愛唱会きらくジャーナル

♪美しく青きドナウ,モルダウ,Waltzing Matilda,ナブッコ,ダニー・ボーイ♪次回9月10日2pm アカデミー向丘

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何故か(図書館で)愛読している日経新聞だが、経済記事には目が行かず、主に文化欄(大体は最終面)に目を通す。朝刊に毎日連載の≪私の履歴書≫の今月の筆者が女優・草笛光子であることは見えていたが、芸能関係には興味が無いから読んでいなかった。
 
ところが、今日131日は、先月≪音楽の冗談② モーツァルト 鏡のカノン 2017/12/10()≫で引用した芥川也寸志(「やすし」から「也寸志」には変換されない)の命日だということで、改めて検索すると、何と草笛が彼と短期間結婚していたと、ゴシップめいた情報に遭遇した。
 
芸能関係云々と偉そうなことを言いながら、急に好奇心が募り、今度は≪私の履歴書≫のバックナンバーを通覧し、彼女自身の言葉を見付けた:
 
 

草笛光子(11)結婚 日々に疲れ早々と離婚 「光子の窓」終了の契機に私の履歴書

2018/1/12付 情報元
日本経済新聞 朝刊
「火刑台上のジャンヌ・ダルク」は火刑に処せられたジャンヌが息絶えて終わる。演じる私は立ったまま目を閉じ、首をわずかに傾けて、その瞬間を表現する。悲愴(ひそう)な音楽が鳴り響き、そして静かになる。このとき私は、それまでにない経験をした。〜〜〜

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「東宝映画祭」に向け出発する宝田明さん()と筆者




〜〜〜 

楽屋ではひとりの女性が私を待っていた。作家、芥川龍之介の夫人で、私は彼女をバブちゃんと呼んでいた。バブちゃんは私を見ると言った。「これだけのお仕事をなすったのですから、もう来てくだすってもいいでしょう」。そしてポロリと涙をこぼした。
 じつはこの前の年、私はバブちゃんの息子さん、つまり作曲家の芥川也寸志さんと婚約していた。菊田一夫先生ご夫妻にお仲人をお願いしていたのに、まだ結婚していなかった。バブちゃんの言葉と涙が胸に響き、ようやく心が決まった。次の年、1960年に芥川さんと結婚した。
 芥川さんとは私がまだ松竹歌劇団にいたころ、ラジオ番組の収録に行った放送局で出会った。お付き合いをするようになったときにはご家族がいらして「離婚するから2年待ってほしい」と言われた。お付き合いしているさなかには、お仕事で京都に行っていた芥川さんの宿で女性が自殺する出来事があった。そのときのつらさは忘れられず、ずっと胸の奥に残った。
 結婚したとき、私は「光子の窓」に出演していて、続けるつもりでいた。でも芥川さんはそれが気に入らず「自分の音楽と世界が違う」と言う。〜〜〜
 翌61年、私は俳優の宝田明さんと南米に向かった。ホノルル、ロサンゼルス、ニューヨークを経てサンパウロ、リマを回った。現地で東宝の映画を上映し、歌と踊りのショーをお見せする。ニューヨークでは久しぶりにミュージカルの舞台を観(み)た。
 1カ月近く、外国の空気をたっぷり吸って帰国した。結婚生活はぎくしゃくしたものだった。〜〜〜
 結婚は1年9カ月で終わった。思えば、結婚式の日の朝のあいさつで、祖父母につい「ちょっと行ってまいります」と言ってしまった。ほんとうに「ちょっと」の結婚生活だった。

芥川は、いわゆる革新系の文化人だと思っていたが、私生活は結構派手だったようで意外な感じを受ける。また、当方の嫌うJASRACの理事長としても“功績”があるという。革新系すなわち反体制派という単純な図式からすると、権力機構の出先のようなJASRACに芥川とは、木に竹を接ぐチグハグさだが、今とは状況が違ったのだろう。
 
