|
春秋社PR誌『春秋』2017.7号の≪人生に活きる和讃―――源信と親鸞≫(著者:英月)が目に留まった。「讃」の字が何となく音楽っぽく感じられた。「青春讃歌」「オリンピック讃歌」「大地讃頌」などの曲名に影響されているのだろう。
記事には「和讃」の何たるかの説明は無く、≪〜親鸞聖人は生涯で五百首を超える和讃を詠まれましたが〜そのひとつが、平安時代の僧侶、源信僧都のことを讃えて詠まれた≫として次の和讃を示す:
煩悩にまなこさえられて
摂取の光明みざれども
大悲ものうきことなくて
つねにわが身をてらすなり
著者の表現振りからすると、和讃は韻文で、節をつけて朗詠されたように思われるのだが、メロディー(節回し)に言及は無い。人生訓の面から和讃をとりあげたものであり、音楽面は関心の外である。
気になるのでウィキペディアを覗くと、≪「和讃」は、「讃歎」の流行の後を受け平安時代中期頃には成立・定着する。和讃は、広く民衆の間に流布し、仏教の布教だけでなく、日本の音楽にも大きな影響を与え、民謡や歌謡、ことに演歌などの歌唱法に影響の形跡がある≫とのこと。
和讃の原型である「讃歎」(「仏教讃歎」、「讃談」とも)については≪古く奈良時代にさかのぼる。和文の声明(しょうみょう)で、曲調は「梵讃」・「漢讃」に準ずる。歌体は、一致しない。法会の奉讃供養に用いる歌謡として作られたと考えられている≫とする。
ということは、和讃は正に歌曲であったのではないか。上掲の親鸞による「源信讃」(?)はどのように唄われていたのか、現在も唄われているのか。興味津々である。
ウィキペディアに「恩徳讃」なる語を見出して思い出したことがある。かれこれ十年ほど前のこと、北国で歌の先生のリサイタルが所縁の寺で行われ、演目の一つが確か「恩徳讃」だった。先生が弾き歌いしていたように記憶する。聴衆(当然、少なからぬ檀徒がいた筈)も参加していたかも知れない。
|
全体表示
[ リスト ]



「地蔵和讃」賽の河原の物語が大道芸としても有名で「絵解き」でやっていました。
「 これはこの世のことならず 死出の山路の裾野なる 賽の河原の物語 聞くにつけても哀れなりーーー」
ご詠歌としての「地蔵和讃」はyouTubeにたくさんアップされていますね。鈴を鳴らしながらみんなで唱和しています。
2017/7/28(金) 午前 7:08
Yumeji さま ご教示有難うございます。「地蔵和讃」などが音楽として現代に生きていることが解りました。信仰心皆無の小生には接するチャンスが無かったようです。
2017/7/28(金) 午前 9:59 [ yha*rym* ]