私的な考古学

丹沢山麓で考古学を学ぶ学生諸君との対話

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季節の変わり目に

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田舎の母が「この季節は嫌いだ」と常々口にしています。もう23年も前になりますが、弟が死んだのが3月5日でしたから、看病の末にその甲斐もなく身内を亡くした悲しみが、梅が咲くこの季節を嫌いにさせたのだと思います。

再び、なぜか弟の死んだ日のことが思いおこされます。あの時はちょうど徳島で前期古墳の測量調査をおこなっていて、地権者さんのお宅から電話だと呼び出しがあり、出てみれば妻の声で、弟の死を知らされました。学生も居たので夕方までは現場を止めるわけにもいかず、妻は一足先に東京に向かい、私は仕事を終えてから東京に、そして長野に、と…。

不思議です。吉留秀敏さんが亡くなられたのも3月5日でした。2年前のことです。そして昨日、再び九州から訃報が届いて驚かされました。田中良之先生が亡くなられたとのこと。お二人とも少し早すぎませんか。

大分県上ノ原横穴墓群の発掘調査のさいに、吉留秀敏さんのお宅でご一緒したのが最初でしたよね。当時は医学部解剖学講座の助手というお立場で、「お前の師匠である近藤義郎先生の若かりし頃と同じ身分たい!」とおっしゃられたことをよく覚えています。

確かにあのときは横穴墓内の埋葬骨の観察にお越しでしたから、さすが骨の専門家なんだと感心しながら脇で見ていました。魚料理もお好きでしたから、吉留邸の居候だった私は、数日間滞在なさった田中先生に煮魚のコツを教えられました。そんなことも思い出されます。

その後は偶然のいたずらでしょうか。私自身も3年間でしたが医学部第1解剖学講座の助手を経験することになりました。もちろん、田中先生とのあまりの落差に幾分恥ずかしい思いをしています。私の場合は、比較するならむしろ師匠側でしょうか。医学部の仕事などとは無縁の考古学だけでしたから。

15年前に、当時はまだ若かった3人で本を書くことになり、その事前の打ち合わせで九州にお邪魔したさいにも、励ましてくださいました。まだ充分に応えられていませんのに、残念です。

明日は日帰りで博多に出向きます。きっと吉留さんのときの悲しさを思い出しながら、となるでしょうね。母の言うように私もまた、この季節が嫌いになりそうです。

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