今を去る55年も前に離婚し、既に故人となっているとは言え、元夫の命日に己の履歴を綴った連載記事の最終号が華々しく大新聞の紙面を飾る因縁に、感慨は無いだろうか。そもそも、意識されないだろうか。と、些か野次馬的勘ぐりを押さえ切れない。
 

なお、本日はシューベルト(Franz PeterSchubert, 1797131- 18281119日)の誕生日でもある。彼の生没日付け17970131」「18281119は、共に素数だ。芥川の没日付け7桁表示1989131も素数。

今月も男3人で特養訪問コンサートを行った。ピアニストもいないので、特製CDを伴奏に鳴らした:
 
スキーの歌
雪の降るまちを
冬景色 
ペチカ 
トロイカ
冬の星座
白い道
真白き富士の根
麦踏みながら
母さんの歌
風の子
雪山讃歌
 
お客さんは少な目で20余名であった。歌う人の外、珍しく手拍子が入っていた。毎回雰囲気が違う所が面白く、刺激的でもある。
 
初っ端、「スキーの歌」の2番を終える少し前で、CDの音が消えた。プレーヤの故障だと思い、CDは諦めて、ア・カペラに切り替えて3番を歌っていると突然CDが復活し、2番の途中から鳴り始めた。
 
臨機応変とばかり、それに合せて再度3番を歌っていると、また音が消えた。構わず歌い終えたが、もうCDは使えそうにないので「雪の降るまちを」は無伴奏で歌った。とっさのことであったが、音域の設定は上手く行った。
 
その後で別のプレーヤが提供され、以後はCDで予定通り歌うことが出来た。やはり、いつぞや呟いたように、CDではなくUSBメモリなどを活用するべきだ。
 
今日の演目で皆様に馴染み薄かった筆頭は「白い道」だ。童謡「風の子」は、斎藤・海沼のゴールデンコンビによるのだが、案外知られていない。その他は大体会場から唱和する声が聞こえていた。プログラムには載せていないが、最後に特製の輪唱曲「お元気で」をいつもの通り、挨拶代わりに歌った。
 
来月は生涯学習フェアにエントリーしているので、訪問コンサートにまで手が回らない。三月には再開したいが、療養メンバーの快復状況とピアニスト・リクルーティングの成否に懸っている。
(承前)日経夕刊≪文学周遊―――石川啄木≫に短歌が一首紹介されている:

はうきぼし王座につかずかの虚(こ)空(くう)翔(かけ)る自在を喜びて去る

文意がやや曖昧なのだが、啄木の作と理解した。
 
手持ちの岩波文庫「啄木短歌集」(S42.02.20発行)には載っていない。巻末の解題(1957.06.12)によれば、“本歌集改版に際し約二百九十三首を増補した。「一握の砂」五百五十一首、「悲しき玩具」百九十四首、「補遺」一千三百六十六首、合計二千百十一首が現在探り得た啄木短歌のすべてである”とのこと。
 
改版後60年余の今、啄木短歌の総数は更に増えているのかもしれない。念のためネット検索したところ、それらしき記載が海部宣男「天文歳時記」(角川学芸出版 2008.1)に見付かった(p.74):
 
≪〜啄木は、あたりはずれがおおきい。
 
  はうきぼし玉座につかずかの虚空翔る自在を喜びて去る   石川彗星
 
明治四十年秋、小樽で、おそらくコップ彗星あたりを見たのだろうと思う。 〜≫
 
日経記事では「王座」で、上掲書では「玉座」という違いがある。常識的には「玉座」だろうが、どちらも出典が不明なので今のところは確認できない。啄木は「彗星」とも号したのか。
昨秋のことだが、日経新聞の夕刊連載≪文学周遊≫で石川啄木を取り上げていた。その中で、日本一の代用教員を自認する啄木が、自作歌を生徒に歌わせたと書かれている:
 
≪〜先生は、オルガンを弾いて「長く流るる北上の」と自作歌を合唱させる詩人でもあった〜
 
〜校長と対立した啄木がストライキをした逸話は有名だ。生徒たちは「山も怒れば」と啄木自作の歌を合唱し、学校にくりこんだ〜≫
 
これら二つの歌の正体が掴めず、気になっていたところ、「山も怒れば」について興味深い“証言”を発見した:
 
