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図書館から借りたピエール・ルメートル/著「天国でまた会おう」(平岡敦/訳 早川書房 2015.10)を読み終わったタイミングで、その原作(Au revoir la-haut)の映画化の話題が今日の朝日新聞夕刊に載っていた(p.3)。
どんな書評に誘われて新刊でもない本書を読もうと思ったのか全く思い出せない。売り手側の内容紹介は次の通り:
≪膨大な犠牲者を出して、大戦は終わった。 ≪1918年11月、休戦が近いと噂される西部戦線。上官プラデルの悪事に気づいたアルベールは、戦場に生き埋めにされてしまう!そのとき彼を助けに現われたのは、年下の青年エドゥアールだった。しかし、アルベールを救った代償はあまりに大きかった。何もかも失った若者たちを戦後のパリで待つものとは―?『その女アレックス』の著者が書き上げた、サスペンスあふれる傑作長篇≫
カタカナ人名の氾濫で読みづらいのは我慢するとしても、決してわくわく、どきどきしながら貪り読むような面白い内容ではなかった。我が性癖で、随所飛ばし読みであった。それによって本書のエッセンスを汲み取り損なったとも思われない。
しかし、結局本書が読者に訴えたかったのは何か、さっぱり解らなかった。戦争の非人間性などという単純な問題意識ではない筈だ。むしろ、人の心の不条理を描いた小説なのかも知れない。当方のような唯物論者には向かないということか。
印象に残ったのは、情景描写に“匂い”あるいは“臭気”が頻出することだ。香しさではなく、不潔な体や衣服などから発する悪臭への言及が非常に多い。戦地で消耗品のように朽ちて行く兵士の遺体や貧困の極みに這いずり回る下層民が重要な役割を持たされる筋書きとあっては、致し方ないとは言えるが。
国家から報われることの無かった帰還兵二人が政府や社会への復習として仕組んだ詐欺は、二人に大金をもたらしたが、一人は復習相手の一翼である実父の車に撥ねられる事故で死に、もう一人は愛人を伴って外国に逃避を遂げるという結末にはどんな意味が込められているのか。
映画化とは、必ずしも原作の忠実な視覚化ではないだろうが、それにしても、砲弾で砕け散る人体、下顎を吹き飛ばされて奇跡的に生き延びた兵士の顔など、画面でどのように扱うのだろうか。特に、顎無し帰還兵は主役の一人であり、その容貌が話のアクセントになっているから、処理が難しそうだが。 |
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2019年02月22日
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