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記事のアップが大幅に遅れましたが、去る7月に奈良女子大学文学部小路田研究室から刊行された『日本史の方法』第11号に、「稲束と水稲農耕民」と題する拙文を掲載していただきました。この論文で、稲束は弥生時代から貨幣として交換の際には換算レートの基準となった可能性が高い、という表題の主張を展開しています。
ポイントは唐古・鍵遺跡出土の弥生時代中期前半期に属する稲束の分量である約75本の稲茎に稔ったであろう稲籾「榖」が古代の1合(現在の4.6合)に相当するものだと推定できる点です。昨年の記事で紹介したとおり、藤田三郎さんの立会のもとで茎の数をカウントし、別の古代稲をもちいた実験稲束と分量を比較してみた結果です。
この分量を「一握」とみなせば、5握で古代の「一把」となり、10握で同じく古代の「一束」に該当するという計算が成り立つのです。こうした稲束をめぐる階層構造を、私は「稲束システム」(頴稲をもちいた換算レート、植え付け時の目安ともなる3階層構造)と呼ぶことにしています。
加えて身近な貨幣(現物貨幣とも限定目的貨幣ともいわれますが)の分量は長期間不変で、要するに弥生時代の中期以降は古代まで一定していた可能性すら充分に指摘できる、となるのです。
この検討結果を基礎に据えて、貨幣としての稲束がもっとも多量に出土した唐古・鍵遺跡は冬の大規模定期市の場であったとの推論も開示することになりました。
なぜ冬なのかといえば、貨幣を手にした時がもっとも購買意欲がそそられるという図式は古今東西を問わず不変なのと、それが稲束であれば、稲の収穫後が年間を通じて最大の貨幣備蓄期に相当することになるからです。歳末商戦がボーナス支給を前提としたものであることと、構図はまったく同じです。
さらに稲束の授受をめぐる首長と民衆との間の駆け引きは、弥生時代には登場した可能性があり、それが古代の出挙に引き継がれた公算も高いので、この図式を威信財交換概念に適用しますと、稲束は「増殖型威信財」でもあったといえ、負債感の増幅や徳政令的な債権一括放棄という駆け引きの基本アイテムともなりますから、その駆け引きの累積が水稲農耕民の社会に階層化が内部から生じる要因ともなった、と論じています。
このような稲束の再生をめぐる駆け引きと階層化のプロセスを指して、私は「稲束威信財システム」と呼ぶことにしています。
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