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かつて、長年、古本屋さんのカモだった。読み切れないガラクタ本や資料の山が地下室やトランクルームで埃を被っている。トランクルームに持ち込んだのは四半世紀前か、もっと前か、記憶に無い。その後出し入れしたことが一度あるかどうかという死蔵ぶりだ。
倉庫業者からは四半期ごとに保管料の請求書が来る。これからも来る。保管料総額は、一体如何ほどに上るだろうかと怯える愚かさに絶望感が募る。さっさと処分すれば済むことだが、決断できないところに、もと古本マニアの片鱗が認められる。
今でも古書目録が頻繁に到来するほか、いつの頃からか「日本の古本屋メールマガジン」も着信している。そのメールマガジンの最新、第254号に≪快挙 松本清張の新資料発見!! 「風と稲」≫が載っている:
“北九州古書組合組合加盟店が、松本清張の新資料を発見し、各種新聞(西日本新聞・読売・共同通信)に取り上げられました。松本清張の12歳当時の「詩」が地元小倉の同人誌に掲載されていたのが見つかったのです。今まで、清張氏は文学青年では無かった、と自伝や対談で述べておられたのですが、これが覆される事になる貴重な資料と考えます。”
快挙 松本清張の新資料発見!! 「風と稲」 松本清張氏の子供時代の新資料発見が如何なる価値を有するのか、当方には判らない。勿論、氏のファンにとっては大ニュースに違いない。その延長上に、古書業界や資料博物館業界の興奮も想像される。
昔、氏の小説を集中的に読んだことがある。確かに読者を引きこむ魅力があった。駄作だと思った作品もあった。いずれにしろ、実力のある作家として巨大な存在であったことは間違いない。小説家の枠に納まりきれない人でもあっただろう。
その著名人の名前を当方は個人的には“まつもと きよはる”と呼び習わしてきた。世間では“まつもとせいちょう”と呼ぶことは勿論承知していた。何故へそ曲がりな呼び方をしたのか今では思い出せないが、多分、何でも音読みしたがる世間の傾向に逆らったのではないかと想像される。 新資料発見を報じる地元新聞の記事を読むと、“著書「半生の記」などによると、清張は本名で「きよはる」と読んだ”とあるではないか。何の事は無い、「きよはる」は公知のオーソドックスな発音だったのだ。世間の行き方に抗して粋がっていたとすれば、とんだお笑い草だ。
という訳で、当方にとっても大ニュースだった。
蛇足だが、念の為ウィキペディアを参照すると、真っ先に「呼称」として記述があった:
“せいちょう”はペンネームで、本名は、“きよはる”と読む。〜〜〜
編集者は、1950年代中盤まで清張を「きよはる」と読んでいた[6]。”
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