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白石良夫著「古語と現代語の間―――ミッシングリンクを紐解く」(NHK出版新書 2013.6.10)を読んだ。実に巧みなタイトルを付けたものだ。
一見わけの解らない古語を現代語に関連付けて見せてくれる、知的好奇心を満たしてくれる待望の本、と期待して読み進んだが、当てが外れた。語源に関する新知見を期待したのは当方の勝手な早合点であった。
“わたしたちは、なぜか「古語」と「現代語」が別物だと考えてしまう。だが、古語ははじめから古語だったのではなく、現代語もいつまでも現代語ではない。隔絶しているようで、二つは地続きなのである。本書は、古典と近代の言葉の連続をたどり、「古語」と「現代語」を繋ぐ失われた輪を探すことで、日本人の国語観の幻想をはらい、古典の深奥に誘わんとする一冊である。”(PR文から)
読前の期待はかわされたが、補って余りある面白さであった。Aが変化してCになったことを裏付ける何かが想定されるけれども、その存在が実証されないとき、その何かをミッシングリンクと呼ぶのだろうが、本書では、無関係のニ物を結びつける、ありもしないミッシングリンクをでっち上げることになる謬説をやり込める文脈において輝いている。
しかし、最も評価したいのは、若山牧水の有名な短歌「しらとりは〜」「いくやまかわ〜」「いざゆかん〜」の読解である。「幾山河 越えさり行かば 寂しさの はてなむ国ぞ 今日も旅ゆく」は解り易い。
「いざ行かむ 行きてまだ見ぬ 山を見む このさびしさに 君は耐ふるや」は表面的には解り易いが、言わんとするところはよく見えない。
「白鳥は 哀しからずや 空の青 海のあをにも 染まずただよふ」は,
3首中最も難解である。
著者は後二者を小気味よく解釈してみせる。世の通説を論駁するに当たり、ありもしないミッシングリンクを炙り出してくれるのである。
著者は一言も触れないが、上記3首は古関裕而作曲の「白鳥の歌」の歌詞となっており、偶然だが来月あたり、施設訪問で歌う予定である。
今度の本の締めは「歴史的仮名遣い論者のミッシングリンク」である。「仮名遣い」は効率的な伝達手段として取り決められるものであることを力説し、歴史的仮名遣いと雖も、感傷的な愛着に値するものではないと切り捨てる。
論旨明解であり、反論の余地は無いように感じられるが、些か執拗に論じたてている風でもある。それほど大上段に振りかざす話題でもなかろうに、の印象だ。
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2013年07月23日
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