き人となりました。
ちょうど進路を決めていく時期で、母親に軍士官学校を勧められましたが悩みます。
結局、陸軍士官大学に入学。大学ではトップで卒業します。
大学からはその成果を称え、昔のどこかの殿様が持っていた刀剣を授かります。
大卒後、陸軍省に勤務。その経歴は、ウィキペディアを参照して下さい。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%8A%E6%9D%91%E5%9D%87
かなり色々な場所に配属され、転々としているようですがその成績は優秀だったようです。
性格は温厚で高潔な人柄と、占領地での軍政・指導能力は高く、戦後は総じて評価が低い傾向にある
昭和期の日本軍高級軍人達の中では、数少ない名将という評価を受けています。

また、明治生まれであり明治天皇が崩御され前に乃木将軍とも会っているようで、崇拝していたようです。
乃木将軍は明治天皇が崩御されたと同時に、ご夫妻で自殺しました。
東京赤坂にその家が残されているようです。
その事件を伝えられた時は、今村均も男泣きだったようです。
 
大東亜戦争開戦後、第16軍司令官としてオランダ領東インド(インドネシア)を攻略する蘭印作戦を指揮。
帝国陸軍の最精鋭空挺部隊である挺進連隊や、一式戦闘機「隼」装備の飛行第64戦隊・飛行第
59戦隊の活躍により、太平洋戦争における日本の最重要戦略目標であるパレンバンの油田地帯を制圧
(パレンバン空挺作戦)。
また、敵軍が日本軍の兵力を見誤っていたこともあり、わずか9日間で約9万3千のオランダ軍と約5千の
イギリス軍・アメリカ軍・オーストラリア軍を無条件降伏させたのであります。
 
ガダルカナル島では日本は大惨事でした。
記憶に寄れば(書籍で知って)、確か北海道の旭川から歩兵部隊として第一次部隊としてガ島に向かいます。
戦員1000人に対し、相手国アメリカは20000人そして最新武器を持って戦いあいます。
日本と言えば銃剣がほとんどで昔ながらの「つっこめ〜!えいやー!」と言った具合ですから、一晩で全滅です。
日本は今までほぼ対中国や対ソ連戦では、陸での戦いは無敗でした。
アメリカはそれまで陸での戦いは無かったということで、日本は甘く見ます。陸戦なら負けないという根拠無き
考えで向かうのでした。
そして、二次三次と戦員を送り込むみますが同じ事の繰り返し。
惨敗でした!海岸にはおびただしい数の戦員達の遺体がありました。(YouTubeでも見られます)
そして流された血は、海水がきれいにしたようでした。
 
もう一つ、ガダルカナル島では戦いで亡くなったのもそうですが、餓死・病気(マラリアやチフス)
等でも一命を落としたのが多かったそうです。
日本から送られる食料は、途中で対戦国に撃沈されます。届かぬ食料・医療これでは体力もなにも
あったものではありません。それでも日本兵は、精神・気力で戦います。
どんな思いでの戦いだったのか、頑張っても先が見えています。
今村均は当時ラバウルから以前の後輩・部下の応援・激励にガ島に来ました。そのやせ細った体、
医療室で見る元部下達に愕然とします。見舞いに来た今村に部下達が気づき、敬礼をしようと立とう
とするのですが立てないのです。この本では、その時の部下も日本に帰れてインタビューをした
文が記載されていますが「私は35kg位しかありませんでした」と。
今村は、気を使い「よいよい。そのまま!そのまま!」「何もおまえ達が悪くてこんな事になった
のでは無い。本部上層部が対策を建てもせず、こんな結果になったのだ。」
そうすると部下達から、すすり泣く声・嗚咽が始まり今村もそこに居られなくなり外に出ました。
外では男泣きだったそうです。
こんな文を打っていながら、泣けてきてどうしようもありません!………
 
今村はラバウルに戻り、部隊一丸となって自活をします。食料は生きる事・戦う事。
未開のジャングルを切り開き、田畑を作り、食料には不自由しなくなりましたし、とても先見の目が
ありました。そして南の島の椰子の実を、実に上手に利用しました。
甘味を利用し、お菓子を作ったようです。部隊それぞれが味を競いあい、大会もあったそうです。
面白いのは、お菓子の名前は隊長だったり隊員の名前だったりしたそうです。
椰子の実の葉は、乾燥させて縄状にしたり、火をつけるのが簡単ではなかったようで火縄にして
土に潜らせ翌日また使ったようです。知恵というのは人間を進化させますね!
また今村は、防空壕ならぬ洞窟を山の中に掘りました。これによって、人・武器は隠せますし雨風にも
耐える事ができたようです。その距離はm単位ではなく、kmです。凄いとしか言いようがありません。
当時のマッカーサーは、ラバウルでは日本軍のそのような防衛作を知り、わざわざ上陸せずに次の
場所を探そうと言う事になったそうです。結局、アメリカ軍はラバウルには上陸しませんでした。
それでも、空撃には来たようです。
 