≪〜 一目瞭然、二行めまでは、北見北斗高校応援歌とほとんど同じです〜
 
啄木作詞の即興のストライキ歌が、どういう経路で、北海道のオホーツク海にも近い北見北斗高(旧制野付牛中学)までたどり着いたのでしょうか。曲節もふくめて、歌謡伝承の伏流ということがあら
ためて思われます。この歌詞は限られた人しか知らないはずですから、ストライキ参加の教え子が、どこかで関わっていることは確かなのでしょうが、「お里」が知れて、いっそう謎は深まるばかりです
(『歌謡(うた)つれづれ』057  2002.08.01
 
因みに、「山も怒れば」の歌詞は
 
 山も怒れば万丈の 猛火をはいて天をつき
  緩けき水も激しては 千里の堤やぶるらん
  わが渋民の健児らが おさえおさえし雄心の
  ここに激しておさまらず
  正義の旗をふりかざし 進むはいずこ学校の
    宿直べやの破れ窓
    破れてかざす三尺の
    凱歌をあぐる時は今
 
北見北斗高校応援歌」は
 
 山も怒れば万丈の 煙を吐いて天を衝く
     緩(ゆる)けき水も激(げき)しては 
              千丈の堤(つつみ)破るらん
     見よ若人の意気高く 堂々鉾(ほこ)とる北斗軍
 
と紹介されている。
 
「山も怒れば」のメロディーや如何に。そして、「長く流るる北上の」は?
青山透子「日航123便墜落の新事実 目撃証言から真相に迫る」(河出書房新社 2017.7)を読んだ。日航123便墜落事故には当時から強い関心を持っており、当欄でも過去に取り上げた日航機墜落特番〜公式報告追認〜消化不良8.12日航機墜落〜米軍誤射説〜ともだち など)。

イメージ 1
 



この種の本は、見れば読みたくなる刺激的な表題を付ける。見え見えの販売戦術に今回も嵌ってしまい、図書館に予約をしたのは何か月前だったか思い出せない。区の図書館全体では7,8冊備えられており、すべて貸出中だ。
 
何が新事実なのかよく解らず、期待したほどの確かな事故原因が示されたわけでもなく、著者の家系や職歴への思い入れが滲み出ている印象が残った。
 
とは言え、独自の取材を重ね、個人の手に余る厖大な資料、情報をよく整理し、事故の概略を解り易くまとめた努力は認められる。当方など、そのような根気、気力はとっくに失せている。
 
本論から外れるが、次のようなエピソードが紹介されている(p.71)
 
≪(事故後、日本航空は)20時30分、、羽田東急ホテルに乗客の家族控室を設置した。そのホテルで、乗客(ママ)に詰め寄られた町田直副社長(運輸省からの天下りで元運輸事務次官)は、思わず(ママ)「北朝鮮からのミサイルに撃たれたのだ」と叫ぶ。その数日後、町田氏は社長候補だったにもかかわらず『遺体安置所にて扇子で仰ぐ(ママ)姿』を写真に撮られて失脚する≫ 
 
≪北朝鮮のミサイル≫は、今でこそニュースや話題になっているが、32,3年も前に既にその脅威が現実味を以って語られていたのだろうか。あるいは、町田氏に先見の明があったのだろうか。いずれにしろ、一般の国家公務員として頂点に上り詰めた上、国策会社の次期社長と目されるほどの人物が訳も無く≪思わず≫口走ったとは考えない方がよいのではないかと思われる。
 
つまり、その時点で既に、日航123便は≪ミサイル誤射≫など外部要因で墜落したことが関係要人には知られていた可能性があるのではないかと考えられる。誤射した可能性のあるのは、米軍か自衛隊しかないが、それは口が裂けても言えない。そこで、つい、≪北朝鮮≫と口を辷らせたのではないか。
 
と、想像を膨らませてくれるエピソードだが、事実なのだろうか。個人名が明らかにされているから、多分ホントの話なのだろう。出典が明示されているとよいのだが。

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