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昨日の大学院の授業「1970年代の学界情勢を振り返る」では故網野善彦氏の『無縁・公界・楽』(平凡社新書)を取り扱いました。私が学部学生だった頃に話題となった書です。
ただし当時は手にしてはみたものの、読みづらい印象しかなく、長らく「積ん読」状態でした。しかし友人達の何人かは「面白い」と言うし、いっぽう先生方は対極的に強い批判を口にするし、で、置いてけぼり状態の自分のふがいなさに苛立ち、不安な気分に浸っていたものです。
そんな状態でしたから、当時は岩波新書黄色版の『日本中世の民衆像』(1980) に代替させて、網野善彦理論を理解した気になっていました。
本書の主張内容が頭の中にすっと入ってきたのは、恥ずかしながら40代に入ってからです。章立てや構成の特徴は、一見すると事例列挙型なので、冒頭から目的地の方角がどこかをイメージしながら読み進むことは不可能です。しかしそのような構成にも目論みがあって、通読したときには、読者が抱く既成観念を根底から揺さぶるよう意図されているものと感じました。要はキーワードの心象付けとキーワード間の関連付けに大半は費やされているのです。それが成功すれば、第23章の結論が鮮明になるという仕掛けです。構成ないし体裁それ自体は有名な『ハーメルンの笛吹男』と類似しています。
とはいえ、現在の私は、藤木久志氏の著作の方にも、より一層の興味を抱きつつあります。急激な気候変動と中世社会の相互作用を見いだしながら、歴史を再構成しようとの目論みです。この視座を汲み取れば、網野善彦自身がその著作のなかで高校生からの質問への返答に窮したと紹介している逸話「なぜ新仏教は鎌倉時代にだけ集中して生み出されたのか?」への解答の糸口も見つかるのではないか、そのように思いました。
ちなみに学生諸君に聞きますと、すっと読めたというDELL君と0嶋君、読めなかったというK籐さん、さらには苦痛で中途放棄したというN谷君の対照性がきわだって、非常に面白く感じました。
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『無縁・公界・楽』、私は一気に読めた派です。
無知なので、引っかかるところ、揺さぶられるところが少なかっただけなのかもしれませんが・・・。
読後感は、変異・撹乱・展開対固定のバランスが問題になってるのかなというものです。
あと、所持は「所有」とも「無所有」とも違うような気がしてきました。
藤木久志さんの著作は読んだことがないので、今度探してみたいと思います。
2009/7/5(日) 午前 4:08 [ tcyrsk ]
コメントありがとうございます。「展開対固定のバランス」とか、なかなか難しい読後感ですね。
2009/7/7(火) 午前 1:29 [ flyingman ]