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最近、万葉集中最南の地名を詠んだ歌の紹介(井上さやか氏エッセー)を読んだ。
三248 隼人乃 薩麻乃迫門乎 雲居奈須 遠毛吾者 今日見鶴鴨
訓読:はやひとの さつまのせとを くもゐなす とほくもわれは けふみつるかも 訳:隼人の国・薩摩の海峡を、雲と見まがうほど遠くに、私は今日見たことだよ 薩麻乃迫門(さつまのせと)とは、鹿児島県阿久根市と長島町に挟まれた海峡で、潮流の速い海の難所だそうだ。
阿久根市と言えば、近年、法令の趣旨及び民主主義の原理を無視する独裁市長を戴いて有名になったところのようだな。
本題に戻る。最南の歌に対して、最北の歌は何だと思うのが当然の心理だ。井上さやか氏は、これについても解説しているらしいが、そのエッセーは手許に無かったので、念の為ネット検索したところ、一般には、
「須賣呂伎能 御代佐可延牟等 阿頭麻奈流 美知能久夜麻爾 金花佐久」
(すめろきの みよさかえむと あずまなる みちのくやまに くがねはなさく) 天皇の御代が繁栄するだろうとて、東国の陸奥山に黄金の花が咲きほこる(万葉集 巻十八 四〇九七) など、大伴家持が「陸奥の小田なる山」「みちのく山」を詠んだ歌とされているようだ。それは、現在の宮城県遠田郡涌谷町涌谷字黄金山だという。 (わくや万葉の里 天平ろまん館公式ホームページに拠る。)
半年前、国語学者・吉田金彦教授の「大伴家持終焉の地・秋田説」を紹介した中で触れた、同教授の万葉集中最北の歌の説はヒットしなかった。
その歌は、「我妹子を外 ( よそ )のみや見む越の海の子難 ( こかた )の海の島ならなくに」(万葉 3166)であり、「子難 ( こかた )の海」が八郎潟を指すというものであった。(大伴家持〜秋田城木簡〜終焉の地 2010/6/14(月) http://blogs.yahoo.co.jp/yhakrymd/MYBLOG/yblog.html?fid=0&m=lc&sk=0&sv=%BD%A9%C5%C4%BE%EB)
やはり、吉田金彦教授は(歴史)学会では異端視されているのかな。
「隼人」に纏わる歌として、
十一2497 早人 名負夜音 灼然 吾名謂 麗恃
訓読:はやひとの なにおふよごゑの いちしろく わがなはの りつ つまとたのませ
訳:隼人の名だたる夜警の声。その大きな声のようにはっきりと 私の名を申しました。
この上は私を妻として頼みになさって下さいませ。 というのもあると井上氏は紹介している。
薩摩の隼人は、悪霊退散の呪術のような吠声を特技としていたらしい。
「吠声」は「はいせい」と読み、犬の吠える声を真似たものという。夜警の際に遠くまでよく聞こえる声、大きな声であったらしい。
薩摩隼人の血を引く人は、発声器官がよく発達しているのだろうか。彼の地出身の歌手にはどのような方々がいらっしゃるか、調べてみたいような気もする。
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2010年12月13日
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