私的な考古学

丹沢山麓で考古学を学ぶ学生諸君との対話

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長らくブログの更新をサボっておりました。今年の西表島・網取遺跡調査の様子をアップします。電波の状態が落ち着きませんでしたので、まず前半を3回に分けてダイジェスト版で。

8月31日(日)
快晴に近い晴れ模様のなか、本日の夕方に白浜へ入りました。私と2年のT居と無料送迎バスを途中でおりて浦内施設に立ち寄り、郵送済みの荷物を公用車に積み込みました。

ただし今季は網取には水が殆ど無く、およそ10数年ぶりの渇水とのことで、急遽浦内施設で水道水を多量に汲み取り、公用車に積み込むこととなりました。

2回目の輸送時には今年の学生長をお願いした4年生のK島と2年のN條を同行しセンターのスタッフに紹介。夜は金城旅館に宿泊しました。

9月1日(月)
快晴、朝の定期便とは別の船で学生諸君と前日積み込んだ荷物と飲料水を池田さんの船で網取輸送していただきました。今年から網取航路は完全に廃止となったとのことで従来の「ニュー船浮」は使用できず、代わりの船を使用するとのことでした。船を見送ったのち、私は一人公用車で浦内のセンターに向かい、9時過ぎに河野裕美先生が到着するのを待ってミーティングに出席。

折から海洋学部の修了生J野君が休暇をとって西表島に来ており、昨晩の釣りで大漁だったといってクーラー一杯の魚を振る舞ってくれると申し出てくれました。ありがたいことです。午前中は私も鱗取りを手伝い、午後水谷さんの船でJ野君共々網取に入りました。

今年は網取に長期滞在生はおらず、私たちだけが利用者。水の問題は深刻で、明日以降も水の運搬にスタッフは掛かり切りになってくださるそう。網取に着いてみればスタッフと男子学生は水の運搬をおこなっており、水を桟橋から旧パネルの貯水タンク(濾過前の貯水タンク)にまで運び入れる算段に悩んでいらっしゃいました。真に申し訳なく思います。

その後は夕方まで発掘調査器材類を現場に振り分けるなどして1日目の作業を終えました。夕食はJ野君の手料理のもとの魚づくしでした(私は嬉しくなってビールや泡盛を飲み過ぎ、酒量は相当な超過)。
 水がないため、当面はシャワーなし、洗濯機の使用は禁止とし、海で汗は流してもらし、タライに汲んだ水で洗濯をしてもらうことになりました。

太陽信仰と大和

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一昨日、奈良県の地域研究会「俚志」(サトビ・ゴゴロ)の機関誌『俚志』18号をお送りいただきました。昨年度末に私が奈良女子大学で行った表題の講演会をきっかけに取材頂いたインタビュー記事が掲載されています。

昨年11月から今年の3月までの半年間にわたる奈良女滞在では、いろいろと得るものが多く、さすがに奈良盆地は奥が深いと思い知らされたのですが、収穫のひとつが今回掲載された記事の内容です。大和東南部古墳群の配列がなぜ龍王山520mピークを背景の頂点とするものなのか、さらにこのピークと同緯度地点の真西に35km隔たった場所にはなぜ伝仁徳天皇陵の後円部中心点がくるのか、その理由がようやく判明したからです。根源は奈良盆地の中央にある唐古・鍵遺跡でした。

この遺跡の西地区には独立棟持柱の大型建物が弥生時代中期初頭に築かれているのですが、この建物の位置から真東を見据えて一年間の日の出の位置を出してみたところ、二支二分の日の出の場所は龍王山520mピークを中心として南北両脇に展開していること、いいかえれば春分と秋分の日の出はこのピークからであり、夏至の日の出は??橋山604mピークから、冬至の日の出は三輪山からだったことが判明したのです(計算は北海道大学情報センターのHPとカシミール3Dに委ね、本当にそうなるかどうかを現地で実際に検証する、日の出の方角を確認しつつ拝む、という手法をとりました)。

とりわけ驚かされたのは??橋山の意味でした。この??橋山、拙著「東の山と西の古墳」では「石上604mピーク」と仮称した嶺で、西山古墳の墳丘軸線の視準先です。なぜこの山なのかが当時は分からなかったのですが、唐古・鍵遺跡の西区からみたときの夏至の指標だったのです。2月17日付けの記事に経緯を記しています。

