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先に書いた笠井新也説の学史整理論文の準備過程で、教えられることの多かった書物がこれです。
安本美典氏の有名な『神武東遷』(中公新書)に続く、数理モデルに立脚した文献批判の書だといえるでしょう。
著者の小澤一雅氏は大阪電気通信大学の教授で情報工学がご専門。改めて紹介するまでもなく前方後円墳の形態分析において数々の業績を残していらっしゃいます。ここ数年は、私も小澤氏の科研の分担研究者としてお世話になっています。
本書の核になる部分だと私が思うのは、第3章「古代天皇の崩年を合理的に推定する」で開示された、崇神天皇崩年の推計法でした。安本美典氏は平均在位年数をとりましたが、小澤氏は昭和天皇までの全天皇の3代平均在位年数を算出したうえで、異常値を示す古代院政期(86代〜105代)だけを除外して崩年推定式を導くのです。
その結果「驚くべき規則性が浮かび上がってきたのである」(同書76頁)として、天皇の在位年数には一見すると偶然の累積にしか過ぎないものの、その背後には必然性が潜むことを述べています。
そして肝心の崇神崩年については、西暦364年と算出されています。安本氏の推計結果とごく近しい数値になりますが、その推計方法には特筆すべきものがあるように思いました。
また第4章では古代の人口推計がおこなわれ、第5章ではその結果を踏まえて、箸墓古墳が卑弥呼の墓であるかどうかの点検作業もおこなわれています。その際には、箸墓古墳の体積計算と「魏志倭人伝」段階の人口推計結果および崇神朝期の人口推計結果との比較がもちいられます。
点検結果は、邪馬台国時代の支配人口をもってしては箸墓古墳の造営など不可能だとし、逆に崇神朝の際の支配人口をもってすれば、同等の規模のものを次々とつくることも可能であるとする。こうした刺激的?魅力的?な話題が満載でした。
小澤氏は、上記のほかにも多角的な数値情報の整理をおこなったうえで、箸墓古墳は卑弥呼の墓ではありえず、邪馬台国の所在地も九州に比定するのが妥当だと述べていらっしゃいます。
出自の関係から、私はもちろん邪馬台国畿内説の側に身を置いておりますし、箸墓古墳を卑弥呼の墓だとこれまでにも書いてきました。しかし小澤氏の本書からは教えられるところが大でした。特に記紀の読み方についての姿勢には唸らされるばかり。
たとえば小澤氏は情報の信頼性(誤差の大小)を測る基準として距離を問題にし、時間的な距離よりも空間的距離のほうが重要であって、空間的距離が少ない場合は誤差も少ない傾向にある、と述べておられます。与那国島で400年に起きた、済州島からの漂流民と村人との交流という史実が、伝承として現在まで正確に語り伝えられてきた事実などを想起させられます。そのとおりだと納得させられてしまうところです。
なお私が本書をとくに勧めたいと思う理由は、第1章において次の一文が目に飛び込んできたからでした。
記紀に対する津田史学的な視座を批判しながら、小澤氏は「ここで付言しておきたいことがもうひとつある。記紀の読み方において、津田イズムが数理的な視点を欠いていることである。たとえば、百歳を超えるような古代天皇の長い寿齢を記紀が記載している点について、数理的な考察を行った形跡はいっさいみあたらない。ただ、そうした非現実的な寿齢が、古代天皇の実在そのものを疑う根拠になるかのような感想が述べられているだけである。
記紀は、まぎれもない立派なわが国の古代の記録である。
前述のように、すくなくとも国内の事情に関するかぎり、『距離差のない』場所における記録である。そういう意味で誤差も平均的にはさほど大きくないと考えてよい。記紀の編者がありもしない物語をいきなり創作したという話もあるが、同一場所における記録であるという点でみれば、そういう話自体がありもしない空想にすぎない」(同書25頁)と述べるのです。
傾聴すべき明快なご意見だというほかありません。
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先日、私も小澤先生から著書をご送付いただいたのですが、ざっと目を通して、「九州説」に恐れをなし、同時に身辺騒がしくなって、本気で読む間もないままでおりました。
いやはや、これは大変だ!
2010/2/10(水) 午後 9:14 [ 岡安光彦 ]
私たち考古学業界に慣れ親しんだ者にとって、とくに京大亜流などと揶揄されることもあった阪大だの、さらにその縁辺部にあった岡大だので初歩から学んだ者にとっては、邪馬台国九州説などに接すること自体が異端審問の要件に充分なりえたという観があります。
しかし冷静に戦後の古墳時代研究パラダイムを見据えてみると、問題の核心は古墳の成立年代如何でしかない、というところを教えられます。そのような一定の学びの蓄積を経た後に再度邪馬台国九州説を見直すとき、安本氏と小澤氏の著書は、共にその核心部分を掴んでいる点で注目されるのです。私はそのように思いました。どうぞ、虚心坦懐にご一読いだだき、ご感想などをお寄せ下さい。
2010/2/11(木) 午前 0:31 [ flyingman ]
現在奈良県御所市の秋津遺跡から、特異な遺構が出土している事はご存知と思う。
現在も橿考研によって発掘調査が続けられている。
遺構の広がりは広大である。出土状況から見て、並みの集落遺構などでないことは明らかである。
ここは六代孝安秋津嶋宮伝承地の近くである。私は秋津嶋宮こそ卑弥呼の王宮と考えている。
したがって秋津嶋宮の存在時期は、三世紀前半である。
現在出土している遺構は布留1〜2式で4世紀代とされる。秋津嶋宮そのものではない。だがこれだけ特異な遺構が、無関係なはずはない。かっての王都の地に引き続き営まれた遺構と考える。
問題は、たとえ秋津嶋宮の遺構が出土してとしても、考古学の発掘調査のみで、そこが秋津嶋宮などということまったく解らないことである。
記紀伝承を得て初めて可能になることである。欠史八代の実在を信じない人たちにこの遺構の重要性を理解できるはずもない。
私は秋津遺跡の調査範囲が南西に広がれば、庄内式併行期の土器も出土すると予想する。その際には保全処置の必要性を訴えたいと考えている。
2011/3/31(木) 午後 1:20 [ kus*gak**oto ]