私的な考古学

丹沢山麓で考古学を学ぶ学生諸君との対話

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昨日は三重県の能褒野で陵墓限定公開があり、私は日本考古学協会の“地元枠”で参加させていただくことになりました。協会の陵墓担当理事は森岡秀人さんと菊地芳朗さんで、JR井田川駅からタクシーで現地に向かうという約束だったのですが、途中の柘植駅で草津線から乗り換えてきた森岡さんと偶然合流することになりました。

この機会を逃すまいと、さっそく車中で弥生文化論の個人授業をお願いすることに。主題は次の3項目でした。

その1) 弥生時代のコメは基本的に貨幣(商品貨幣・限定目的貨幣)であったとしたら、食糧依存度の問題は別の側面からの捉え直しが可能になるが、そのような提言は妥当性をもつか。

その2) 弥生文化とは交換価値の高いコメと布を構造的・組織的に増産することを通じて地域間の交易を活性化させるものであったと考えた場合に、土器様式の地域性が顕在化したり広域化したりする現象はどう理解可能か。

その3) コメと布の構造的増産とは、稲籾を男が作り、布を女が織るという男女分業の創出と固定化を意味するが、それが祭祀の構造にどのように組み込まれたと考えられるか。

ごく抽象的な議論に思われるかも知れませんが、森岡さんにご教示をお願いする場合には、この程度に一般化しつつ論点を絞り込んだほうが有効なので、そうしました。

議論は井田川駅を降りてからも終わりませんでしたので、近々に再度機会を設けてご教示を乞うことにします。

幸い、森岡さんも上記の問題群には以前から関心をお持ちだとコメントしてくださいましたし、森岡さんの近著を拝読するかぎり、私にもその確信はありましたので、短い時間でしたが非常に有益でした。

なによりも唐古・鍵遺跡の機能と性格について、私が抱いた素朴な疑問は、近畿の弥生時代研究者を代表する立場の森岡さんにも伝わることを確認できたことは最大の収穫でした。

盆地の中央部というすべての水が集まる一帯が初期水稲農耕の適地であったはずはなく、むしろ不適地の典型だったという理解は、やはり妥当だし、だからこそこの遺跡には、さまざまな非日常性が凝集され、喧噪に満ちたマーケットの場として周辺山際の農耕集落からは「見くだされつつ」繁栄し続けたのだ、という解釈を今後詰めてゆきたいと思うのです。

宮内庁の担当者による丁寧な解説に耳を傾けながら、このようなことを考え続けておりました。

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