愛唱会きらくジャーナル

♪美しく青きドナウ,モルダウ,Waltzing Matilda,ナブッコ,ダニー・ボーイ♪次回9月10日2pm アカデミー向丘

全体表示

[ リスト ]

北国に住んでいた頃から疑問に思っていたのだが、「蝦夷(えみし)」とは一体何者か。字面からは、北海道のアイヌを連想する。アイヌ語起源と思われる地名が多数残されていることからも、昔は本州(特に東北地方)にアイヌが住んでいたとしても不自然ではない。
 
が、大和朝廷との抗争に関する読み物では、アイヌらしさは浮かばない。どうも日本人そのもののようだ。義経と奥州藤原氏三代あたりの時代になると、異人種という理解の入り込む余地は無い。
 
ただ、古い記録からは、「容貌が異様で、野蛮で、獰猛で、分化水準が低く、朝廷と仲良くしない」というイメージが強い。そこで素人は途方に暮れることになる。
 
そんなとき、関裕二著「新・古代史謎解き紀行 消えた蝦夷たちの謎 東北編」が目に付いた。我が疑問にズバリ答えるタイトルに、格好の書とばかり図書館から借りて読んだ。
 
初は期待感が強く、熱心に読んだが、段々飽きてきた。冗長なのだ。著者は紀行作家気取りで各地の思い出を気持ち良さそうに書き綴るのだが、こちらとしては、早く答えを見たいのだ。
話があちこちに飛ぶうち、漸く最後に辿り着いてみれば、極く常識的な結論だった。「蝦夷という人種は存在しなかった。東北に勢力を張っていた住人を朝廷(藤原氏)側の事情で蛮族視する呼称を付けていた」とのことだ。
 
説得力は十分だ。従来このような説を唱えた学者はいなかったのか。結論自体には文句は無いが、本のページ数を稼ぐための水増しが多いという印象は拭えない。途中の論証も順不同の印象がある。
 
正確さにも疑問がある。例えば、「古麻呂は大伴家持の子で旅人の甥に当たる。」と述べている(225ページ)。家持は旅人の子だから、古麻呂は旅人の甥ではなく、孫でなければならない。ちなみに、大伴古麻呂の親子関係については諸説あり、「家持のいとこ、旅人の甥」とする系図もあるそうだ。
それはともかく、「東北人のつくるおむすびはまん丸で大きい」と書いているのが気に入った。さくらの会の長老、コーゾーさんがいつも持参するおにぎりはまんまるで大きくて、しかもしっかりと締め固められているのだ。奥様の愛情が密に詰まっていると皆んなが感心する。
 
秋田駅に降り立った二十数年前の感想も興味深い。駅前にたむろする若者達の身だしなみが、東京の繁華街を闊歩する人たちも顔負けするほど最新モードだったという。
 
バブル景気が遠い昔の話になった今はそれほどでもないだろうと著者は想像しているが、そんなことはない。消費生活の傾向として、一旦身に付けたレベルは簡単に落とせないのだ。
 
今でも秋田の駅前は大都会と変わらないきらびやかな人たちが歩いている。秋田に限らない。日本中どこも同じなのだ。リトルトウキョウの蔓延との批判もあるが、全国的な平準化は、必ずしも悪いことではない。
イメージ 1イメージ 2

閉じる コメント(6)

顔アイコン

こんばんは^^

私もそう思います、蝦夷なんて人種はおらず、ただ単に大和朝廷に従おうとしない人々、まつろわぬ人々を称して蝦夷という蔑称で呼んだものと考えています…♪「

2010/8/16(月) 午後 9:07 ビナヤカ

顔アイコン

ビナヤカ さま、コメント有難うございます。「蝦夷という蔑称」に過ぎなかったにしても、「アテルイ」という名前も不思議ですね。ヤマト側が勝手に付けたのでしょうかねー。

2010/8/16(月) 午後 9:50 [ yha*rym* ]

顔アイコン

大墓公(たものきみ)阿弖流為は、奥州市にあります「跡呂井(あとろい)」という地名にちなむとされているのが通説となっています…^^♪

2010/8/17(火) 午前 7:21 ビナヤカ

顔アイコン

ビナヤカさま ご教示有難うございます。遠からぬうちに訪ねてみたいと思います。

2010/8/19(木) 午前 6:54 [ yha*rym* ]

顔アイコン

『日本書紀』斉明天皇元年(655年)7月11日条には、難波朝(難波京の朝廷)で北蝦夷99人と東蝦夷95人を饗応したとある。

そこでは「北」と「東」にぞれぞれ「北越」「東陸奥」と注があり、北は越の方面、東は陸奥の方面と解せる。このうち越国は陸奥国の西に位置するが、越(高志)は都からみて北に位置するので北蝦夷としている。
斉明天皇5年(659年)の遣唐使と唐の高宗の問答が日本書紀にある。
大和朝廷に毎年入朝してくる熟蝦夷(にきえみし。おとなしい蝦夷)が最も近く、麁蝦夷(あらえみし。荒々しい蝦夷)がそれより遠く、最遠方に都加留(つがる)があった。

飛鳥時代(7世紀)頃には、蝦夷は現在の宮城県中部から山形県以北の東北地方と、北海道の大部分に及ぶ広範囲に住んでいた。斉明天皇4年(658年)には阿倍比羅夫が水軍180隻を率いて蝦夷を討っている。

最大の戦いは胆沢とその周辺の蝦夷との戦いで、
宝亀11年(780年)に多賀城を一時陥落させた宝亀の乱の伊治呰麻呂、
延暦8年(789年)に巣伏の戦いで遠征軍を壊滅させた阿弖流為(アテルイ)らの名がその指導者として伝わる

2017/7/23(日) 午前 7:57 [ 平和防災愛国 ]

顔アイコン

平和防災愛国 さま ご教示有難うございます。齢の所為で以前の書き込みの記憶が朧になっておりますが、古記録に見える蝦夷は、やはり辺境の日本人であり、アイヌの人たちではないと理解しております。

2017/7/23(日) 午前 11:09 [ yha*rym* ]


.
yha*rym*
yha*rym*
男性 / A型
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30

Yahoo!からのお知らせ

過去の記事一覧

検索 検索

スマートフォンで見る

モバイル版Yahoo!ブログにアクセス!

スマートフォン版Yahoo!ブログにアクセス!

よしもとブログランキング

もっと見る

プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事