私的な考古学

丹沢山麓で考古学を学ぶ学生諸君との対話

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返信: 1371件

[ TR ]

2013/7/8(月) 午後 11:37

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誤解を招くことを防止する意味で、補足をさせていただくと、
木村幾多郎さんが大友遺跡の報告書(1981)で述べた貝輪の上下は、着装状況から導き出されています。
大友遺跡では殻頂部にあたる幅広部分を下、小指側になる尺骨側にしていることから、貝輪の上下に言及しており、殻頂部を下にするものから始まり、諸岡型で入り乱れ、立岩型で殻頂部を上にするのが一般的になるというように、上下は時期が新しくなるにつれ反転すると書かれています。
また、広田遺跡例は殻頂部を上にするものが多いと記述されています。広田遺跡は弥生終末〜古墳時代前期を中心にしますので、木村さんの見方と矛盾しないだけです。
したがって、木村さんは「上下は時期による」とお答えになるはずです。

[ flyingman ]

2013/6/11(火) 午前 0:18

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モンテリウス自身の設問は、「青銅器時代の年代を解明するためにはどのような方法があるのか」という年代決定論にありましたから、もっとも有効かつ妥当性の高い方法を編みだそうと工夫を凝らし、「層位学」と「一括遺物」と「型式学」の3者を、この順序で序列化したのだと思います。もちろん有効性の階層化にあって最後に置かれた「型式学」における型式認定(組列を組み上げることが可能だと判定される同一カテゴリー・標識的資料の仕分け)を排除するという意味ではありません。この仕分けが大前提とされた上での階層序列であることに注意が必要かと思います。

[ flyingman ]

2013/6/11(火) 午前 0:01

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こちらこそ、楽しく語らえました。まことに充実した研究打ち合わせができたと思います。私もよさこいさんに負けないように、今度こそ原稿を執筆、完成させますね。

[ 中里信之 ]

2013/6/10(月) 午後 8:04

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型式認定ないし系統関係の把握と層位関係という問題は
一体として議論されることを、1885年の段階の
モンテリウスはわかっていたのかもしれません(読んでいないので恐縮ですが)。また、1903年の訳を見ていると、具体例はそのようにできている
可能性があります。ところが、前段の抽象的な説明をする段で
意図せず型式学的方法と層位学的方法を分けてしまったのではないかと
かんがえることもできるかもしれません。私が言いたいのはじつは
モンテリウス自身も両方の方法論を一体のものと感覚的にわかっておりがら、
説明の段で分けて考えてしまう。そして、それが今日の考古学につながって
いるのではないか。冒頭の松本先生のコメントのように、層位と型式を
分けて、どちらかの優位としてしまう議論、それを危惧するわけです。
(すいません、大塚先生の議論を聞きかじって言っているだけですが・・・。
あと、松本先生の見解と違っていたらすみません)


わざわざコメントいただき恐縮です。はたして、
先生へのリコメントになったか不安ですが。
でも、今日の考古学が型式学に対する誤解はあるのではと

[ よさこい ]

2013/6/9(日) 午後 8:12

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お疲れさまでした。事実は小説より奇なり、ですね。玉類が物語るストーリーはわれわれの想像をはるかに超えていました。実に愉快(ていうか完敗)。大賀さんによろしくお伝え下さい。

[ flyingman ]

2013/6/8(土) 午後 11:48

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中里さまへの追伸です。ようするにモンテリウスが、1885年当時の状況において、どのような問を立て、最適な方法を模索し構築するにいたったか、という問いかけの質が問題なのだと思います。今回の議論の趣旨は、では現状において、私たちは過去の社会を復元する際にどのような問いかけ方が最善であるのか。それに向けてどのような方法論がもっとも効果的かつ有効かを問い直す際に、一度モンテリウスに立ち返ってみて、それを参照しつつ現在を自省してみるという姿勢も重要であろう。そういったところです。

[ flyingman ]