要するに唐古・鍵遺跡の中心的建物が置かれた西区の一帯は、奈良盆地を流れる時間を支配する日の出の観測点であって、おそらく暦を司る特別な場所でもあったのでしょう。

そのような唐古・鍵遺跡を核に展開した長い歴史的な背景が作用したために、二分の指標である520mピークを<日の出の赤道>として東西方位観の中心軸におき、??橋山を<日の出の北極>に、三輪山を<日の出の南極>に定めるという象徴的な空間が出来上がったのだと理解できるのです。それぞれの嶺には、この節目となる日和や、それぞれの日和になぞらえた象徴性が付託されたとみることも可能です。このような背景があったことを確認できた、というわけです。

だからこそ大和東南部古墳群の配列は龍王山520mピークを頂点とするものとなり、この嶺の真西に伝仁徳陵も築かれたのだと考えられるのです。こうして「東の山と西の古墳」では解けなかった謎がようやく解明できました。今回掲載いただいた記事の内容に関連するスライドをいくつか貼りつけておきます。じつは2月にも田原本町の藤田三郎さんにお招き頂き、奈良女での講演と同様の趣旨の講演をさせていただいたのですが、そのときには冬至の日の出にとどまり、最下段の写真を上映できませんでした。3月19日の唐古池脇からの日の出の情景です。春分の日とは少しズレますが、古相の大型建物の付近からだと21日に龍王山520mピークからの日の出となるはずです。

昨年の半年の調査成果が意味するところは真に大きいと思うのですが、もっとも早くに活字化していただけたのが地元奈良の地域研究会だったことも、なにかのご縁かもしれません。取材いただいた神野さまに感謝します。

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連日の会議三昧に、その合間を縫っては講義をこなす、という真に本末転倒な生活にもようやく慣れたというべきでしょうか、諦めたというべきでしょうか。ホモサピの特性のひとつは高度な適応力だと言われますが、なるほど、と身を以て実感しています。

さて、休日を無理やり作っては、このところ妻と静岡方面にドライブすることが多くなりました。近世東海道の宿場町をあちこち確認してみたい、というのが妻の希望で、私の希望は富士山を向く古墳の写真撮影などなど。

両者の一致点は、といえば清水港で昼食に海鮮丼を堪能した上で、その日の夕食用にマグロの頬肉やらカマやらを購入して帰ってくること。そのような次第で思惑が一致すると、朝モスののちに東名に乗って出掛けるというわけです。

先月の写真になりますが、上段は三島市の前期前方後円墳、向山16号墳と富士山の関係です。竪穴式石槨の最東端の事例として有名ですが、前方部の正面に立って後円部方向をみれば、最後に富士山が写り込むことになります。ただし富士宮市の丸ケ谷戸遺跡(周溝型前方後方墳)のような疑問の余地なく、っていうわけにはいかないようです。

3段目以下は、先日訪れた藤枝市の若王山12号墳です。船形木棺の事例としてあまりにも有名ですね。ただし舳先は山の方角を向き、その方角は北を指すものですから、たとえば千葉の大寺山洞穴のようにはいきません。4段目の写真の後方が海なのですが、舳先は逆を向くのです。つまり本例は、疑問の余地のない船形木棺だからといっても「海上他界」の存在を強調することはできないばかりか、むしろ「北辰信仰」への帰依であり、船はそこへ向けた「死霊の乗り物」なのだ、というほうが無理のない状況です。

気になったのは富士山の方角との関係でしたが、他の古墳の埋葬施設を含め、富士山を向く棺はないようでした。最下段の写真で妻が傘をさして立っている方角に本来は富士山がみえるはずなのです。

このようなドライブをもう少しの間、折を見ては続けたいと思います。なお藤枝まで足を伸ばすと、さすがに昼を清水港で、ってわけにはいきませんでした。次回は民宿での一泊、翌日の昼に清水港で、というルート案を考えたいと思います。

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長らくブログの更新をできずにおりました。体調を崩しているというようなわけではありません。昨年度目一杯研究休暇を取らせていただいたことのツケが回ってきただけです。