そして終戦です。隊員達は、終戦と知ると「日本が勝ったんだ」と疑いもしませんでした。
しかし、アメリカ軍の飛行機が来飛し、ビラをまき・飛行機のボディには「日本、無条件降伏」と
ペイントされていたようです。知るや否や、嘘を言っていると思いながらも正式に通知が来るまで
敗戦などと疑いませんでした。知ると全員大泣きだったようです。
今村はその時には、大将になっていました。すぐに今後の事を考えました。
戦員はほとんどが尋常小学校あがりであり教育がなされていません。日本に帰っても苦労するのは
目に見えています。よって、戦員の中には教師をしていた者もあり、教科書を作り勉強させました。
この辺は、今村均の凄いところ!知恵があり実行力があり、書籍だけで知恵を得た者と違います。
きっと日本軍の上層部等現場を知らない者が表面上指揮をしていたものと思われます。
今村均は、知恵・実行力・先見の目がそろっておりました。どの人におかれましても、今村の事を
悪く言う人はいませんでした。優しさ・人を思う心がありました。
現地人、台湾・韓国からも戦員として来ていた者達も尊敬の念をおかれていたようです。
かの漫画家水木しげるも今村に対して、暖かい人と言っていたそうです。
 
それから、日本敗戦となったとてすぐに日本に帰国できるでもなく指示を待ちます。
そうです、裁判が始まるのです!
第8方面軍司令官の責任を問われたオーストラリア軍による裁判では、一度は死刑にされかけたが、
現地住民などの証言などもあり禁錮10年で判決が確定しました。その後の第16軍司令官時代の責任を
問うためのオランダ軍による裁判では、無罪。
今村は、とにかくみんなを死刑にならないようどんな理由でも良いから、弁護してきました。
たとえば、「この者の顔や見て下さい!女性のような風貌で現地の人に危害を加えると思いますか?」
などと言ったそうです。危害を加えたというより、食べ物を粗末に扱ったりものを大事にしなかった
ことにより、びんたを加えたようなのですが…。
そのように者にも中には銃殺・首つり等分けられ処刑されました。
 
1949年(昭和24年)に巣鴨拘置所(巣鴨プリズン)に送られたが今村は「(未だに環境の悪い南方
で服役をしている元部下たちの事を考えると)自分だけ東京にいることはできない」として、
1950年(昭和25年)には自ら多数の日本軍将兵が収容されているマヌス島刑務所への入所を希望
した。巣鴨プリズンは、A級・BC級犯罪で訴えられ、東条英機なんかもいましたね!
この場所はご存じでしょうか?今は池袋サンシャインが建っているところです。
そして妻を通してマッカーサーに直訴したといわれている。
その態度にGHQ司令官のマッカーサーは、「私は今村将軍が旧部下戦犯と共に服役する為、マヌス島行きを希望していると聞き、日本に来て以来初めて真の武士道に触れた思いだった。
私はすぐに許可するよう命じた」と言ったという。
 
刑期を終え日本に帰ってきた今村は、責任を持って罪を償いました。
東京の自宅の一隅に建てた小屋(謹慎室)に自らを幽閉し、戦争の責任を反省し、軍人恩給だけの
質素な生活を続ける傍ら「回顧録」を出版し、その印税はすべて戦死者や戦犯刑死者の遺族の為に
用いられました。
元部下に対して今村は出来る限りの援助を施し、それは戦時中、死地に赴かせる命令を部下に発せ
ざるを得なかったことに対する贖罪の意識からの行動であったといわれます。
その行動につけこんで元部下を騙って無心をする者もいたが、それに対しても今村は騙されている
と知っていながらも敢えて拒みはしなかったといいます。
これが82歳でこの世を去った今村均の生涯でした。
 
戦争とは儚く悲しいものですが、日本を守るんだという根底において死も辞さない者が大半でした。
それは日本の将来のため、今我々が生きているこの時代を守るためと言う事なのです。
「靖国で会おう」という合い言葉に、本当に涙します。
先週靖国神社に行ってきました。沢山の英霊達の写真がありました。何とも言えない気持ちになりました。
 
 
 

