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このところ、雑用にかまけて更新が滞っているが、図書館から借りた本は期限内に返さなければならないので、取り敢えず拾い読み中の本が複数ある。
中村健之介/著「ニコライ 価値があるのは、他を憐れむ心だけだ」(京都 ミネルヴァ書房 本体価格 \4000)は大変面白く、いずれ落ち着いて読みたい。小見出し“マカーロフ提督の戦死”が目に入った。
マカロフについては、啄木絡みで何度か書いた。彼は、日露戦争初期に、ロシアの劣勢を反転するべく、期待を担って太平洋艦隊司令長官となったのだが、日本海軍と一戦交える前に乗艦が機雷に触れて戦死した。
ロシア側の落胆は想像に難くないが、日本側からも、第三国からも哀悼が寄せられた。その中に啄木の「マカロフ提督追悼の詩」がある。
ニコライは幕末に来日し、明治時代を通じてロシア正教の布教に努めた。お茶の水のランドマーク“ニコライ堂”にその名を残す。
日露戦争は、ニコライほどの宗教家にも、心の葛藤をもたらし、大いに苦しめたそうだ。身の安全のためにと帰国を勧められても敢えて日本に残ることを決意した彼は、日本人正教徒迫害の報に悩む一方、ロシア連戦連敗の報に悔しがり、キリストに仕える身であることを意識して辛うじて平静を保ったそうだ。
そのニコライがマカロフ戦死と聞いて、何たる不幸かと悲しんだのは、戦況の悪さだけでなく、マカロフとは親密な関係を築いていたからだ。ニコライが24歳で日本に赴任する途中(1861年)、シベリアで未だ12歳の少年だたマカロフに出会った。
その後ニコライが東京に大聖堂を建てるに際し、マカロフは募金活動において大変に大きな役割を果たした。言わばマカロフの尽力で大聖堂が日本に建ったのだが、その日本に彼は殺される巡り合せとなったわけだ。
マカロフはニコライのために募金活動をしたのであって、日本のためとは言えないだろうが、それにしても不幸な出来事ではある。
ニコライが亡くなったのは1912(明治45年)2月16日とあるから、石川啄木が病没(4月13日)する2か月前ということになる。
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2013年11月18日
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