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田尻祐一郎先生の大学院演習(日本思想史)において、先日ちょっとした発見がありました。
テキストは西郷信綱著『古事記注釈』(ちくま学芸文庫)で、第31仲哀天皇(続)の2「気比大神」(237頁)をめぐる解釈です。
この部分の担当は私でしたが、当初意味内容を理解できず、あれこれと模索した結果、宣長以来の伝統的解釈は誤読であって、イザサワケの神の申し出を語呂合わせの妙を駆使して逆手にとったオオトモワケ(応神天皇)の成功譚ではないか、との見解を表明したのです。新しい解釈だということで話題になったのですが、注釈のなかで西郷氏が引用している阪下圭八氏の「魚と名を易た話」(『月刊百科』275号)の内容が気になり、田尻先生の指示で12月14日には、改めて私が本論文を担当することになりました。
この阪下説はきわめて明快で、本段の理解については「目から鱗」が落ちるようなご高説が展開されていたのです。要は次代の天皇になるべき人物と神との交歓が語呂合わせの趣向を凝らしながら口頭伝承のもとで語られてきたのに、それを文字に置き直した結果、趣向は色あせてしまっただけでなく、誤読さえも誘発することになった実例のひとつとして、本段は重要だというのです。
多くを学びました。と同時に、私が実感させられたのは、議論の重要性でした。一人で考えていたのでは、肝心な部分を取りこぼしてしまうことがままあるのです。授業の中でさまざまな解釈をぶつけ合わせないと正解にはたどり着けないことを改めて実感させられた次第です。
以下に、当日の私のレジュメを示しておきます。
阪下圭八「魚と名を易えた話―古事記・説話表現の一様相」の検討
2011.12.14 北條芳隆
本論の要旨
この話は「名」と「名」が「易へ」られた話ではなく「名(ナ)」と「魚(ナ)」が「易へ」られた話と読むべきであると主張する。つまりイザサワケの神は、当初から自分の「魚(ナ)」と交換に新しい自分の名前をオオトモワケから頂戴することを欲しており、取り次ぎ役の建内宿祢は意図を取り違え「名(ナ)」の交換であると誤解したものの、オオトモワケは神の真意を理解したために正確に対処した。その結果鼻先に傷がついた(「魚(ナ)」に転じた)海豚と交換に「御食大神」の名前を贈答し、それによって「名」と「魚」の交換は完了したと読むべきだと主張する。さらに三度も登場する「易」が鍵言葉であり、ケヒもカヘと同義に用いられる事例からみて、こちらにも趣向の二重性が認められるとする。
こうした口承の言語技術を基盤とした説話を文字化すれば、その際に生じる混乱(『日本書紀』の編者が実際に混乱に陥って以降、宣長も含めて誤読や混乱を誘ってきた)もあれば、文字化しなければ表現しえない趣向もある。本説話は前者であり、文字化したことによって後世の読者に混乱を与えたものと解釈できる。しかし「魚と名を易しにより神の名をカヘの大神まをす。今に気比の大神とまをす」(17頁、上段12行)としては、謎解きを鼻先にぶら下げたような始末となるので、それとなく手掛かりを示すに留めた可能性が大である。
主張の重要性
音声言語の多義性が異質物を媒介・結合させ、その間の飛躍ないし意外な展開が話の趣向となって聞き手の興味を誘う構造への洞察はきわめて明快。「この説話の趣向が理解されなかったのは、文字表記の面だけに関わり、話を音声にいったん置き直し、それに耳を傾けることを怠ったため」(13頁上段)との表記は、西郷信綱氏の注釈に引き継がれる。が、西郷氏の解説が歯切れの悪いものであるのに対し、こちらの指摘のほうがはるかに説得力をもつ。
問題点
阪下論の基本構図の妥当性を認めるが、下線を引いた部分は果たして正しい理解か。その際、建内宿祢に発した次の台詞が問題となる。
①「ワガ・ナ・ヲ、ミコノ・ミナ・ニ、カヘ・マクホシ」
②「ナ・カヘシ・マヒ、タテマツラム」あるいは「ナ・ニカハル、マヒ・タテマツラム」
阪下説は①を「我が名を(魚との交換に)御子による命名のもとで易えたい」と読み、神の側から御子との間の関係更新を上申した台詞と理解し、②を「命名の返礼として弊を奉りましょう」とする。しかし①は「ワガナ」と「ミコノミナ」が等値の関係にあるので、「ミナ」のみを動詞化して読むことは可能なのかどうか疑念が残る。あくまでも神の台詞は名前の交換の申し出であり、その返礼としての弊を用意する意にとるべきではないか。
つまりここでの趣向は、名(ナ)と魚(ナ)の語呂合わせをとらえて神の申し出を逆手にとりつつ、御子が神の名を与えるという関係更新の成功譚であったのではなかろうか。
(この問題点については、授業における議論の過程で、神が語呂合わせの謎かけを御子側に発し、建内宿祢は謎かけの意味を理解できなかったものの、オオトモワケは語呂合わせを正しく理解できたと解釈することですべての意味が通るとして決着)
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