そんな気持ちを歌に託したのだと思います。
♪海ゆかば水(み)漬(づ)く屍(かばね)
   山ゆかば草むす屍
   大君の辺(へ)にこそ死なめ
   かへりみはせじ
 
※私はこう解釈しました
海で息絶えることになっても 山で息絶えることになっても
人のため我が国のためになるのだったら
死んでも決して悔やまない
 
最後になりますが、この上の画像コスモス1本1本を英霊の方達に捧げたいと思います。
コスモスは色鮮やかでありながら、雨風に耐え凛として1本1本咲き誇っています。(合掌)
 

麦と兵隊

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麦と兵隊
 
昭和生まれだけど、戦後という昭和を生きてきたdoobieにとって日本が戦争をしていた事は
大変なショックでした。昭和に入って、日本は軍国主義まっしぐら。
私たちの時代は、学校で日本は悪い事をした。侵略戦争を行ってきたと学びました。
しかしこの規律正しい思いやりの気持ちのある民族にとって本当に、そうしたかったのか、本当
はどうだったのか知りたくなり、最近は本やネットで勉強中です。
そして何故戦争をしなければならなかったか、なぜアメリカ等連合国に負けたか、徐々に判って
きました。
 
大東亜戦争と言われる時代から、東南アジア諸国はほとんどが白人国と言われる国々に支配されて
植民地とされていました。(インドネシア・インド・ミャンマー(ビルマ)・フィリピン等他)
唯一タイと日本が独立国だったようです。
そして、日本の敗戦でそれらの国々はすべて独立しました。白人社会は撤退したのです。
当時の日本人は頑張ったのです。本当に、色々な国に出兵し死ぬ思いで戦ってきました。
日本も植民地にならないよう守るため、我々の前の世代は国のために本当に戦って来たのです。
今我々は戦争で亡くなった方々の元に生きていると言っても過言ではありません!
 
確かに中国・朝鮮では当時の事で反日体制も多く(教科書で習うのでしょうね。若い人々が多い)、
今でも日本製品購買ボイコット運動が多いです。また、日本が虐殺をしたのも事実のようです。
しかし、しかしです。日本は、当時の各国のトップに了解を得て進行した、いうことでした。
進行した、その後が悪いのですが…。
でも日本軍は、その地でダムを作ったり、電気・電話を引き、農作方法・土木・建築工法を教えたり
もしていたようです。(これは偉いです)
 
当時フィリピンのお偉いさんが言いました。中国・朝鮮はうらやましい。鉛筆1本にしても、作り方・
研ぎ方にしても自立できるように、日本から教わっている。
フィリピンを占領していたアメリカは、何も方法など教えてくれなかった。唯一、鉛筆・ノート等は
買わされた…と。
 
そんなこんなを色々知って、時代・国柄・時代の進み方判ってきました。
そしてその背景はみんなが苦労して、涙無くしては語れず・聞けずそんな時代だったんですね。
 
次回は今読んでいる「今村 均 陸軍大将」のことをテーマにしたいと思っています。
(この方は、大将で終戦。部下に対するその後の責任は、すざましいものでした。)
 
戦争当時の流行歌を紹介します!
「麦と兵隊」 昭和13年に大ヒットした曲です。小説「土と兵隊・麦と兵隊」からのものです。
歌手は、東海林太郎です。この方の歌も当時を偲ばせ、非常に良いのですが、ここでは
ダークダックスのアカペラを紹介します。
これ毎回聞くたびに切なくなり涙します。情景を浮かばせる歌詞、曲。日本人が好きな曲調です。
素晴らしい。
 
壁紙は、この曲をイメージして作画です。3番目の歌詞にあわせました。
胸に迫るものがあります。
 

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小説「永遠の0」百田尚樹を読んで…



この小説は5月頃、日本橋の書店「丸善」でぽつんとコーナーがありふと手にとってみて読みたくなった作品でした。
何故でしょう、最近歴史物に興味を持ち、幕末〜昭和までの出来事を知りたい故に書物・ネットなどで調べあさっていた矢先の事でした。

内容は太平洋戦争(大東亜戦争)のよくある戦争物ではあります。
手に取った文庫本裏カバーに「児玉清氏絶賛」と興味を引く文字。
「永遠の0」とは、0戦闘機の事だったのです。
また、作家の百田尚樹さんは私と同年生まれ(1956年)、戦争を知らない世代です。
終戦が1945年ですから11年経った年ですね。
その辺にも興味を持ちました。また、「永遠の0」は百田尚樹さんのデビュー作だったのです。

とにかく泣けました。出社・帰宅時の電車の中一気に読んだ感じがします。
人はばかりなく目にハンカチを当てました。
感動・悲しみ・登場人物にはまり自分がその時代に生きていた錯覚・イメージが頭の中で浮き上がる
そんな作品です。