外国に出るわけでもないのに1年間のサバティカルとはいかがなものか、との注文がつきかけたとき「とにかく来年はなんでもしますから!」と言って許してもらったのですが、そのツケが4月に待っていて、目下学部長の秘書役?防壁?とでもいうべき学部長補佐を仰せつかっています。

連日の会議に配布用の文書作成に決済の代行に、とさまざまな雑用に追われ、自分の研究室に居る時間より学部長室に居る時間のほうが長いのではないか、という有様で、その合間を縫って授業を行っているような状況です。ですから帰宅後にはクタクタで、とてもブログにまでたどり着けませんでした。更新がないことをご心配いただいた方々には御礼ともどもお詫び申し上げます。

さて、表題と同名の論文ですが、纏向学研究センターの紀要に掲載していただきました。昨年度下半期に奈良女にお世話になっていたとき、同センターからのお誘いがあって資料調査を実施し、私なりの所見を書かせていただいたものです。機会を与えてくださった寺沢薫先生に橋下輝彦さん、そして森さんに感謝します。

私にしては久しぶりにメジャーなところに書かせていただき、光栄なのですが、発見資料の性格が性格ですので、石製品オタクに書かせるのが適切だとのご判断だったと思います。もちろん私と同様のコメントを下す可能性の高い方は、佐賀の蒲原さん、石川の河村さんや伊藤さん、三浦君など数名がいらっしゃいますが、何分にも当時は現場にもっとも近いところに偶然居合わせたのが私でしたから、さらにもっとも暇人だということもわかっていたでしょうから、私に声をかけていただけたのでしょう。
ただし巴形石製品の未製品が布留0式に伴うという事例ですので、なぜ巴形銅器の一時的空白期のさなかに石製品が登場するのか、という問題と対峙せざるをえず、幾分やっかいでした。

そうはいっても、実験製作して溜め込んでいたスイジガイ製腕輪の写真を掲載していただく機会が到来したことは幸いでした。それにさきほどNHKで邪馬台国がらみの番組が放映され、纏向遺跡の調査現場もでてきたことに触発されて、すでに懐かしさを覚える自分に驚きながら、久しぶりの記事の更新をおこなっている次第です。

今年度もう少し時間があれば、是が非でも石製品の研究をまとめたいと思っているのですが、当面は動けそうにありません。

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4月の中旬を思わせるような暖かい日和となりました。奈良女子大学では本日24日が卒業式と学位授与式で、朝から晴れやかな賑わいをみせていました。

私は明日の朝に奈良を引き払うので、持ち込んだ書類やら本やら調査用機材やらを車に積み込んで、ついでに正面の窓ふき掃除をおこないました。

そして昼過ぎには、以前に娘の誘導で思いがけず訪問することになった前方後円墳グッズの店、話題のフルコトを再度訪れて店内の写真撮影をさせていただきました。本日は金田さんの当番ではなかったようですが、お客さんの様子を伺ってみれば、店に初めて入るお客さんの多くはロケーションに戸惑い、路地裏の他人の屋敷に入るかのような躊躇を覚える方が多いとか。

しかしそうであるがゆえに、古都ならではの趣きを強く醸し出しているようです。たしかにお店のつくり自体も古民家そのものですから、手作りの商品のひとつひとつに独特な魅力を添えているのでしょう。

「商品の企画は、どこまでも突き詰めたほうが魅力が出てくるしお客様にも喜ばれる」とのお話には、なるほどと納得させられます。リピーター客も多いと伺いました。

商品の展示台に使われていた再現須恵器の無蓋高坏など、非常によい出来で、こちらも商品にしたら返って売れるのではないかとさえ思ったほどです。

話題の前方後円墳風呂敷を、私も買い求めさせていただきました。

業界人の皆さんにも、考古学専攻の皆さんにも、奈良にお越しの際にはぜひお薦めしたいお店です。

ただし事前に「フルコト」HPやガイドマップなどで場所をチェックしておかないと、まず迷います。さらに地図どおりたどり着けたのちにも、最上段の写真をご覧いただければおわかりのとおり、そこから奥へと足を踏みいれるには、戸惑いとたじろぎを隠せない、そのようなロケーションです。


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