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中村滋「素数物語 アイディアの饗宴」(岩波2019/3/14)を間も無く読み終えるところまで来た。版元の内容紹介は次の通り: ≪すべての数は素数からできている。その性質を深く調べてみると、円周率π、虚数iなどの高級な数学と結びつく不思議で魅力的な数でもある。フェルマー、オイラー、ガウスなど数学史の巨人たちがその秘密の解明にどれだけ情熱を傾けたか。彼らの足跡をたどりながら、素数の発見から「素数定理」の発見までの驚きの発想を語り尽くす。≫
数学的な事項もさることながら、“数学史の巨人たち”の事蹟、特に彼らの天才ぶりには、毎度感嘆するばかりだ。既に読み知っていても、文字通り桁外れの能力には思わず興奮してしまう。
例えば、当方など凡人にも解り易いところでは、オイラー(Leonhard Euler)は≪60歳で両眼の視力を失った後でも、暗算で複雑な級数の17項もの和を小数点以下50桁まで正確に計算できた≫とか、≪そのオイラーでさえ数か月かかった彗星の軌道計算をガウス(Johann Carl Friedrich Gauss)は3日で済ませた≫などと聞くと、神の領域としか思えない。
ガウスの天才ぶりは諸本に詳しいことだろうから冗説の愚を避け、気に入ったエピソードを一、二記しておこう。
ガウスが1855年2月23日未明77歳で静かに無くなったとき、彼が長年肌身離さず持ち歩き、決して巻くことを忘れなかった懐中時計も主人の死を追うかのように止まったそうだ。
そこで思い出すのは童謡「おじいさんの時計」(My Grandfather's Clock, 1876)である。
My grandfather's clock was too large for the shelf, おじいさんの時計が止まったのは、たまたま動力源のゼンマイが緩み切ったからだという可能性を今回教わった次第だ。
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昨日、某施設の年寄りの歌う会で講師のソプラノさんが「ひとつ」という歌を披露した。当方の全く知らない歌であったが講師は好い歌だと強調していた。確かに、年寄りの耳に馴染み易いメロディーと歌詞であった。
帰宅してネット検索したところ、高橋晴美作詞作曲と判った。
空と海がとけてひとつ 前段・中段の文意は不明だが、後段から判断すれば、平和祈念の歌かと思われる。
この歌を聴きながら既視感に襲われた。数時間の後、数年前に話題にした古い童謡を思い出した:
「フタアツ」(まど・みちを作歌・山口保治作曲)
ふたあつ ふたあつ なんでしょね |

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《「已む」読めなかった? 安倍首相が歴史的儀式で驚きの大失言
〈AERA〉
5/15(
水) 17:00配信
4月に行われた「退位礼正殿の儀」歴史的な儀式での、安倍首相の失言が世間を騒がせた〜
4月30日、「退位礼正殿の儀」で、安倍晋三首相はおそらく歴史に残る大失言をしてしまった。それが起きたのは「国民代表の辞」のほぼ末尾だ。 新聞は毎日欠かさず朝夕刊を見る。さっと眺め渡す程度だが、主なニュースは漏らさず目に入っているはずだ。
しかし、上記ウェブニュースの報じる出来事は2週間も前のことなのに、新聞で読んだ記憶が無い。TVは見る習慣が無いから、関連の報道があったかどうか判らないが、恐らく話題にはならなかったのだろう。
いわゆるメディアの政府に対する忖度の浸透、定着ぶりを象徴している。批判精神を失い、政府の提灯持ちになり下がったメディアに包囲されたような気分だ。改元の奉祝騒ぎもむべなるかな。
ところで、首相が失言したのは、朗読原稿に「已みません」とあるところ、漢字「已」の読み方を知らなかったことによると推測されるが、上記記事によれば、《文書として公表された「国民代表の辞」には当然、「願ってやみません」とある》そうだ。
首相朗読文書の原本とメディア配布コピーとが異なるとすると、これも重大な危険をはらむ。メディアの覚醒、自覚が望まれる。
「已」は普段使い慣れない漢字ではある。紛らわしい漢字に己」「巳」がある。これら3字の使い分けは中学時代に教わった。もちろん戦後の新制中学だ。
今でも呪文のように口をついて出る:
《みはうえに、おのれつちのとしたにつき、すでにやむのみなかほどにつく》
首相をウィキペディアで参照すると、大学を卒業しており、アメリカに留学をしてもいるとのことである。小生よりは若いようだから、受けた国語教育の中身は違うかもしれない。
それにしても、記事中“安倍首相の失言が世間を騒がせた”とあるのは、失言をメディアが報じなかったの小生の認識とは相容れない。どうなっているのだろう。
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このところ自動車事故が連続していて目立つように思うが、気の所為だろうか。
どうも、池袋での所謂「上級国民」による母子等殺傷事故いらい、神経過敏になっているのかも知れない。被害母子と家族の方々が特にお気の毒に思われる一方、報道による限り、加害者たる「上級国民」(この呼称が適切なのかどうか不明だが、便宜的に使用する)からの弔意、謝罪の言葉が聞こえてこない不誠実や、事故後入院して逮捕されていないことに感情が影響されている。
そこへ持ってきて、今日、大津市での≪信号待ちの列 突然車が... 園児2人死亡 1人重体≫(関西テレビ)事故だ。
車2台の衝突のトバッチリで保育園児たちが災禍に遭ったとのことだが、運転していた2名の女性は直ちに逮捕され、容疑者と呼ばれている。報道では「女」と蔑称される。両者とも負傷していないので逮捕されたという逆説的な印象だ。負傷していないのは、無茶なスピードではなかったことを思わせる。
≪逮捕の女2人は泣き崩れ…園児の列に車突っ込み死亡≫(All NipponNewsNetwork(ANN))
池袋の事故では、「上級国民」は冷静に、直ちに保身措置を指示し、あるいは講じたという。
大津事故の加害者は、負傷を幸いに(あるいは装って)入院するという機転も利かず、平凡な市民たる両人に降りかかった突然の不幸のようにも思われる。
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合唱曲「モルダウ(の流れ)」は、スメタナ作曲の6曲から成る交響詩≪わが祖国≫の第2曲「モルダウ(ヴルタヴァ)」を基に、日本語の創作歌詞を載せたもので、数種類の歌詞・編曲があると理解している。
原曲は管弦楽曲であり、声楽曲ではない。
然るに、≪チェコの「第2の国歌」とも言える〜≫というように紹介されることがある(music pal その他のサイト)。歌の無い国歌もあり得るのかと気になる。
式典進行に於いて、“国歌演奏(吹奏)”と厳かに宣されることがある。歌抜きの器楽演奏であるが、国家のメロディーを奏でるのだから特段違和感は無い。
歌詞を定めず、メロディーだけで国歌扱いとすることもありそうに思える。実際のところは判らない。
そこで、ネット上の辞書で検索したところ:
こっ‐か コク‥【国歌】〘名〙
※五山堂詩話(1807‐16)二「始作レ詩、今遁而帰二国歌一」
② その国を象徴するものとして制定され、または慣用されて、主に式典用に演奏される歌曲または器楽曲 〜
想像したように、器楽曲でも国歌たり得ることになる。
「モルダウ(の流れ)」はチェコの第二国歌と記しても差し支えないようだ。ドイツ語で歌われる反戦歌"Das Lied von derMoldau"(モルダウ川の歌)があるが、ご当地チェコでは“Vltava”(ヴルタヴァ)の歌詞は無いのだろうか。 |

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