内容は(簡単に記します)、
主人公の青年・佐伯健太郎と姉・慶子の母方のおばあちゃんは再婚して今のおじいちゃんがいることは当然のごとく知っています。
そのおじちゃんは、この2人と血がつながっていない事と、血がつながったおじいちゃんは0戦に乗って戦死した(特攻隊で)事まで知っていました。
戦争経験者らが年々少なくなっていく中、ふとした事から自分たちの本当のおじいちゃんの事を知りたくなり「どんなおじいちゃんだったのだろう」ということから始まります。

0戦に乗っていたのですから、戦友会などの名簿を入手しておじいちゃん「宮部久蔵」のことを全国聞き歩くわけです。
戦友と言われる数人から、宮部久蔵はどんな人物だったのか徐々に知っていきます。

最初は、意気地なし・卑怯者・男の風上にも置けない等ひどい男のレッテルをはる戦友証言者。
また、気持ち的には意気地なしだったが、腕は素晴らしかったと証言する者。
いいや、意気地なしなんてとんでもない、最高の飛行技術で敵をやっつけた尊敬する人。
徐々に「宮部久蔵」という男の風貌が明らかになっていきます。
「宮部久蔵」という男は、この時代にマッチしない飛行士であったようで、紳士的であり・家族を大事にする心・上下関係無く丁寧語を話す男etcでした。
飛行技術も最高で、ハワイ・真珠湾攻撃から終戦日の終日前まで0戦に乗り頑張った戦士だったのです。

この物語はフィクションでありながら、実在で狙撃王と言われていた「岩本徹三」「西澤廣義」なんかの事も交えて説明していますし、その時代背景やミッドウェイ・ガダルカナル・ラバウル・レイテ・硫黄島・沖縄など壮絶な戦闘も記されています。これは実際の記録からのものでしょう。
いかに戦争とは悲惨なものか良く判りました。
そして、宮部久蔵は戦友達に「絶対に死ぬな」「命を大切にしろ」と言う。特攻隊ですから、死ぬために戦争に来たのですが、「生きて帰るのだ」と隊員達を激励します。
それぞれの戦友達は、死んで行くのが男と思っていたのが心を動かされます。生き延びて行こうと。
しかしながら、アメリカ側の最新技術・総動機数により崩れて行きます。
これは事実が物語っています。

宮部久蔵は奥さん子供を愛していました。しかし、1億総玉砕の中、自分も特攻隊として花と散らす事を覚悟します。そして、奥さん子供をある人に託します。
それは…!
これを書くと、物語の結末になってしまいますので、ここまで!

号泣したのは、日本の対戦思想・戦略の浅はかさや、力の無さなどにより亡くなった人々のこと。
0戦闘機は当時世界最高の戦闘機だったそうです。軽量で・飛行時間も長く・小回りが効く等ですが、軽量なのは鉄板が薄いこと(狙撃されると、すぐに大破)、飛行時間が長いと言っても人がそれに耐うるか(体力・精神が持たない)など人の事などを考えていません。
「0戦は大切にしろ、おまえ達は死んで行くのだ」
これらはこの小説から知りました。

ご存じの通り、まだ若い少年達が特攻隊として出陣し命を落とす事。
TVなどでも知りましたが、彼らは心清々しく、何も失うものはなし、ただ決まった以上男らしく自爆する(体当たりというやつです)ね。想像すると、泣けてたまりませんでした。

戦争を知らない世代には是非読んでほしい。また体験者の方々には、辛い思いがこみ上げるかもしれませんが読んで欲しいです。
私は2度読みました。何回も読みたい作品で、その都度泣きます。

こちらブクログにも沢山の感想文が
http://booklog.jp/asin/4778310268?page=1
そのほかのレビューでも、ほぼ全員が涙したようです。


ちなみにこの第二次世界大戦で、国別死亡者数
旧 ソ 連:1000万人
中  国: 800万人 ※1000万人とも言われている
ド イ ツ: 600万人
日  本: 310万人
英  国: 200万人
仏 蘭 西: 200万人
アメリカ: 100万人
イタリア: 100万人  全世界で約1億人とも言われています。


悲惨な戦争 物資を破壊し、人の一生と人と人とを切り裂き 何十年もの間その影響で悲しみに暮れる いったい何を得られるのでしょうか

後生に語り継がれて行かなければなりません。絶対に。
本当は8月15日の終戦記念日に記事にしようと考えたのですが、どんぴしゃで辞めておきました。

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