私的な考古学

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約79本の束

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この本数が、昨日私が数えた唐古・鍵遺跡第33次調査出土稲束に含まれる茎の概算本数です。田原本町教委の藤田三郎さんのご厚意によって、現物から数えさせていただきました。

といっても私がとった方法はきわめて原始的なやり方です。まず稲束の各部を接写させていただき、持ち込んだパソコンで加工し、おなじく持ち込んだプリンターで引き延ばし印刷をおこなったうえ、現物を目の前にしてルーペで睨みながら一本一本数えてはマーカーで色塗りを施すというものでした。藤田さんにはさぞ呆れられたでしょうが、これが一番手っ取り早いと考えた次第です。硬化処理が施されているとはいえ、現物はボロボロですので緊張しました。

実際にカウントできた本数は61本ですが、残りは圧縮されて潰れている部分の断面の面積にどの程度の本数が含まれるのかを推計し、76〜79本まで、としたものです。

ちなみに滋賀県の大中の湖南遺跡から出土した稲束は、約90本だという所見も残されていますので、今回私が数えさせていただいた稲束は、それより少し小さめか、といえるのかもしれません。なお大中の湖南遺跡例については、報告者の水野正好氏が指摘するとおり(左手の)親指と人差し指で握れるだけの分量で、径2.5cmだったようです。今回の資料については硬化処理前の計測値で径2cm弱だとのことでした。

ですからじっさいに唐古・鍵の稲束は、大中の湖南例よりは小さかったとみるべきでしょう。ただし大中の湖南例は未熟性の稲束だったとされており、写真をみると束の結びも撚りの施されたワラ紐がもちいられ、かつ2重巻程度の乱雑な結びだったことがわかります。このことは、たとえば「ひこばえ」を対象とする念のための収穫や、子供の真似事などといった変則的な資料である可能性は高いと思います。

それに対して唐古・鍵例は、籾殻層中から部分的な残存稲束を含めると6束の出土をみたようですから、まちがいなく最終消費時たる脱穀・精米時に籾殻と一緒に破棄されたとみてよいものです。私が秋に実験した古代米の稲束も約70本でした。ですから径2cmから2.5cmまでの束として見積もっても、さほど誤りではないのかもしれません。

この稲束、畿内第2様式期のものだとのことですが、非常に丁寧に結ばれており、結び目が見えないことが注意されましたし、もっとも根本側には撚りをかけたワラが2重分だけ巻かれておりました。おそらく収穫後に再度きっちりと結び直されたものであろうと推定されるのです。

なにを言いたいかといえば、この束が貨幣の最少額単位として弥生時代に各地で流通した可能性です。稲束システムの根幹を支えた存在として、私はこの稲束を「一握」と仮称します。精米後にはちょうど古代の一合に、現在の約4.5勺(一合の45パーセント)に該当する分量です。

今回の稲束本数計算の機会を与えていただいた藤田さんには心から感謝申し上げます。そしてここ二ヶ月間の「稲束威信財システム」かんする私の研究成果については『日本史の方法』の次号に掲載される予定です。てっきり廃刊になったものだと私は思っていたのですが、先日某副学長から「次号に掲載するので書け」と命ぜられてしまいました。

この学会誌と私は相性がいいのか悪いのかよくわからないのですが、次回こそは、少しまともな論考になるかと思います。奈良女子大学の小路田研究室から刊行予定だそうです。これから原稿に取りかかりますが、締め切りは明日だというので、急がなければなりません。


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