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H.J.エガースの著作『考古学研究入門』(原著1959年刊)は1981年に田中琢氏と故佐原眞氏によって訳出され、日本語版として岩波書店から出版されました。本書は、私たちがよく知る考古学の入門書として、特にモンテリウスの型式学的研究法を学ぶための教科書としても重要な位置を与えられてもいます(現在は絶版のようですが)。
さて、本書の訳者「まえがき」には次のような記述があります。「O.モンテリウスの型式学的研究法は、考古史料の相対年代決定法の基本になるものだが、それを考古史料に適用する際には、すでにこの研究法の創始者のモンテリウスが説いているとおり、当然それに応じた手続きと検証を必要とする。しかし、昨今この正当な手続きと検証過程を無視し、不適切にこの研究法を適用したため、正しくない結果がひきだされたとき、この誤った結果の故に、この型式学的研究法そのものを否定しようとする傾向がある。それは世界的に認められる傾向である。いまここでモンテリウスその人のいうところを正しく理解し、その研究法をさらに発展させる必要性は極めて高いが、半世紀以前に刊行されたモンテリウスの著作の訳書はいまでは決して読みやすいとはいい難いものであって、その手引きとして、本書のこの部分は最適である」(田中・佐原1981、同書まえがき13・14頁)
この引用箇所を読めば、私たちが本書の出版に込められた訳者のねらいを正しく捉えたことを再確認できるでしょう。
ただし私は学生の頃から、この「まえがき」で紹介されたモンテリウスの捉え方と、本文で記述された内容との間には微妙な差があることが気になり、教師になって以後も、その違和感はぬぐえないままでした。
一例をみてみましょう。エガース本人は、第2章の後半で次のように述べているのです。
「今の世代の研究者のほとんどが型式学的研究法をオスカル・モンテリウスの名と結びつけている。しかしモンテリウスがこの問題を最初に考えついたとするには議論の余地がある。―中略―モンテリウスは型式学の創始者ではなく、正確な相対年代と絶対年代とに到達しうるあらゆる研究法の長所と短所をそれぞれ明確に比較検討しそれらすべてを総合したなかから彼の体系をあみだした最初の人である。彼は型式学的研究法と同じように層位学的研究法も用いている。いすれにせよ、彼が創案者だとすれば、『一括遺物』の創案者なのである」(H.J.エガース同書、86頁)と。
つまりモンテリウスは型式学的研究法の創始者ではなく、上の引用文で略したところにはヒルデブラントとこの名誉を分かち合う必要があると述べられていますので、「まえがき」の記述内容とは異なるのです。
さらに型式学的研究法だけではなく、層位学的研究法と、なによりも「一括遺物」という概念を創案した人物としてこそ評価すべきだと述べられている点も「まえがき」との間のニュアンスの差として気にかかるのです。
そしてここからは、次のような疑念が生じます。「まえがき」の内容とモンテリウスおよびエガースの記述内容の間には、じつは認識上の差違が生じており、「まえがき」はすでにモンテリウスの研究法の一部だけを抜き出して、その重要性を再確認せよ、と誘っているのではなかろうか、との疑念です。
ではモンテリウスの創案だとしてエガースが重要視するところの「一括遺物」とは、どのような概念なのでしょうか。第2章では「確実な出土品」・「同時に埋納された遺物の総体」などとして実例が挙げられ、それは型式組列の検証に用いられることが述べられています。この点については本ブログをお読みの方にとっても馴染みの事柄であろうと思います。
しかしそれ以上に注目すべき箇所は別のところにあるのです。それは第3章の「考古歴史年代決定法」の項目です。ここではモンテリウス自身の言葉からの長い引用文を付して「一括遺物」の重要性や意義が紹介されています。
抜粋しますと「一括遺物とは、わたくしはつぎのようなものと理解している。すなわち、必要な観察力を備えた信頼できる人物がある場所に一度に同時に埋没されたと想定せざるをえない状況で遺物を発見する、そのようにして発見された遺物の総体である。そのような一括遺物のひとつが貨幣―以下『貨幣そのほかの搬入品』を略して『貨幣』というーを含み、その土地の製品といっしょにみつかれば、それによって、貨幣とその土地の製品がほぼ同時代のものであることが暗示される。もちろん暗示以上のものではない。というのは、両者がいっしょになって埋没されたとき、その貨幣が非常に古く、その土地の製品がたいへん新しかったことがありえるし、またその逆もありえるからである。
これに対して、第一番目の一括遺物と同じように、第二の一括遺物においても同じ君主の貨幣が同じ型式のその土地の製品といっしょに発見されれば、両者が実際にほぼ同時期のものである蓋然性は著しく増大する」(同書136・137頁)。
この引用文の前に、型式学と出土状況とを手がかりにして編年を確立しておくことが必要だと述べられているので、一括遺物の概念は、歴史年代が判明している遠隔地からの搬入品が、どの時期に併行するか(同時期であるか)を判定する交差年決定法において、最重要視される<共伴関係の判定を下支えする基礎概念>であることがわかります。
ようするに一括遺物の概念とは、相対年代決定法と交差年代決定法のいずれにとっても研究上の基礎となる考古学的実態(発掘調査を通して注意深く導き出された事実)をさすのです。しかし同時に、その実態は適宜諸カテゴリーに仕分けされるとともに、型式分類された格好で提示されるので<諸型式の共伴関係>として表現されることになります。さらに複数の一括遺物を総合すると、<繰り返し現れる諸型式の共伴関係>へと整序される、そのような構造のもとにある基礎概念だと理解すべきなのです。
だからこそ、本概念は当初、一括遺物ではなく「確実な出土品」と呼ばれてもきたのです。さらに後の時代になると本概念は、V.G.チャイルドによって遺構や遺跡を含める形に拡張され「考古学的文化」と呼び換えられますし、「アセンブリッジ」とも表現されるようになるのです。
そしてこのようにみてくると、エガースの次の文章の意味がより鮮明になります。
「以上述べたことから、モンテリウスにとってさえも、一括遺物、すなわち型式の集まりが決定的であったことがわかる。最初モンテリウスがまだ真の暗黒のなかで手探りしていたころだけは、彼にとって型式学が確実なよりどころになっていたが、後になると、この松葉杖を必要としなくなる」(同書 103頁)。
つまりモンテリウスにとっての型式学的研究法は、闇中摸索時の松葉杖でしかなかったと述べられているのです。「まえがき」の主張と本文とがいかに異なるか、おわかりいただけたのではないでしょうか。
「まえがき」が示すような検証過程が問題なのではなく、基礎概念の位置づけ(比重のおきかた)や実際の運用法を取り違えたことのほうが、じつは問題だったのではないでしょうか。その意味において「いまここでモンテリウスその人のいうところを正しく理解し、その研究法をさらに発展させる必要性は極めて高い」(冒頭の引用文から)といえるのです。
「一括遺物」を基本に据えて、構成内容をカテゴリー別に型式分類するという手法(この順序を取り違えると根本的な間違いを起こしかねないという教訓に裏打ちされたそれ)。それがモンテリウスの研究法だったのです。「編年学」と表現するのが適当だと私は思います。彼の実践における型式学的研究法は、1885年の著作時には、すでに参照すべき細目分類案として、実際のところは補助概念として運用されていたにすぎないのです。型式分類と型式学的研究法を識別して捉える必要があることについても、同様に重要です。
次回は、エガース自身もまた、モンテリウスの編年学を誤解しやすい形へと加工した可能性について紹介することにします。
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