2013/6/8(土) 午後 11:06

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中里さま、ご無沙汰しています。重要な問題についてのコメントをありがとうございました。確かに、モンテリウスの枠組みのなかでは、層位学と型式学的研究法を分けて考える、というより前者を前提とし、後者を補助的に扱うという基本姿勢が顕著ですが、そもそも「型」(ないし組列としてくくられる一群の資料)の認定がなければ、出土層位の差との対応関係をどう認定するのか、という根本的な疑念がわくことも事実です。そのあたりの問題について、モンテリウス自身の著作からは(今のところ)引き出せないものと思います。ただしモンテリウスの場合、カテゴリーと表現される「関連資料の束」が、内的な形態変容を伴いながらも青銅器時代に息づいていた、といった趣旨の前提認識(私たちのいうところの考古資料名-たとえば「銅鐸」という一群の資料が一定の期間継続的に使用されていたという理解)は、いわば与件と理解されていた可能性は高いものと思います。そうした同一カテゴリー資料間がどの層位からどの層位までの間に限定されて見いだされるか、といった把握法が層位学だったのではないでしょうか。

[ 中里信之 ]

2013/6/7(金) 午後 11:57

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北條先生 阿智村の中里です。エガースとモンテリウスの見解の差、また、1885年の著作の重要性について勉強になりました。
私は「型式」の認定、具体的に「型式」の系統と組列をモンテリが提示した点は重要だと考えます。その点で大塚達朗先生が型式と層位を切り離さず議論した山内清男氏の議論を評価していますが、本議論を見ていると、型式と層位(ないし出土状況)を分けて議論しているように思えます。型式によって出土状況を整理比較でき、組列(系統)の議論をしないと、型式認定が困難だと思います。
ただ、1903年の訳を見ると「併し発見物と各時期との相対的年代を、その存在位置によって決め得る場合は比較的少ない。併し幸にして時期の前後関係を決定する為に、あらゆる場合に利用することの出来る今一つの方法がある。その方法は即ち型式学的方法である。」とあって、モンテリウスでも層位学的方法と型式学的方法が別の方法論のように読め(型式とは何かその前にしているが)、また、「型式学的方法」が概念の狭められた方法になっており、そもそも型式認定の議論が弱いように思えてきます。的外れかもしれませんが、気になったのでコメントしま

[ flyingman ]

2013/6/7(金) 午前 0:10

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久住様、なるほどそうかもしれません。せっかく貴重なご意見をいただきましたので「型式学と編年学」に関する第5弾の記事を計画したいと思います。先の(4)は、出張前に慌てて書いたこともあって、不備があることを反省しております。
次回は一括遺物が恒常的に再生産される(可能性が担保された)集落遺跡での様相と、断続的な一括遺物生産の場としての古墳との性格上の差違の対比に焦点を当てた議論を展開したいと考えます。ですから事前に情報提供をお願いするかもしれませんし、熊本なり福岡なりで、事前の議論がせきるかもしれません。その節はよろしくお願いします。今は私、江差におり、明日は奥尻島ですので、いましばらくのご猶予をお願いします。

[ nan*ts*2002 ]

2013/6/6(木) 午前 2:15

>布留1式期以降は、とたんに緩慢になりませんか

それは、一見きれいな土器群なので、よく見ていないと変化が分かりにくいのも事実です。
しかし、たとえば大和(奈良盆地)とか、中河内とか、福岡平野とか(笑)、地域を絞ったら、布留式甕の微妙な漸移的変化や、高坏の変化や形式交代、小型精製器種の型式変化と組成変化や「粗製化」など、各要素を組み合わせたら、ある程度細分化はいけます。
前期古墳編年の細分化にある程度追いついていると思いますけど。
たとえば、大和の事例ですが、以前に橿原考古学研究所博物館で、豊岡さん企画の『古墳のための年代学』というのがありましたが(私は3回通いました)、その図録でも見られてください。


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